DATE with an ANGEL
12
「おい啓介、しっかりしろ!」
「啓介さん!!」
史浩たちが何度呼んでも、啓介は倒れたまま一向に目を覚まさなかった。
その様子に不安を覚え、史浩はケンタとともに啓介を自分の車へと運んだ。
今は啓介を病院へ運ぶ事が何より最優先と考え、啓介のFDはその場へ残した。
そして史浩は、そこから一番近いと思われる総合病院へと啓介を運び込んだ。ケンタも自分のS14で同行した。
意識を失った啓介を車まで運ぶのに手間取ったせいで、日はもう暮れ始めていた。
病院で啓介の傷の治療は速やかに施された。
さすがに銃で撃たれたとは言い難く、怪我の説明については史浩が何とか言い繕った。
幸い啓介の頭の傷はほんのわずかな傷だけで、手術の必要もなかった。その事実に史浩もケンタも心の底から安堵した。
しかし啓介はなかなか意識を取り戻さなかった。その様子を誰もが訝しんだ。
直ちに行われた検査の結果───史浩たちが想像もしていなかった、最悪の事態が判明した。
「お気の毒ですが……」
啓介を担当した医者の言葉はひどく現実味を欠いて───しかし重々しい響きがあった。
「もしかしたらこのまま、目覚めないかもしれません」
啓介の身体には病魔が巣くっていた。それは脳に病巣を抱えるものだった。
それも既に末期近く、医者はどうして今まで啓介が病院を訪れずにすんだのか、かなりの痛みがあっただろうにと首を傾げていた。
それを聞いて、さすがの史浩も言葉を失った。
ケンタはそれを聞いた途端、啓介の名前を呼びながら大声で泣き始めた。
傷の治療も検査もすべて終えた啓介は病室に運ばれた。
その頭部には白い包帯が巻かれていた。史浩の目には、見慣れているはずのその白さがひどく痛々しく映った。
すでに夜になっていたが、とにかく一刻も早く啓介の両親に来てもらわなければならなかった。
その連絡をするために、史浩は静かに啓介の病室を後にした。
深夜───啓介は病室で一人だった。
意識は未だ失ったまま、ベッドに横たわっていた。部屋はベッドが一つだけ置かれた個室で、明かりも落とされいた。
史浩とケンタは山中に置いてきた啓介のFDを取りに行っていた。
そのため気づいた者は誰もいなかったが、病院の外で何かの羽ばたく音が聞こえた。それは、耳にした者がいたらきっと鳥だと思うような羽音だった。
その羽ばたきは真っ直ぐある場所を目指し───啓介の病室の窓辺近くまでやってきた。。
病室の窓にはブラインドが下ろされていた。
すると音もなく窓ガラスが開き、続いてブラインドが上げられた。
啓介の病室の外にいたのは───天使だった。
啓介から渡された白い服を見につけた、啓介と始めて出会った時のままの天使だった。
天使は病室の外から啓介の様子を見つめていたが、しばらくしてそっと中に入ってきた。
啓介の枕元に立っても、啓介は意識を失ったままだった。顔色は青ざめて、その容態がかなり悪い事を物語っていた。
啓介の頭に巻かれた包帯に、天使はそっと手を伸ばした。
傷には触れないように、けれどまるで傷を癒すような手つきだった。そして愛おしげに、啓介の髪を指で梳いた。
天使はさらに啓介の頬にそっと触れた。
すると───不思議な事が起こった。
意識を失っていた啓介がゆっくりと目を覚ましたのだ。目覚めたのは山中で倒れて以来だった。
啓介は目を開きはしたが、すぐには意識がはっきりしないようであった。
それでも天使は、ただ静かにそれを見守っていた。啓介の頬に触れた手はそのままに。
頬に触れる優しくあたたかい感触に、啓介の意識はゆっくりと覚醒していった。
そしてぼやけた視界が徐々にはっきりとしてきて、ようやく啓介は微かに笑った。
目覚める前から、自分の傍に誰がいてくれるのか───頬に触れる指先が誰のものなのか、啓介にはわかっていた。
「…………よお」
啓介の声は掠れていた。その声に、やはり今までのような力はなかった。
「……もう、会えないかと思った」
「───」
いつになく気弱な啓介の言葉に、天使はゆるく首を横に振った。
