B meets B
11
すぐに良くなると本人も親も思っていたのだが、啓介の熱 は次の日も下がらなかった。それどころか熱だけではなく、 咳まで出るようになってきた。 「良くなんないわね、啓介……。ちゃんとおとなしく寝てたの? 布団から出てフラフラしてたんじゃない?」 「…………」 見ていたのかと疑いたくなる母親の指摘に、啓介は何も答 えず布団の中へもぐり込んだ。 「今日は学校休んで、一日寝てなさい。昼食は何か用意して おくから」 「うん……、ッ!」 ゲホゲホと咳き込みながら、啓介は返事をした。 「もうすぐ終業式でいくらでも学校休めるんだから、さっさ と治しなさいよ。……あらもうこんな時間なの!? じゃーね、 啓介」 小言をこぼしていた母親は、時計を見て慌てて啓介の部屋 を飛び出して行った。 「うるせえの……」 布団から顔を出さずに、啓介はつぶやいた。 けれど母は本来ならもっと早く家を出ていなければいけな いのに、今日は啓介のために出社時間を遅らせてくれたのだ。 朝食の支度はもちろん、いつもなら必要のない啓介の昼食 の用意までしなくてはならなかった。 そんな母親を助けるためにも、早く元気にならなくてはい けなかった。それはもう小さな頃から、啓介に染みついてい る習性のようなものだった。 そんな事をぼんやり考えていると、コンコン、と啓介の部 屋のドアがノックされた。 「は、はいっ」 返事をしながらノックの主が誰なのか、啓介にはわかって いた。今日この時間に家にいる家族は、母親の他には一人し かいなかった。 「……啓介?」 案の定、入ってきたのは涼介だった。 啓介が早く元気になりたいと思う、もう一つの大事な理由。 「具合、どうだ?」 「あ、全然大丈夫です」 「でも、いつもと声が違う……。喉、痛むのか?」 「ちょっとだけ、だから」 大丈夫だと言っても、痛めた声は誤魔化しようがなかった。 いつもよりも低い、嗄れたような声。 涼介はその美貌をひどく心配そうに曇らせた。 「俺も今日、休もうか?」 「え……」 「そしたら一日、ついててやれるだろ」 「大丈夫ですってば! そんな───一日寝てればすぐに治 ります。一人で全然へーきです!」 「……そうか?」 「はいっ!」 せっかくの涼介の申し出だったけれど、啓介は慌てて断っ た。そこまでしてもらう程の病気でもないし、それに何より ───涼介が傍にいたら、たぶんゆっくり休むどころじゃな いだろうから。 涼介はひどく残念そうだったけれど、啓介は辞退し続けた。 そうこうするうちに、階下から母親の声が響いてきた。 「涼介くーん、そろそろ出かける時間よ! 史浩君も待って るわよ!」 二人からそれぞれ言われて、涼介も渋々ながら登校する気 になったようだった。 「……じゃあ、行くけど」 「行ってらっしゃい」 「行ってきます」 啓介の部屋のドアを閉めて、それから階段を下りる音が段 々と遠ざかって行く。 しばらくして玄関の扉の音がした。涼介を起こしに来て、 そのまま待っていた史浩と一緒に出ていったのであろう。 その音を確認して、啓介はやれやれとベッドの布団の中で 気を抜いた。 啓介が寝込んでいると、涼介は気が気ではないらしい。 それは───とても嬉しかった。 けれど同時に済まなくもあった。だって啓介が寝込んでい ると、涼介まで元気をなくしていくのだ。 一日でも早く元気になろうと、啓介は布団の中で目を閉じ た。 昼前には夜勤明けの義父が帰ってきた。母から連絡がいっ たのか、疲れているだろうにわざわざ啓介を診てくれた。 案の定、風邪との診断で、食後に服用する薬を啓介に渡す と、義父は自らも寝室で休んだ。 母の再婚時、相手の職業が何だって啓介は構わなかったが、 初めて有り難いなあと感謝した。 その後、昼食をとった。