DATE with an ANGEL・2
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   残暑も過ぎ去り、山では肌寒ささえ感じる九月末の夜───。
   車のスキール音の響く赤城山に、この日も黄色い車体のRX−7が走りに来ていた。な
  めらかな曲線の車体を誇る、FDと呼ばれるスポーツカーだ。
   FDは山頂の駐車場に停まると、その運転席から一人の青年が降り立った。
   高橋啓介だった。
   鋭い眼差し、気合を入れるようにセットした茶色の髪は、おいそれと他人を寄せつける
  タイプには見えなかった。
   整った顔だちはけれど笑うと意外にも親しみを感じさせる。そしてスラリとした長身は
  それだけでも人目を引くものがあった。
   一時は健康を損ない入院もしていた啓介であったが、今はすっかり元気になった。体つ
  きも細身ながらたくましく、健康そのものといった様子だった。
   もちろん大学にも無事戻ったが、啓介は元々勉強に勤しむタイプでもなく、愛車FDで
  毎晩走りに熱中する日々を過ごしていた。
   そしてFDの助手席からもうひとり、降り立った者がいた。
   涼介だった。
   透明感あふれる美貌は化粧の香りなど一切させていない。艶やかな黒髪、白い肌、その
  秀麗極まりない顔だち。その輝くような黒い瞳に見つめられるだけで、大抵の人間は言葉
  を失ってしまう。ただ立っているだけでも周りの注目を集めていた。
   細身の身体は啓介ほどのたくましさはなかったが、モデルのように均整のとれた身体だっ
  た。
   啓介は涼介に走り寄ると、周囲を見回した。
   夜空の下、赤城山の山頂には他にも沢山の走り屋たちの車が停まっていた。そしてそれ
  を眺めるギャラリーと呼ばれる者たちもそこここに居た。
  「今日もけっこう台数上がってきてるな。みんなよく飽きねーなあ」
  「啓介だってそうだろう」
  「だって楽しいじゃん」
   肩も触れ合わんばかりに寄り添って話す啓介と涼介は、楽しそうだった。
   タイプこそ違えど、それぞれ美形な二人が並んで立っている様はひどく周囲の注目を浴
  びていた。しかし周囲にいる沢山の走り屋やギャラリーたちを、二人ともまったく気にし
  てはいなかった。周りの人間たちも二人を気にしながらも、その親密な雰囲気に声をかけ
  る事もできずにいた。
   そこへ、啓介の友人である走り屋の史浩とケンタがやって来た。
  「二人とも、来てたのか」
  「啓介さん、……涼介さん、どーもっす」
  「よお、史浩。ケンタ」
  「ああ」
   明るく返事をする啓介と、それに短く頷く涼介。
   見るからに人を和ませる風貌の史浩が、まず口を開いた。
  「涼介も啓介に付き合ってよく来るな」
  「そうか?」
  「こんな所に来ていないで、家でゆっくり羽でも伸ばしたくならないか?」
  「別に───」
  「笑えねえ冗談言ってんじゃねーよ、史浩! それに俺は無理やり連れてきてなんかいね
  ーぞ」
   苦笑する涼介の言葉を啓介が苦い顔をしながら遮った。
   涼介は人間ではない。本来なら天上に住む者───天使だった。
   死期の近づいていた人間───病に冒されていた啓介を天国に連れていくために、神か
  ら遣わされたのだ。
   しかし啓介を迎えにくる途中で羽に怪我をしてしまった涼介は、すぐには天国へ帰る事
  も啓介を連れていく事もできなかった。
   そして逆に啓介に助けられた涼介は、啓介の走り屋仲間で医学生の史浩の治療を受け、
  羽の傷を癒したのだ。
   その間、啓介に心酔するやはり走り屋のケンタに、あろうことか涼介は悪魔に間違われ
  たりもした。紆余曲折の末にその誤解は解けたけれど。
   しかし涼介が羽の怪我を治す間に、逆に啓介の病が悪化した。
   けれど涼介は啓介を死なせたくなくなっていた。例え天国でも連れていきたくなかった。
   だから啓介の病気を治し、そのまま啓介の元へととどまったのだ。
   それが約半年前───今年の春の出来事だ。
   いま涼介は背中の羽を隠し、この地上で啓介の親が経営する病院の医師として働いてい
  た。
  「……そろそろ少し流してくるか。史浩たちはどうする?」
   鳴り響くスキール音を聞いているうちにじっとしていられなくなったのか、啓介が夜の
  峠を見つめながらつぶやいた。
  「俺はもうしばらくここにいるよ」