啓介は頬に触れたままの天使の手を自分の手でそっと握った。身体はもちろん、指先までもがもうひどく重かったけれど、どうしてもそうしたかった。
天使は力ない啓介の手に引かれるままに、ベッドの端に腰を下ろした。
「気持ちいいな……」
啓介は安堵の息をついた。
天使が傍にいてくれるだけで、天使に触れられるだけで、啓介は安らいだ。今も啓介を苦しめる痛みは
あったが、それも少しだけ和らいで感じられた。
「いつもあんたといると、助けられてる気がしてた。何でだろうな……」
それに天使は苦く微笑んだ。
啓介は知る由もなく、また天使も伝える術をもっていなかったが、痛みを癒すそれは天使の持つ不思議な力の一つであった。だからこそ天使は、できるだけ啓介から離れないようにしていたのだ。
啓介が苦しまないように、少しでも笑っていられるように───。
けれど今の啓介は、どこか悲しそうだった。
「わかってるぜ……。俺を連れに来たんだろ」
啓介が不意にもらした言葉に、天使の顔色が曇った。
それを見て、やはり自分の推測が正しかった事を啓介は悟った。
借りてきた本の一説を読んでから、もしかしたらとは思っていた。
天使は死にゆく者の魂を連れて行くために地上へやってくる───。
そして啓介の、いつまで経っても消えない頭痛。
天使が怪我を負っていなかったら、きっと啓介はとっくに死んで、そして連れて行かれていたのだろう。
暗い部屋の中でも、啓介の目には天使の姿ははっきりと見てとれた。
艶やかな黒髪も、その際だって美しい顔立ちも、啓介が出会った時のままだった。傷ついた羽は今はもう、ただ天使の美しさを彩るかのようにその背中で息づいていた。
けれど啓介の傍らでいつも微笑んでくれていた天使は、どこか悲しげな様子だった。
その瞳は憂いをたたえて啓介だけを見つめていた。
もしもこれが最後になるのなら、啓介にはどうしても伝えたい事があった。
「俺……あんたの事が好きだ」
いつから想っていたかなんて、啓介にももうわからなかった。
もしかしたら天使を助けた最初からかもしれなかった。もうとっくに、それは啓介の中では当たり前のものになっていた。
そんな啓介の告白に、天使は驚かなかった。
ただ微かに頷くと───そっと啓介の耳元に唇を寄せた。
「───……」
天使は無言だった。その声は啓介の耳には聞こえなかった。
───それでも天使の気持ちは啓介の心に届いた。
泣きたいぐらい嬉しかった。満足だった。
だから天使と再び視線があった時、啓介はそれを笑顔で口にする事ができた。
「死ぬなんて実感、全然ねーけど……。親父やお袋やみんなには、ちっとすまねえって思うけど……」
驚く天使に構わず、啓介は続けた。
「でも、あんたが連れてってくれるんならいいや」
「…………」
それは諦めでも何でもなく、ただ素直に啓介の心に湧きあがってきたそのままの気持ちだった。
誰よりも好きなひとに連れて行ってもらえるのなら、たとえ行き先が地獄だっていいとさえ啓介は思った。
まるで永遠とも思えるほどの長い時間、啓介と天使はただ見つめあっていた。
ただ互いが互いを想う気持ちだけがそこにはあった。
互いのぬくもりが一つのものに感じられるくらい、それは穏やかでありながら強い恋情に満ちた時間だった。
少しだけためらいながらも、啓介は自分から目を閉じた。
そうしなければ結局は天使を苦しめてしまうだろうと思ったからだ。
その気持ちが伝わったのか、天使はためらいながら───静かに啓介に唇を寄せた。
啓介と天使の唇が、そっと触れた。
初めて交わしたキスだった───。
熱く、それでいてどこか労わりの含まれた───何よりも優しい唇だった。
啓介が最後に感じたのは、そのキスのこれ以上はない甘さだった。それを感じながら、啓介の意識は光に包まれていった。
そして啓介の意識は、光の中にゆっくりと溶けていった───……。
………………バタリ_(__)_
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