DATE with an ANGEL・2




   この日の夜も、啓介と涼介は峠へとやって来ていた。
   何本か走り込んだ啓介は、いつもどおり山頂で待っていた涼介と合流した。先に走り込
  みを終えていた史浩もそこにいた。いつも啓介にひっついているケンタは用事があって今
  夜は来ていなかった。
   平日の夜という事もあり、走りに来ている車の台数も少なめというぐらいで、いつもと
  変わらぬ夜であった。
   そこへ───夜の闇を切り裂くように、複数のエンジン音が遠くから響いてきた。
   夜空さえも震わせるような激しい音。その中にはひと際激しいバックファイヤの音が交
  じっている。
   それは頂上に近づいてくるにつれ、集まっていた走り屋たちの意識をひいた。
  「なんだ……?」
   史浩のつぶやきは、その場にいた者たちの心情を代弁するものだった。
   十数人の走り屋たちが峠の暗闇へと目を凝らした。啓介と涼介も同じだった。
   そんな中、激しいエンジン音とともに数台の車が姿を現した。
   ランサーエボリューション───ランエボと呼ばれる車だった。
   世界の舞台で戦うために開発されたラリーベースの車。速さを追求するために徹底的に
  に無駄を削ぎ落としたそのコンパクトな車体。大型のリアウイングが人目をより一層引き
  つける、ハイパワーターボの4WD。
   突如現れたその異様な迫力に、走り屋たちの視線が集中した。
   上がってきた車の台数は五台。黒い車体のランエボを先頭にした一群は、激しくエンジ
  ンをふかしながら啓介たちの目の前に停まった。
   数台のランエボたちはエンジンを切りもせず、啓介や涼介たちの前で不気味な胎動を続
  けていた。ドライバーの姿はフロントガラス越しにはよく見えなかった。
   しかしどこか挑発的なその雰囲気に、啓介の眼差しがキツくなった。姿は見えないまで
  も、自分に向けて発せられている敵意を痛いほど感じていた。
   涼介は特に慌てもせず、その涼やかな眼差しを目の前のランエボたちへと向けた。
   一緒に居合わせた史浩は、揉め事は勘弁してほしいと内心思ったが、逃げ出さずにその
  場に残った。付き合いのいい、義理堅い男だった。
   そんな対峙がしばらく続いた後───黒いランエボのドアが開いた。
   中から降りてきたのは一人の男だった。
   まず目についたのはその顔だちだった。険しい目つきといかつい強面の顔。そしてその
  頭をタオルで包んで、後頭部で縛っている。
   身体は胸板も厚く筋肉質で、がっしりとした体格をしていた。
   ランエボから降りてきたのはこの男だけだった。後ろに続く車からは、誰も降りてこよ
  うとはしなかった。
   しかしその顔を見ただけで、涼介の態度に変化があった。
  「!!」
   男は啓介たちの前に悠然と歩み寄ってきた。しかしその視線は啓介と史浩を見ていない。
  三人の前で立ち止まると、涼介だけを見つめながら口を開いた。
  「久しぶりだな」
  「……京一」
   交わされたその短い会話に、驚いたのは啓介と史浩だった。
  「!」
   啓介の前で涼介と、京一と呼ばれた男は無言で見つめ合った。張り詰めたその雰囲気に
  啓介は咄嗟には口を開けなかった。
   この地上に走り屋の知り合いがいるなんて、史浩はもちろん啓介も知らなかった。
   涼介は半年前、啓介の元にやって来るために初めて天国から出たので、人間に知り合い
  など一人もいない筈だった。
   それともこの半年の間に、例えば病院とかで知り合った相手なのだろうか。けれどそん
  な話を啓介は涼介から一言も聞いてはいなかった。
   驚く啓介を思いやってか、史浩がその場の会話を促した。
  「涼介、知り合いなのか?」
  「涼介……? そんな名前で呼ばれているのか」
   男が笑った。低く太いその声は、どこか嘲笑うような響きが混じっていた。
  「……まあいい。いつまでこんな所にいるつもりだ。さっさと帰るぞ」
  「な……に言ってんだ、てめえ!」
   男のあまりの言動に、ついに啓介が叫んだ。
  「大体誰なんだよ、お前は」
   男は鋭い眼差しで、ようやく啓介を見つめた。その険悪な眼差しは、先程ランエボから
  感じていたものと同じだった。
   自分を睨み付けてくる啓介を鼻で笑うと、仕方ないといった態度で口を開いた。
  「俺か。俺は……お前たちのこの世界では『神』と呼ばれているな」
  「はあ!?」
   男の言葉は信じがたいもので、啓介は咄嗟には飲み込めないものだった。
  「お前、頭おかしいんじゃねーの? 何が神だよ───」
  「……本当なんだ、啓介」
   啓介の言葉を止めたのは、隣に佇む涼介だった。
   涼介は常から白いその頬を、どこか青ざめさせていた。
  「京一は、俺がいた天国の……主だ」
  「……!?」
   涼介の思いがけない言葉に啓介は絶句した。
   啓介は無神論者だ。神はもちろん仏も信じていない。新興宗教の勧誘なんてする奴はう
  さん臭くて、来れば殴りつけていた。
   けれど天使である涼介に会ってから、もしかして皆が神様と呼ぶ存在もいるのかなあと
  少し思い始めていたのだ。
   しかしその神様というのは───……。
  「何で神様がタオラーでエボに乗ってんだよ!?」
  「俺の趣味だ」
   京一は啓介をジロリと睨み付けると、その叫びにあっさりと答えた。それは簡潔明瞭す
  ぎて、啓介は咄嗟に二の句が継げなかった。
  「そんな事より───」
   京一は啓介からあっさりと視線を外すと、涼介を視線を注いだ。
  「休暇はとっくに終わっているんだ。なのに帰ってくる気配がないから、わざわざ俺が迎
  えに来てやったんだぞ」
   低い声音で、京一は言い放った。
   その高圧的ともいえる態度に、涼介の眼差しが厳しさを増した。
  「……俺は、帰らない」
   涼介も京一の目を真っ直ぐに見返して、言い切った。
  「俺はもう、天国に帰るつもりはない。ずっとここにいる」
  「馬鹿を言うな」
   涼介の言葉を京一は笑い飛ばした。
  「この地上のどこにも、お前の居場所なんかないんだ」
  「勝手なこと言ってんじゃねえ!!」
   京一のあまりの暴言についに啓介がキレた。
   話がいまいち見えないため、そうそう口を挟めなかったのだが、もう黙ってはいられな
  かった。
   京一と涼介の間に立ち塞がると、京一の方が啓介よりわずかに背が高いのがわかった。
   しかし啓介は怯まず、涼介を庇うように言い放った。
  「本人が帰らないってんだから、それでいいだろ! てめえ一人でさっさと帰れ!」
  「そうはいかない」
   啓介の怒声も相当の迫力があるのに、京一もそれに負けてはいなかった。
  「こいつは今は初めて知ったこの世界が新鮮で、夢中になっているだけだ。だがここは、
  俺たちの本来いる世界とは違いすぎる」
  「そんな事ねーよっ!」
  「そんな感傷はいつか冷める」
  「京一……」
   啓介の反論も京一は相手にしない。涼介は態度を硬化させたまま、けれど反論らしい反
  論もしなかった。その反応に京一はニヤリと笑った。
  「一週間だけ時間をやる。帰り支度をしておけ。いいな」
   言いたいはすべて言い終えたのか、京一はクルリと背を向けて歩き出した。
  「待てよ、この野郎───」
  「やめろ、啓介!」
   啓介はその背中に掴みかかろうとしたが、史浩に取り押さえられた。
   涼介は一歩も動かず、京一の背中をただ見つめていた。
   来た時と同じようにエンジン音を響かせて、悠然とランエボたちは去っていった。
   走り去るランエボを啓介はFDに乗り込んで追いかけようとした。けれどこんな状態で
  運転などしたら、何が起こるかわからない。
   涼介が動かないままなので、必死の思いの史浩がなんとかそれを押し止めた。