  「俺は啓介さんと一緒に走ります!」
   動こうとはしない史浩とは反対に、ケンタは勢い込んで言った。相変わらず啓介に心酔
  しているのは変わっていないようだった。
   しかし啓介は聞いているのかいないのか、返事もせずに涼介に向き直った。
  「じゃ、ちょっと流してくるな」
  「気をつけて」
   キスこそはしていないが触れ合わんばかりに顔を近づけ、涼介の腰に手で触れながら、
  啓介は涼介とのしばしの別れを惜しんでいた。それは他人に対するわずかばかりの配慮だっ
  たかもしれないが、端からはベタベタしている風にしか見えなかった。
   そんなシーンにはとうに慣れたとはいえ、やはり目の遣り場に困った史浩は、咳払いを
  一つして無駄とは思いつつも口を挟んだ。
  「啓介、そろそろ行ったらどうだ」
  「史浩、ここに残るんなら妙な奴が寄ってこないように見張っててくれよ」
  「あー、わかったから早く行けよ」
   そんな命知らずがいるものかとは思ったが、啓介を送り出すために史浩はとりあえずそ
  う返事をしておいた。それに安心したのか、啓介はようやく名残惜しそうに涼介から離れ
  た。
  「行くぞ、ケンタ」
  「は、はいっ!」
   ケンタに一声かけると、啓介はFDに乗り込んだ。ケンタも近くに停めてあった愛車の
  元へと慌てて走り寄る。
   ロータリーエンジンを響かせてFDは急発進した。ケンタのS14も慌ててその後に続く。
   二台の車はFDを先頭にして、夜の峠へと消えていった。
   史浩と涼介は、その様子をそれぞれ見送った。
   二台の激しいスキール音が他のそれに交じるほど遠くなってから、史浩と涼介は向きあっ
  た。
  「相変わらず、お前の事になると啓介は心配性だな」
  「そうか?」
  「そうだよ」
    涼介が赤城山にやって来るようになった最初の頃は、啓介が傍にいない間に声をかけて
  くる輩が後を絶たなかった。
   啓介や史浩たちとは違い、涼介は車には乗っていない。
   啓介のFDに乗って峠にやって来ても、涼介は啓介が峠を走る時にはその助手席からは
  ほとんど降りていた。ほんの時々、啓介に請われて同乗する程度だった。バトルともなれ
  ばそれもまったくなかった。
   その間、山頂の駐車場で啓介を待つ涼介に声をかけるチャンスは山ほどあった。
   声をかけてくるのは走り屋の男たち、そしてギャラリーの男たちだった。時には涼介を
  男と思った女もいた。
   車を愛して峠に集まってきた者ばかりであるはずなのに、車をそっちのけで涼介をナン
  パしてばかりいた。
   何しろ涼介ほどの美人が夜の峠に一人でいるとなれば、大抵の者が放っておく訳はなかっ
  た。それに赤城山の麓はラブホテルのメッカでもある。
   しかしそんな不埒な輩も、今ではすっかりなりを潜めていた。
   声をかけても涼介にはまったく相手にされないし、またそれを知った啓介に後で必ず痛
  い目にあわされていたからだ。
   そんな訳で啓介と涼介の親密さは、ここ赤城山の走り屋の間でも噂になっていた。
   啓介は赤城では間違いなく一番速い走り屋であったし、どのチームにも属していなかっ
  たが、その黄色のFDの走りを知らない者はいなかった。
   その啓介がそれまでほとんど誰も乗せたことのない助手席に、いきなり黒髪の美人を乗
  せてくるようになったのだ。それもほぼ毎日だ。
   別に峠で抱き合ったりキスしたりしている訳ではないが、いつも一緒のその親密な様子
  は周囲にはまるで恋人同志のようにしか見えなかった。
   「涼介」と、どう考えても男の名前で呼ばれていたが、涼介は男にしては線が細く体つ
   きも華奢だった。しかし女と言い切ってしまうにはその身体には女性的な丸みが欠けてい
  た。
   本当は涼介は男でも女でもない。天使に性別などないのだ。しかしそれを他の人間たち
  が知る由もない。
   そんな訳でここ赤城山の走り屋の間では、涼介はかなりボーイッシュでスレンダーな女
  性……なんだろうなあという、希望的観測が流れていた。
   当の涼介は周囲には気もとめず、史浩とともにFDの消えた夜の峠を静かに見つめてい
  た。
  


この話はフィクションです。あくまでフィクションで〜す(^^;)



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