DATE with an ANGEL
5
ある日の午後、啓介は天使を連れて市立図書館へとやって来ていた。
日頃は読書になど縁のない啓介であったので、近所とはいえこの場所に足を運んだのは中学生以来だった。
その啓介がわざわざやって来たのは、天使の事を調べるためだ。
天使と出会ってからもうすぐ半月が過ぎようとしていた。
会話こそできはしなかったが、啓介と天使は穏やかな毎日を過ごしていた。羽の怪我も回復は順調で、もうしばらく時間がかかるにせよ確実に完治する時は近づいていた。
でもそれから先どうすればいいのか、啓介には皆目見当がつかなかった。だから天使がどういった生き物なのかを調べてみようと思い立った。
そしてこの場所へとやって来たのだった。
もちろん羽を隠した天使も連れてきていた。赤城山に遊びに行って以来の外出だった。
図書館で用事を済ませたら、夜には天使と一緒にまた赤城山へ行こうと思っていた。天使のアドバイス通りにFDの足回りを変えたはいいが、まだ走りに出てはいなかった。早く試してみたかったのだが、何やかやと今日まで走りには出られなかった啓介であった。
天使は初めて訪れた場所に驚いた顔をしていた。けれど興味を惹かれるものがあるのか、整然と並ぶ書架に収められたたくさんの蔵書に見入っていた。
ふと啓介は周囲からの視線に気づいた。見回せばそう多くはない、けれど図書館中の人間が天使を凝視していた。無言の───けれど確かな憧憬の眼差しが、一身に天使に注がれていた。
それを当然に、また誇らしく思いながら、啓介は天使に話しかけた。
「いいぜ、好きに見てこいよ。でもここから外には出るなよ」
「───」
果たして文字が読めるのか不思議だったが、そう言われた天使は嬉しそうに図書館の奥へと進んでいった。複数の視線がそれを追っていったが、立ち上がる者もいずに、館内は静寂を保っていた。
平日の図書館は来館者も混み合うほどはいなく、啓介の遠い記憶にある通りの静かで落ち着いた場所だった。
それに安心して、啓介は目的の本を探し始めた。
しかしどこに天使の事が載った本があるのか皆目見当のつかない啓介は、うろうろと館内をあてもなく歩き回った。わからないなら図書館に勤務する司書に聞けばいいのに、こういった場所に縁のない啓介はそれさえも思いつかなかった。
そしてようやく『宗教』という表示のあるコーナーで、それらしき本を見つける事ができた。
「お。───あったあった」
とりあえず背表紙に『天使』の文字がある本の一冊を手に取り、喜び勇んで啓介はページをめくった。
「うっ……!」
開いた本はどのページにも、ぎっしりと文字が並んでいた。
余白などほとんどないその量にうんざりして、慌てて他の本を手に取ってみた。
しかしその他のどの本を取っても、どれもこれも大層読み応えのある本ばかりで、啓介は頭を抱え込んだ。
「これを読むのかよぉ……」
これも天使のためだ。そう思い直した啓介は、その本棚の天使に関する本の中では一番薄い、それでも充分に読み応えのある一冊を選んだ。
その一冊だけを手にし、啓介はさっさとその場所を後にした。これ以上ここにいたら、せっかく最近治まっている頭痛がまたぶり返してきてしまいそうだった。
そうして啓介は天使の姿を捜した。
しかし見回しても、どこにも天使の姿は見当たらなかった。
広い図書館の奥へと足を進め、そして啓介は足を止めた。
図書館の奥───窓から柔らかな春の日差しが降り注ぐ中、天使はそこにいた。書架の一つに背を預けて、静かに佇んでいた。
艶やかな黒髪もほっそりとした白い面差しも、先ほどと寸分変わった様子はなかった。
けれどその一角にだけ、まるで一枚の絵のような───その場所だけは時間が止まってしまったかのような、神聖な空気が満ちていた。
そしてその背に、隠しているはずの純白の羽が一瞬見えたような気がして、啓介は胸を突かれた。