  「何なんだよ、あいつは───!!」
  「落ちつけよ、啓介」
  「落ちついていられるかよっ!」
   ランエボが走り去っても啓介の苛立ちはとても静まらなかった。苛々とポケットから煙
  草を取り出し、火をつける。
   そんな啓介をなんとかなだめているのは史浩だ。
   涼介はといえば強張った表情で、ランエボが消えた夜の峠を無言で見つめていた。
   仕方なく、口火を切ったのは史浩だった。
  「───涼介、一体どういう事なんだ?」
   史浩の一言に、涼介はようやく我に返った。
   その言葉に啓介も涼介を見た。
   二人の視線を受けて、涼介はわずかに考え込んだが───一つため息をつくと話し始め
  た。
  「……実は、休暇はとっくに終わっていたんだ」
   涼介は天使として天国へいた時、外の世界へ出た事はなかった。神である京一の許可が
  一度も下りなかったからだ。
   啓介を迎えに来るために初めて天国を出る許可が下りたのも、他の天使が全員出払って
  いたので仕方なくだった。
   自らの羽の傷が治り、啓介の病を治した時点で、もう啓介を天国へ連れていく必要はな
  くなったのだから、涼介は天国へと帰るはずだった。
   けれども涼介は帰らなかった。天国には休暇をもらい、この地上へ───啓介の元へと
   どまったのだ。
   しかしその休暇も、とっくに使い果たしてしまっていた。
   このままで済むはずがないと思いながらも、涼介は地上に居続けた。
  「でもまさか、京一本人が来るとは……俺も思っていなかった」
   重い口調で、涼介は啓介と史浩に事の顛末を話した。
   らしくなく歯切れ悪く話すのは、まさか神本人が天国を留守にしてやって来るとはさす
  がに涼介も考えてはいなかったからだ。
   そんな涼介の様子は、啓介も少なからずショックだった。
   とっくに吸い終わっていた煙草を捨て、苛々とした様子で二本目の煙草に火をつける。
  「……それで、どうするんだよ」
   啓介は涼介を見ないまま聞いた。どんな返事が返ってくるのか怖くて、とても涼介の顔
  を見ては聞けなかった。
   その答えはすぐに返ってきた。
  「帰らない」
   ためらいのない涼介の返事に、啓介は顔を上げた。
   涼介は真っ直ぐに啓介を見つめたまま、即答した。
  「俺はずっとここにいたい」
   この地上に───啓介の側に。啓介と一緒に。
  「うん……」
   その言葉に、啓介は手にしていた煙草を捨てて、涼介を抱きしめた。すると涼介も啓介
  の背中に手を回し、それに応えてくれた。
  「おいお前ら、ちょっとは場所を考えてだな……」
   ランエボが立ち去っても、山頂には赤城の走り屋たちがまだまだ残っていた。
   周囲をはばかろうともしない熱い抱擁にたまらず史浩が声をかけたが、啓介たちの耳に
  はまったく入らない。
   一緒にいた史浩だけが、周囲の視線に赤くなったり青くなったりしていた。
   つくづく苦労性な男だった。

  


神様の登場です。
神様、なんですう……(^^;)



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