B meets B
12





   一年で一番暑く、楽しみな───夏休みがついに始まった。
  元気になった啓介は、毎日毎日勉強に勤しむ───訳はな
 かった。友人たちと遊んだりそれまで以上に家事をさせられ
 たりと、何だかんだと忙しい毎日を送っていた。
  そしてもちろん高校生の涼介も夏休みであった。
  四六時中一緒にいる訳ではなかったが、家にいれば普段以
 上に涼介の顔を見る事ができた。啓介は毎年夏休みというも
 のが大好きであったが、この夏は今まで以上にその有り難み
 をかみしめていた。
  そんなある日の昼下がり、リビングのソファーに座りテレ
 ビを見ていた啓介は、あるCMに目をとめた。
  それはこの夏話題の、あるSF映画のCMだった。
 「お、いいなこれ……」
 「観たいのか?」
 「うわ!」
  わずかな時間ではあるがテレビ画面に見入っていた啓介は、
 いきなり背後からかけられた声に飛び上がった。
  振り返ると、そこには涼介が立っていた。
 「りょ、涼介さん」
 「映画に行くのか?」
  啓介の驚いた様子を気にする風もなく、涼介は静かに問い
 かけてきた。
 「いや、ただちょっと観てみたいって思っただけで───」
 「そうなのか……」
  啓介の返事に、涼介は何事か思案する顔をした。不思議に
 思った啓介がそのまま見つめていると、涼介はおもむろに口
 を開いた。
 「よかったら観に行かないか?」
 「えええっ!?」
  それは啓介にとって思いがけない申し出で、つい大声を上
 げてしまった。
 「観に行くって、この映画を?」
 「ああ」
 「涼介さん……と、一緒に?」
 「俺とじゃ嫌か?」
  まるで夢を見ているような気がして、啓介は何度も何度も
 聞き直した。
  それを不安に思ったのか、今度は逆に涼介が啓介に聞いて
 きた。
 「とんでもないっ!!」
  涼介の不安を打ち消すために、思いっきり啓介は首を横に
 振った。
  啓介の返事に安心したのか、涼介は嬉しそうな顔で啓介の
 座るソファーの隣に座り込んだ。
 「じゃあ、いつにしようか」
 「お、俺はいつでもいいです」
  そうして二人は話し合い、映画に行く約束を取り決めた。
  これは初めての───もしかしてデートってやつ? など
 と啓介は一人で胸をときめかせた。
  義理の兄弟なのだからそんな色っぽいものではないのだと
 はわかってはいるのだが、それでも心が浮き立つのは抑えら
 れなかった。
  しかしそんな平和な高橋家に、ピンポーンという玄関のチャ
 イムが鳴り響いた。
 「あ、誰か来た」
 「いいよ、俺が出るから」
  腰を浮かしかけた啓介を制して、涼介が一人玄関先へと向
 かった。
  そして玄関の扉が開くとともに、元気な声が響いてきた。
 「涼兄、こんにちはっ!」
  聞こえてきたのは可愛らしい少女の声であったが、それを
 耳にした啓介は苦虫を噛みつぶした様な顔をした。
  しばらくして涼介とともに案の定、緒美がリビングへとやっ
 て来た。
 「……なあんだ、啓兄もいたんだあ」
 「悪かったな」
  さり気なく失礼な事を言う緒美に、啓介はぶっきらぼうに
 答えた。
 「お前、せっかくの夏休みなんだから、うちになんか来ない
 でどっか行けよ」
 「せっかくの夏休みだからここに来てるんだもーん」
  涼介のいとこである緒美は、夏休みに入ってからというも
 の、ほぼ毎日高橋家へとやって来ていた。
  朝から来る日もあれば昼からの日もある。夏休みの宿題ま
 でちゃっかり持ち込んで、勉強を教えてもらうという名目で
 涼介を独り占めし、長時間居すわる始末だった。
  それも啓介には非常におもしろくなく、おかげで緒美とは
 (今に始まった事ではないが)ケンカばかりしていた。
