First Love



   ある日の午後、高崎の高橋家のリビングで四人の来訪者が偶然に顔をあわせた。
  「お前ら……」
  「おや」
  「……あれ?」
  「…………」
   四人を迎えた高橋家の兄弟───その弟の啓介は超不機嫌だった。向かいあったソファーに座る四人
  を険しい視線で睨みつけた。
  「何なんだよお前ら。揃いも揃って……」
   苦虫を噛み潰したような声。機嫌の悪さを隠そうともしていない。
   せっかくの休日。プロジェクトDの遠征もなく、兄と二人でゆっくりのんびりまったり過ごそうと思っ
  ていたのに───。
   そんな啓介に、史浩は少々済まないと思いながらも来訪の理由を告げた。
  「俺は涼介に呼ばれたんだ」
  「そうなの、アニキ?」
   驚いた啓介は隣の涼介を見た。
   当の涼介は啓介の気持ちなど我関せずといった様子で、さらりと答えた。
  「ああ。打ち合わせしておきたい事があってな」
  「なんだよ、せっかくの日曜なのに……」
   啓介の不満を無視して、涼介は史浩の隣の松本に目をやった。
   松本はプロジェクトDのハチロク担当のメカニック。彼が高橋家を訪ねて来るなんて珍しい事だった。
  「松本はどうしたんだ」
  「ハチロクのセッティングの事で、どうしても急いで相談したい事ができまして」
   今度は啓介が、松本の隣に座るケンタに面倒そうに声をかけた。
  「ケンタは何で来たんだよ」
  「そんなあ、啓介さん! 今日は一緒にショップに付き合ってくれるって約束だったじゃないですかぁ。
  なのに約束の時間過ぎても全然来る気配ないし、ケータイも通じないから家まで迎えに来たんですよ!」
  「……そうだったっけ?」
   兄と過ごす嬉しさに、ケンタとの約束など綺麗さっぱり忘れきっていた啓介だった。
   そんな啓介を制して、涼介がケンタの隣の拓海に優しく問いかけた。
  「藤原はどうしたんだ? よく家がわかったな」
  「俺は今日、休日出勤で配達があって……。その帰り道に偶然通りかかったんです。そしたら史浩さんた
  ちを見かけたんで、車をつい停めたんです」
   そう言う拓海は確かに作業着姿だった。
   そんな姿を見ると、確かに拓海も社会人らしく見えた。ボケた表情は普段通りだったけれど。
   拓海が高橋家を訪れたのは今日が初めてだった。もの珍しさからつい、家の中を見回した。
   大きな建物、広い部屋、豪奢な内装───。建坪だけでも拓海の家の二倍、いや三倍はありそうだっ
  た。
  資産価値は三倍どころではないだろう。
   そして拓海はふとリビングの一角に目をとめた。
   四人が通されたリビング。その一角にピアノが置いてあった。一般家庭ではそうそう見られない、大き
  な大きなグランドピアノだった。
   一体誰が弾くのだろうか。
  「……涼介さん、ピアノ弾くんですか」
  「いや、俺じゃない」
   真っ先に思い浮かんだ人に拓海は聞いてみたが、そうではなかった。
  「じゃあ、誰が弾くんですか」
  「俺だよ」
   答えは思わぬ人間から───涼介の隣から返ってきた。
   涼介の隣にいるのはもちろん、啓介だった。
   しかしそれを聞いた四人は絶句してしまった。
  「───なんだよお前ら、その沈黙は!」
  「い、いやその……」
   さすがの史浩も口ごもってしまった。
   似合わない……とはさすがに言えなかった。
  「啓介さん、ピアノ弾けるんですか!?」
   昨日今日の付き合いではないケンタも知らずに、素っ頓狂な声を上げた。
  「ピアノって、『ネコ踏んじゃった』とか?」
  「藤原てめえ、バカにしてんだろ!」
  「何で怒るんですか」
   拓海はただ思いついた曲を口にしただけなのだが、啓介にしてみればバカにされてるとしか思えなかっ
  た。
   しかし啓介が拓海にくってかかる前に、松本が拓海を庇うようにやんわりと二人の間に入った。
  「啓介さんは何でピアノを習い始めたんです? 興味があったからですか」
   内心は驚きながらも、松本はその温和そうな表情をキープしたまま問うた。
   気勢を削がれた啓介は、それ以上は怒らなかった。
  「きっかけはお袋だな……。子供に音楽をらせたかったらしいぜ。だから俺はピアノで、アニキはヴァイ
  オリン習わされたしな」
  「ヴァイオリン!?」
   今度は四人そろって声をあげた。
   その一様な反応に、涼介も眉をしかめた。
  「変か?」
  「い、いえ……」
   似合いすぎてなんだか怖い───とも、さすがに言えなかった。
   そんな中、真っ先に立ち直ったのはケンタだった。
  「俺、聞いてみたいっす!」
   野次馬根性旺盛なケンタは、なんと二人にリクエストしてきた。
   ケンタの言葉に啓介は露骨に表情を曇らせた。
  「えー、そんなの面倒───」
  「そうだな……。久しぶりに弾いてみるか」
   しかし以外にも涼介の方から、色好い返事が返ってきた。
   驚いたのは啓介だった。
  「アニキ、ホントに弾くのかよ?」
  「ああ、たまにはいいだろう」
   てっきり涼介は嫌だろうと思ったのだが、啓介の予想は大きく外れた。
   しかしそれならそれで、異存はなかった。
  「アニキが弾くんなら俺も弾くぜ!」
   このブラコンめ───とは、四人それぞれが思ったが、敢えて口にはしなかった。


