DATE with an ANGEL
2
啓介は遮二無二FDを走らせ、真っ直ぐ高崎の自宅へと帰ってきた。
明かりの一つもついていない広い家には誰の気配もなく、いつもの事であったが医者である両親は留守のようであった。
しかし今日ほどその事に感謝した事はなかった。
誰もいないのをこれ幸いに、啓介はそのひとをまずリビングへと運び込んだ。
抱き上げた身体はやはり軽く、啓介は腕にした身体を出来るだけそっとソファーへ横たえた。そうしてから壁のスイッチに手を伸ばし、リビングの明かりを灯した。
「取りあえずはこれでよし、と……」
そうしてからようやく、啓介は自らの身体を拭うためのタオルを取りに行った。
赤城山からベストタイムに近い速さで帰ってきたというのに、啓介の身体はとうに冷えきっていた。震えの止まらぬままに頭からタオルを被り、ガシガシと水気を拭き取る。
そして二階の自分の部屋へ駆け上がり何とか着替えを済まし、やっと啓介は人心地がついた。
リビングへ戻ると、連れてきたそのひとは未だ目覚めてはいなかった。
赤城からこの家に戻ってくる途中のFDの車内でも、一度も目を覚ましはしなかった。
それをいい事に啓介はソファーの側に座り込むと、横たわるそのひとをまじまじと見つめた。大沼のほとりでもそうしたけれど、それでも啓介はまた見入ってしまった。
あらためて見たそのひとは───明かりの下で見てもまったく遜色ない美貌の持ち主だった。
白いかんばせをした頬はわずかに薔薇色に染まり、顔立ちはあでやかでありながら、それでいて清楚でもあった。
黒髪は絹糸のように細く流れ、そのひとの魅力を彩るものの一つとなっていた。
また白くゆったりとした服を着た身体は艶やかしい肌をしていた。胸元からのぞく鎖骨が微妙な色香をかもし出しており、それもまた啓介の視線をひいた。
そして背中には───純白色をした羽。
21年間生きてきて、啓介は宗教の類に興味など持たなかったけれど、それでも少しぐらいは知っている。
初めて見たけれど、このひとが『天使』なのかもしれないと啓介は思った。
「天使って、ホントにいたのか……」
自問自答するような啓介のつぶやきに、眠るそのひとの睫毛が微かに震えた。
「!」
息を呑む啓介の目の前で、そのひとはゆっくりと───目を覚ました。
目を閉じていてもこれだけの顔立ちをしているのだから、目を開けたらさぞかしもっと綺麗なんじゃないかと思っていた啓介の推理は───ドンピシャだった。
瞼の下から現れた、まるで黒曜石のような瞳は未だ焦点を失っていたが、充分に魅力あふれるものだった。その美しさが輝きを増したようでさえあった。
何度か瞬きを繰り返し、そのひとはようやく傍らの啓介に気がついた。
視線が絡み合い、啓介にはとてもそれを逸らす事ができなかった。
どれだけ見つめてもその造形に少しの破綻も見つけられない───際立った美しさ。圧倒的なまでのそれに、ただただ啓介は見とれるしかなかった。
啓介が指一本動かせずにいると、逆に啓介を見つめるそのひとの方が身体を起こした。
ソファーからゆっくりと見を起こし、そしてゆっくりとした動作で啓介に近づく。
そうしてそのひとは片手を上げると、その白く細い指先で啓介の頬に触れた。その優しい感触に、啓介の心臓は高鳴った。
「あ、あの……」
狼狽する啓介にそのひとはますます身体を寄せ、顔を近づけた。その表情は啓介の勘違いでなければ、どこか慈愛に満ちた神聖なもののようであった。
そして唇が触れようとするのと同時に───そのひとは背中の純白の羽を広げた。正確には広げようとした。
しかし───。
「───!!」
「……え?」
そのひとは急に表情を歪めると、啓介の座る床へと倒れ込んだ。
「ど、どうしたんだ?」
突然くず折れた身体を啓介は助け起こそうとしたが、その時偶然にも二の腕が羽に触れ、途端にそのひとは身体を強張らせた。
「!!」
「ご、ゴメン!」
慌てて啓介は腕を引いたが、痛みに耐える相手の様子に今度はそっと手を伸ばした。
「大丈夫か?」
「………………」
羽に触らないように腕をまわし、啓介はゆっくりとそのひとの身体を起こした。
見れば背中の右羽の一ヶ所、数枚の羽根が赤く染まっていた。
「もしかして怪我してんのか……?」
けれど口がきけないのか言葉を持たないのか、啓介が何を聞いてもそのひとから返事はなかった。
ただ痛みに表情を歪めて、身体を覆うように縮めた羽を震わせていた。