もともと食欲はそんなに落ちてい ない。母親が用意してくれていった料理を平らげ、義父から もらった薬を飲んで、啓介はまた眠りについた。 エアコンを効かせた部屋は、初夏の暑さも感じさせず心地 いい。啓介は思う存分、安眠を貪っていた。 しかし夕方近くになって、いつもより早く涼介が帰ってき た。 「ただいま」 「あれ……涼介さん?」 眠っていた啓介は、半分寝ぼけた声で返事をした。 涼介は啓介の枕元に立つと、心配そうに顔を覗き込んでき た。 「体調、どうだ?」 「うん……大分いいです」 それは本当だった。薬が効いたのか熱も下がって、体は随 分楽になっていた。 「でも、声はまだ変だな。痛むのか?」 「うーん、まあ、ちょっとだけ……」 確かにまだ喉は痛んだ。けれど微かに痛むだけで、明日に はもう治るだろうと啓介は思っていた。 しかし聞いた涼介は、なぜか目を輝かせた。 「今日、学校で喉に効く物、教えてもらったんだ。それで買っ てきた物があるんだけど」 「え」 涼介が鞄とともに手にしていた、白いスーパーの袋。その 中をゴソゴソと探しはじめた。 「買ってきてくれたんですか?」 「うん」 涼介のその心遣いに、啓介は感動した。 飴か、それとも蜂蜜か……と、考えていた啓介の目の前に 差し出された物───それは啓介の予想を越えていた。 「ナニこれ……」 「見た事ないか?」 「いや、あるけど……」 スーパーに行けばすぐに見つけられる物だし、料理にもよ く使う物だった。しかし───。 「これが、喉にいいんですか……?」 涼介が差し出したのは、根生姜の固まりだった。 「これを口に含むと、喉の痛みもよくなるって」 言いながら涼介は、包んでいたパックから根生姜を大切そ うに取り出した。 「ほら、啓介」 涼介はそれを啓介の口許へと差し出した。 しかし手のひらとほぼ同じくらいの大きさの根生姜を差し 出されても、啓介は口を開ける事ができなかった。 「……あの、せめて皮は剥いて……」 「あ、そうか」 言われて初めて気がついたのか、涼介はちょっと待ってて くれと踵を返した。 啓介は慌ててベッドから身を起こして、それを止めた。 「ちょっと待って、俺が切るからっ!」 「いいよ。啓介は具合が悪いんだから」 「でもっ」 「すぐに切ってくるから、待ってろよ」 止める啓介には構わず、涼介は階下へと下りていってしまっ た。 「りょ……涼介さんっ!」 啓介の不安を煽る充分な時間をおいて、涼介は根生姜のか けらを幾つか、皿にのせて戻ってきた。 「はい、啓介」 皿を差し出す涼介の白い指は、十本ともきちんと揃ってい た。 それをまず確認して安堵してから、啓介は差し出された根 生姜へ目をやった。それは皮を剥いたというより、包丁で皮 ごと端を切り落とした風だった。 一片が三、四センチほどもある、立方体に切られた根生姜。 しかし生だし、何より生姜だし……あんまり口に含みたい 代物ではなかった。 「…………」 「啓介?」 しかし涼介はそんな啓介の心情には気づかないのか、優し い表情でそれを差し出していた。 ええいままよと、啓介は目を閉じてそれを口に含んだ。 「───!!」 「……どうだ?」 涼介に問いかけられても、啓介はすぐに返事ができなかっ た。 最初は、まずピリピリした。その刺激に耐えきれず、数回 咳き込んでしまった。 そして口に含んでいると、なんともいえない生姜の味が口 一杯に広がってきた。 『ま……まじぃ……』 でも我慢してそのままでいると、その味にも段々と慣れて きた。もちろん不味いのは変わらないけれど。 そうして意識を喉へ向けたのだが、不思議な事に喉の具合 に変化があったような───気がした。 気のせいかもしれないけれど、でも本当に、それを口に含 んでいると喉の痛みが少しだけ癒されるような感じがした。 