何故だか声をかけるのがためらわれて、啓介は無言で天使を見つめ続けた。
そうするうちに視線に気づいたのか、ふと天使が顔を上げた。啓介を認めて微笑む天使に、啓介はぎこちない笑みを返した。
「……なに読んでるんだ?」
啓介は天使の傍らに歩み寄り、その手にしている本を覗き込んだ。大判の分厚いそれは美術書だった。よくは知らないが、啓介もむかし美術の教科書で見た事があるような、有名そうな絵画がたくさん載っていた。
「それ……」
そして天使が見ていたページの絵には、数人の天使の姿が描かれていた。
驚いた啓介が天使の顔を見ると、天使は一心にその絵を見つめていた。その表情は嬉しそうでもあり、寂しそうでもあり───言葉には言い表せない郷愁に溢れていた。
けれど啓介はそれを見ていられなかった。
天使の手から本を取り上げると、啓介はそれが収められていたであろう本棚のスペースに荒々しく押し込んだ。
「───?」
「帰ろう」
驚く天使に構わず、啓介はそのまま天使の細い手首を掴むと、力任せに外へ連れ出そうとした。
「……!?」
「いいから、もう帰るんだよ!」
身勝手な啓介の行動に、天使は自らの手を啓介から取り戻そうと抗った。その場で争う形になり、さすがに館内にいる人々も何事かと眉をひそめてそんな二人を見つめた。
けれど二人は互いに譲らず、ついに見かねた司書らしき一人の女性が啓介たちに近づいてきた。
「すみません、館内ではお静かに願います」
やんわりとだが注意され、啓介はようやく我に返った。そして自らを落ち着かせるようにため息を一つついてから、ゆっくりと天使の手首を離した。
それを確認し、注意した女性も自分の席へと戻って行った。
「……ごめん」
「…………」
啓介は短く謝ったが、もちろん天使からの返事はなかった。
天使の手首は啓介に強く握られたため、うっすらと赤くなってしまっていた。それにもう片方の手で触れながら、天使は啓介を見つめた。
天使の視線は非難がましいものではなかったが、戸惑いに満ちていた。
その無言の問いに啓介は答える事ができなかった。
「……俺、この本借りて行くから、先に車に戻っててくれ」
啓介は低い声でそうつぶやくと、FDのキーを天使に差し出した。
天使は驚いた様子でそのキーと啓介の顔を交互に見比べていたが、啓介の態度に何か考えるものがあったのか、ためらいながらもFDのキーを受け取った。
そうしてひとりで図書館を出て行く天使の後ろ姿を啓介は見送った。その姿はどこか寂しそうでもあった。
傍を離れるのにためらいは残ったが、それでも今は顔をあわせていたくなかった。
きっと啓介の顔は今、不安と嫉妬で歪んでいるだろうから。
そんな顔を、天使にだけは見せたくはなかった。
本を借りる手続きをしたわずかな時間の分だけ遅れて、啓介も図書館を後にした。
そして駐車場に止めたFDの元へ足早に戻った。
しかし、そこにいるはずの天使の姿はなかった。
慌てた啓介は周囲を見回した。するとアスファルトの上、FDのすぐ側に何かが落ちていた。
それは先ほど啓介が天使に手渡したFDのキーだった。そしてキーと共に何枚かの白い、鳥のものとよく似た羽根が落ちていた。
「まさか……」
キーとその純白の羽根を一枚拾いながら、啓介は呆然とつぶやいた。
慌てて頭上の空を見上げたが、そこには穏やかな午後の日差しが広がるばかりで啓介の疑問に答えてはくれなかった。
それでも啓介は天使を呼ぼうとした。
けれどそうしようとして初めて啓介は気がついた。名前を呼ぼうにも啓介は天使の名前を知らなかった。
「───……っ!!」
叫ぼうにも叫び様がなくて、啓介は手にした羽根を強く強く握り締めた。
図書館での天使の読書シーン。
目指したのは原作の扉絵にあった、涼介さまの読書する姿なのですが。
描写力の足りない自分が悲しい……(ーー;)
小説のページに戻る インデックスに戻る