やはりこの羽は本物で───目の前のこのひとは本物の天使なのだ。
「待ってろ。いま医者を呼ぶから」
啓介はそう言うと、立ち上がってすぐさま携帯電話を手にした。
そしてメモリに登録だけはしていたけれど、一度もかけた事のなかった両親の病院へと初めて電話をかけた。
夜間受付を通した後、しばらくして久しぶりに聞く父親の声が電話口に出た。
「あ、親父? 俺だけど───今さ、家に天使がいるんだよ」
ろくな挨拶もせず、啓介はいきなり用件を切り出した。
「天使だよ、天使! それが羽を怪我しててさ、悪ィけどすぐに診てくれねーか? 親父が忙しいならお袋でもいいからさ」
啓介はとにかく用件だけを話した。一刻も早く天使の怪我を治療してもらいたかったからだ。
しかし電話の向こうの父親の反応は、至極真っ当なものだった。
「寝ぼけてなんかいねーよ! だから、ホントにここに天使が───」
啓介は叫んだが、電話は一方的に切られてしまった。
「……あんのクソ親父!! 切っちまいやがった」
苛々と啓介は電話に毒づき、憤慨して腕を組んだ。
しかしふと気づくと啓介の足元に座り込んだ天使が、どこか不安げな様子で啓介を見上げていた。
「だ、大丈夫。すぐに別の医者を呼ぶから」
不安がらせないように天使に出来るだけ優しく笑いかけて、啓介は再び電話をかけようとした。
その啓介の手が、はたと止まった。
「天使って、どんな医者に見せりゃいいんだ……?」
考えに考えた末、啓介が連絡したのは同じ赤城山の走り屋仲間───群馬大学で医学部に在籍中の史浩であった。
明け方近くの呼び出しにもかかわらず、とにかく大変な事が起きたの一点張りの啓介の言葉に、すぐさま駆けつけてくれた気のいい男だった。
しかし凡庸な外見とは裏腹に常日頃から冷静な史浩さえ、啓介の家で天使と対面した時には言葉を失うしかなかった。
「嘘……だろ」
「いいから怪我を診てやってくれよ」
「だって啓介、俺は人間の事しか───」
「話は後だ! とにかく治療してくれ!」
啓介の勢いに押されるまま、史浩は天使の怪我の治療をする羽目に陥った。
しかしいざ史浩が近づくと、天使は警戒しているのか痛めた羽を抱えたまま後ずさった。
「おい、啓介───」
「大丈夫だよ。こいつは俺のダチで史浩っていうんだ」
戸惑う史浩の横に立ち、啓介は必死で天使に語りかけた。
「まだ勉強中だけど将来腕のいい医者になるのは間違いないから、あんたのその怪我の手当てをさせてくれよ」
その言葉がわかっているのかいないのか───天使は啓介を見つめた。
「大丈夫だから……な?」
「…………」
啓介の必死な様子に心動かされるものがあったのか、しばらくして天使は後ろを向き、背中の羽を啓介たちに預けた。その仕草に啓介はもちろん史浩も安堵した。
そしてようやく、史浩は天使の羽を診る事ができた。
羽の怪我は少しの裂傷と、そしてなんと骨折をしていた。
史浩の手によって簡単な治療がなされたが、ここが医者の家とはいえ本格的な医療器具などある訳がなく、それは本当に簡単なものだった。
おまけに史浩が医学部で習っているのは人間の身体の治療についてであり、決して天使に関するものではないのだ。
とにかく出来る限りの治療を終えて、史浩はやれやれとため息をついた。
「こんな事なら獣医を目指していればよかったかな……」
「サンキューな、史浩」
いま天使の羽には添え木が添えられ、史浩の手によってしっかりと包帯が巻かれていた。治療中も天使は大人しく、史浩が啓介の友人で決して天使に危害を加える者ではないとわかってくれたようであった。
天使を治療してもらえて、啓介も心底安堵した様子だった。
しかし手放しで喜ぶ啓介を見て、逆に史浩は不安になった。
「これからどうするんだ、啓介?」
「どうするもこうするも……放っておける訳ねーだろ」
「それにしたってお前、天使なんて───」
二人はそろって天使を見た。
天使はソファーに座り、困ったような苛立たしいような様子でなぜか天井をジッと見つめていた。
そのどことなく不安そうにも見える天使に視線を注ぎながら、啓介は言った。
「大丈夫、ただの天使だろ」
能天気な啓介の一言に、史浩はやれやれと頭を抱えた。
キツくないですか? 大丈夫ですか?
書いた私はとってもキツいです〜(^^;)
昔の私ってば、煩悩のせいとはいえなに書いてんだか……(−−;)
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