   涼介の白い指が丁重にヴァイオリンのケースを開ける。
   啓介が慣れた手つきで、カバーを外しピアノの蓋を開ける。
   二人のその動作は確かに手慣れていた。
  「何が聞きたい?」
   涼介がヴァイオリンを調整しながら、四人に問い掛けた。
  「何が、と言われても───」
   とはいえクラシックには疎い者ばかり。四人の口からは具体的なリクエストは出てこなかった。
  「……じゃあ、これでいいか」
   涼介はピアノの上にあった楽譜を無造作に手にした。
   それは二人のいとこの緒美が置き忘れていった楽譜だった。先日二十歳になったばかりだというのに、
  既にもうミリオンヒットを何本も出している人気の女性シンガーの曲だった。
   忘れていった楽譜は、数年前にミリオンセラーになった曲だった。
   緒美もファンらしく楽譜を手に入れてきて、二人に聞かせたり一緒に弾いたりしていった。
   最近は啓介よりも緒美の方がよほどこのピアノに触れている。そのために啓介がそう弾かないにもかか
  わらず、高橋家のピアノは定期的に調律されていた。
  「啓介、どうだ?」
  「うん、いーよ」
   そんな二人を眺めながら、四人はドキドキしながら待っていた。
   まるでジェットコースターに乗る前のような、お化け屋敷に入る前のような、怖いもの見たさの心境と
  いったらいいだろうか。いったい二人の演奏とは、どんなものなのか───。
   用意を整えた涼介が、ピアノに向かう啓介の横に立った。
   二人は視線を交わし、そして演奏が始まった。
   まず啓介のピアノが軽やかに前奏を始めた。
   そして短い前奏が終わると、続いて涼介のヴァイオリンが重なった。
   その旋律に、四人は驚いた。リビングは瞬時にその場の雰囲気を変えた。
   音と音のハーモニー。二人のピアノとヴァイオリンは、聞く者に鮮やかな世界を届けた。
   涼介のヴァイオリン。擦弦によって奏でられる音色は豊かで、奏者の意志がよく現れていた。
   静かで、けれど情熱的で───……。
   啓介のピアノも素晴らしかった。長い指が鍵盤を滑らかにたたく。
   峠で車を走らせている姿からは想像できない繊細な旋律だった。
   どちらの音も互いを主張し───けれど音をぶつけ合うのではなく交じり合い、まるで初めから一つの
  もののような調和音。
   わずかも乱れぬ、素晴らしい演奏だった。
   別れる恋人たちの悲しい───けれど新たな旅立ちを予感させる曲。
   四人の耳にはそれがはっきりと伝わり、聞こえるはずのない歌声までが聞こえるような気がした。
   五分強の短いセッション。
   しかし、聞いている四人の男たちの魂を奪うには充分だった。
   二人が演奏を終えると、四人はソファーから立ち上がって拍手した。
  「俺、感動しました!!」
  「さすが、お二人とも多才ですね」
  「時々ヤンキーと間違われるけど、お前らやっぱりお坊ちゃん育ちだったんだなあ」
  「息ぴったりですね。気持ち悪いくらい……」
   褒めてるんだかけなしてるんだか、ともかく四人は短い演奏にしばし酔いしれた───。


   四人が帰った後、兄弟二人はまだリビングにいた。
   久しぶりの演奏で、確かな高揚感が二人の心を満たしていた。
  「久しぶりだったから指が鈍ってら」
  「俺もこいつを弾くのは久しぶりで、ちょっと緊張したよ」
  「でも、アニキと一緒に弾くなんて久しぶりだよな」
  「そうだな……」
   昔は───車に乗り始める前は、よく二人で演奏する事もあったのだけれど、いつのまにかしなくなっ
  ていた。
   それは、もっと熱くなれるものを知ってしまったから───。
   啓介はうっとりと実感のこもった声でつぶやいた。
  「俺、アニキとはやっぱ一緒に走るのが一番いい」
   啓介の言葉に涼介は微笑んだ。
  「ピアノは二番目か」
  「いや、三番目」
  「三番目?」
   啓介も涼介と同じだと思ったのだが、しかし啓介の返事は違っていた。
  「じゃあ、二番目は何だ?」
  「二番目は───」
   涼介の訝しげな問いに、啓介は不意に身を乗り出してきた。
   そしてその答えを直接、涼介の唇に伝えてきた。
   深く重なった唇が名残惜しげに離れていって、涼介は吐息ともため息ともつかぬ声をもらした。
  「……俺とは順番が違うな」
  「そう?」
  「一番は同じだけどな、俺の二番目はヴァイオリンだ」
   涼介の言葉に、啓介は更に涼介の顔を覗き込んだ。その表情は、どこか悪戯を楽しむ子供のようだっ
  た。
  「ホントに?」
  「ああ」
  「じゃあ、確認してみる?」
   二番目と三番目、どっちがイイか───。
   ようやく二人きりになった午後を濃密に過ごすために、啓介は涼介の耳元に囁いた。



                                                      〈END〉



  いただいたリクエスト、難しかったです〜(^^;)
  拓海たちではないんですが、なんといっても私にクラシックの引き出しがないものですから(^^;)
  仕方なくクラシックはあきらめて私なりに書けるものをと、気持ちとしては「音楽のパラレルドリフト」
  を目指しました。
  タイトルは一見小説とは関係ありませんが、二人が弾いた曲のイメージで。私の大好きな歌です(^^)

  拙いものですが、777のキリバンを踏んで下さった瑠璃さまに捧げます。
  瑠璃さまのリクエストがなければこういう二人はきっと書けなかったと思います。
  ありがとうございました!(^^)