DATE with an ANGEL・2




   週が明けた日曜日。秋晴れの空が広がっていた。
   休日の今日は病院も休みで、涼介は一日特に予定もなかった。
   涼介のために啓介が用意してくれた高橋家の二階の一室。ベランダに面したガラス戸を
  開けて、涼介は床の絨毯の上に膝を抱えて座り込んでいた。
   やわらかい秋の日差しが降り注ぎ、外気に触れていてもほんのりと暖かい。
   何をする気にもなれず、涼介はただ無為に時間を過ごしていた。
   啓介はまだ寝ているのか、自分の部屋から出てくる気配はなかった。
   このところ啓介の様子がおかしかった。
   真夏の太陽のように、いつも弾けるような明るさをたたえていた啓介であるのに、ここ
  しばらくは考え込んでいる事が多く、その口数も極端に減っていた。
   話しかけても無視される事はないが、明瞭な返事はほとんど返ってはこない。
   今までと同じ生活。同じ毎日。
   啓介と一緒に暮らす日々に変わりはないのに、それは今までとは確かに違う、ぎこちな
  い毎日だった。
   涼介は深いため息をついた。
   そんなつもりなど毛頭なかったのに、けれど啓介の知らないところで京一と会ったとい
  う事実が、啓介を傷つけた。
   でも今更それを消す事も、無かった事にもできなかった。
   沈んだ瞳で頭上に広がる青い空を見た。
   見上げた空のその遙か遠くには、かつて涼介の過ごした場所がある。そこを懐かしいと
  感じる気持ちは確かにあった。
   それなのに帰りたいという気持ちはまったくない。涼介自身が不思議に思うほどだ。
   天国は確かに素晴らしい世界だ。まばゆい光と静寂に満ちた、美しい───誰もがそこ
  へ導かれる事を望む場所だった。
   けれど涼介にとってはただそれだけの世界なのだ。
   それに天国に居た頃、涼介は苦しかった。
   涼介を天国から出そうともしない、京一の過保護さがたまらなかった。
   天国に比べたらこの地上は混沌、そして雑然としていて、その美しさは比べようもない。
   それでも地上には天国にはない自由があった。生きる者たちの力が感じられた。
   そして何よりも、ここには啓介がいる。
   啓介が涼介をこの世界へとどめているのだと、涼介は充分わかっていた。
   けれど神の力は絶対だった。京一が実行しようとする事を、例え涼介でも阻む事はでき
  ないのだ。
   どうすればいいのか、涼介の明晰な頭脳でもわからなかった。
   考え込んでいると、一羽の鳥がベランダの柵にとまった。白い体に翼だけが黒い───
  セキレイだった。
   小さなその鳥をぼんやりと見つめていると、同じ鳥がもう一羽飛んできた。
   二羽は柵に止まったまま涼介の様子を伺っていた。するとしばらくして片方のセキレイ
  が、涼介の肩に飛んできた。
   ちょこんと肩に止まると、涼介の耳元でさえずった。
   それは人間だったらわからなかっただろうが、天使の涼介にはすんなりと通じた。
  「……大丈夫。元気だよ」
   涼介が微笑んでみせると、セキレイはなおもさえずりを続けた。涼介は静かにそれに耳
  を傾けていたが、しばらくして少々驚いたような顔を見せた。
  「羽? ……あるよ、ほら」
    その言葉とともに涼介の背中に羽が現れた。鳥たちのその翼によく似た形をした、白い
  羽だった。
   二階の部屋に座り込んでいるために、周囲に人目はない。
  「そうだな。確かに久しぶりかも知れない……」
   涼介は鳥たちと会話を続けながら、その羽を思いきり伸ばした。
   この地上で暮らすようになって約半年、涼介が羽を使う事はまったくなかった。
  「別に、苦しくはないさ。仕方のない事だし」
   もう一羽のセキレイも涼介の身を案じてくれていた。涼介の肩に止まり、しきりに話し
  かけてくる。
   鳥たちの心遣いは涼介の暗い心を癒してくれた。
   そうするうちに、また別のセキレイが舞い降りてきた。
  「大丈夫だよ……」
   涼介はそうつぶやくと、膝の上で組んでいた自らの腕に顔をうずめた。
   なぜか泣きたいような気分だった。


   啓介が目覚めると、時刻はちょうど正午になろうという頃だった。
   悪い夢を見ていた訳ではない。けれど啓介はベッドに座り込むと、深いため息をついた。
   目覚めて何があった訳でもないのに、どうしようもない倦怠感が啓介を包んでいた。そ
  れは身体で感じているものではなかった。
   しかしいつまでもそうしているのにも疲れて、啓介は重い腰を上げた。
   パジャマ代わりのTシャツ姿のままで、啓介は部屋を出た。けれどすぐに足を止めた。
   向かいの涼介の部屋の前で立ち止まった。
   涼介はどうしているだろうか。
   このところ涼介とは殆ど話らしい話をしていなかった。別に避けてもいなかったが、何
  を話したらいいのかわからなかった。
   涼介に話しかけられても何も考えられない。考えようとすると京一と一緒に居た涼介の
  姿を思い出して、その度に胸が痛むのだ。
   どうしてランエボに同乗したのか、涼介から言葉は少なかったが理由は聞いた。
   だから啓介は涼介に対して怒っている訳ではない。もしも怒っているとしたら、それは
  京一に対してであった。
   啓介も薄々は感じていたが、涼介は人間である啓介よりも遙かに長い時間を生きている
  らしい。神であるという京一はその比ではないだろう。
   京一は殊更にそんな涼介との絆を見せつけようとしているようで、けれど啓介には何も
  できなくて───それが苦しいのだ。
   けれど現実には京一ではなく、涼介に気まずい態度をとってしまっている。
   それは啓介も充分に自覚があり、反省もしていた。
   そっと涼介の部屋のドアを開いた。
   視線を巡らすと、ベランダに向かい座り込む涼介の姿があった。そしてその周囲には何
  羽もの鳥が集まっていた。
   そして何より驚いた事に、涼介の背中には純白の羽があった。柔らかそうな一本一本の
  羽根は、光を浴びてほのかに輝いていた。
   天上の者である証のそれを伸びやかに広げた美しい姿は、啓介が普段忘れようとしてい
  た涼介の本当の姿だった。
   啓介は息を飲んだ。動揺して、掴んでいたドアノブを音をたてて握りしめてしまった。
   ガチャリという音に驚いた鳥たちは、一斉に飛び立ってしまった。その羽音に涼介も顔
  を上げた。
   飛び去る鳥たちの姿を見上げ、それから背後を振り返った。
   部屋の入り口に立ったままの啓介の姿を認めると、涼介は黒い瞳を見開き、慌てて羽を
  背中から消した。
  「啓───」
   涼介は啓介の名前を呼ぼうとしたが、その前に啓介は涼介の部屋から飛び出していた。
   部屋に残されたのは涼介と、床に散った数本の白い羽根だけだった。


  


皆様、どうぞ想像力を!
想像力を振り絞ってください〜!(^^;)


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