頬張った固まりは随分と大きいけど。代わりにちょっと息 苦しいけど。 「……どうだ?」 「うん……。少し、楽になったかも」 モゴっと口ごもりながら、啓介はようやく涼介に答えた。 その一言に、涼介は不安げだった表情を途端に綻ばせた。 「よかった……!」 心底安堵した様子で、涼介のそんな顔を見ているだけで、 啓介も満足だった。 「寝てたの、邪魔してごめんな。ゆっくり休んでくれ」 「あ、はい……」 促されるまま、啓介は再びベッドへと横になった。根生姜 は口に頬張ったまま。 さすがに眠る前には、これを出さなきゃな───なんて思 いながら。 夢を見ていた。 夢を見ながら啓介は、自分でもこれは夢だとわかっていた。 夢の中ではなぜか涼介が、皿一杯に盛った柿の種を差し出 してくれた。 『はい、啓介』 綺麗な、啓介の大好きな笑顔とともに差し出されたそれ。 柿の種は特に好物ではなかったけれど、その笑顔に促され るまま、啓介は柿の種を一粒つまみ上げた。 そしてそれを、自分の口許に持っていった。 『いただきます』 涼介にそう言って、啓介はそれを口に入れた。 ───ガリッ、と。 その音は夢だというのに、やけにはっきりと啓介の耳に届 いた。 叫び声は、家中に響きわたった───。 「なっ、……なに!?」 「どうしたんだ!?」 キッチンで夕食の支度をしていた母と、夜勤明けで眠って いた義父は、叫び声を聞きつけて啓介の部屋へと飛び込んで きた。当の啓介は、二人と入れ違うように部屋を飛び出した。 「啓介!?」 母親の声がかけられたが、啓介は振り返らずに一目散に走っ た。向かったのは水道のある、二階の洗面所だった。 そこに辿り着いた啓介は、一心不乱に水を飲み続けた。二 人が追いついても飲んでいた。 「啓介、一体どーしたのよ?」 「具合が悪くなったのかい!?」 心配する二人には構わず、そのまま水を飲み続け───し ばらくしてようやく啓介は顔を上げた。 「……死ぬかと思った」 「どうしたのよ!?」 焦れた母親が怒ったように聞いてくる。 「……姜」 「なあに?」 「根生姜……噛んじまった……」 ───それから。 事の次第を啓介から聞いた母親は、呆れるより先に怒りだ した。 「何で眠っちゃう前に、根生姜を口から出さなかったのよ!?」 「……それは……」 出したくても出せなかったのだとは、母親には言えなかっ た。チャンスを伺っているうちに眠ってしまったのだとは。 「大体ねえ啓介、あんたは───」 「まあまあ、いいじゃないか。大事にはならなかったんだか ら」 怒りの収まらない母を、義父が宥めながら階下へと連れて いった。ホッとしてそれを見送ると、啓介はやれやれとその 場に座り込んだ。 根生姜はものすごい味だった。辛いというか苦いというか ───とにかく噛んだ瞬間に口に広がったのは、『刺激』そ のものだった。一瞬で目が覚めてしまった。 「あー……まいった」 思いっきり叫んだせいで、喉の痛みは前よりひどくなって しまった。 しかし一体何であんな夢を見たんだか───。 首を捻りながら立ち上がり、啓介は自室へと足を向けた。 そっとドアを開けて部屋の中を伺う。 そこには今の騒ぎにも気がつかず、ベッドの枕元に座り込 んで眠り続ける涼介の姿があった。 「ただの風邪、なんだけどなあ……」 体力には自信のある啓介だったが、つぶやく言葉はどこか 気弱なものだった。 |
これも、実話ネタです(−−;)
根生姜しゃぶりながら寝てしまい、柿の種の夢を見て、ガリッと……。
啓介じゃないですけど飛び起きましたよ!!(^^;)
いやもう参りました〜(−−;)>
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