  啓介と緒美、そんな二人のやりとりを微笑ましく見つめな
 がら、涼介は思い出した事柄を口にした。
 「啓介。さっきの話だけど、時間は十二時半でいいか?」
 「あ、はい」
 「なーに? 何の話してたの?」
  涼介と啓介の会話に緒美もしっかりと割り込んできた。
 「何でも───」
 「映画に行く話だよ」
  啓介は誤魔化そうとしたが、涼介は何の他意もなく年下の
 いとこの質問に答えた。
  その涼介の一言に、緒美は一瞬だがキラリと瞳を険しくし
 た。
  しかしすぐにそれを消すと、小学生らしくちょこんと涼介
 の隣に座った。
 「啓兄と二人で?」
 「ああ。来週の木曜日、高崎駅で待ち合わせして行くんだ」
 「……待ち合わせなの? 家から一緒に行くんじゃなくて?」
 「俺が午前中は用事があって出かけるからな。その方がいい
 と思うんだ」
 「ふーん……」
  涼介は緒美の質問に一つ一つ丁寧に答えた。それを止める
 術のない啓介は、一人で頭を抱えてしまった。
  きっと緒美は『一緒に行く』と言い張るに違いないと思っ
 たからだ。
  知らないでいたのならともかくも知ってしまったのなら、
 緒美が涼介と啓介を二人きりにする筈がなかった。
  そんな啓介の気持ちを知る由もなく、涼介はダメ押しの一
 言を切り出した。
 「緒美も一緒に行くか?」
 「りょ、涼介さんっ!」
  半分予想はしていたが、その台詞にはさすがに啓介も慌て
 ふためいた。
  しかし緒美の返事は、啓介の予想に反したものだった。
 「ううん、緒美はいいよ」
  あっさりと───緒美はそう言い切った。
 「行かないのか?」
 「うん。涼兄と啓兄の二人で楽しんできて、ね」
  涼介に笑顔で答えると、そのまま緒美は啓介にその笑顔を
 向けた。
 「…………?」
  一見無邪気にも見える、けれどもどこか意味深な笑顔に、
 啓介は背筋に悪寒が走るのを感じていた。


  次の週の木曜日、啓介は高崎駅へとやってきた。
  この駅の改札口の一つで十二時半に涼介と待ち合わせをし
 たのだが、少し早く着きすぎてしまったらしく約束の時間ま
 であと十五分もあった。
 「涼介さん、まだだよな───」
  周囲を見回しても涼介の姿はまだなかった。
  それに少しだけ安堵のため息をついて、啓介は改めて待ち
 合わせ場所に立った。
  今朝だって涼介とは顔をあわせたのに、何故だかドキドキ
 してしまいどうにも落ちつかない啓介であった。
  だって涼介と一緒に出かけるなんて初めての出来事なのだ。
 心がときめかない訳がなかった。
  映画館じゃ暗くなってしまうから涼介の顔を見る事はでき
 ないが、すぐ隣の席にずうっといられるのだ。まさか手なん
 か握っちゃまずいだろうけど、いやでも……などと、恋する
 啓介は真剣に考え込んでいた。
  そんな事を考えるうちに五分が過ぎ、十分が過ぎ───そ
 してあっという間に約束の時間になった。
  しかし約束の時間を過ぎても涼介は現れなかった。
  改札口を行き過ぎる人々の中を啓介が目で捜しても、どこ
 にも捜すその人の姿はなかった。
 「ま、もう少し待つか……」
  映画が始まるまでには、まだ少し時間がある。腕時計で時
 間を確認し直し、啓介は涼介を待った。
  しかしまた五分が過ぎ、十分が過ぎ───そしてあっとい
 う間に約束の時間から三十分が過ぎてしまった。
 「───遅いなあ、涼介さん……」
  まさか涼介の身になにかあったのかと、不意に啓介は不安
 になった。
  近くの公衆電話から家に電話をしてみたが、それには誰も
 出なかった。
  しかし啓介にはそれ以上打つ手がなかった。
  本当なら涼介と直接連絡をとりたかったが、生憎と啓介は
 もちろん涼介も、携帯電話を持ってはいなかった。
  啓介は実は前から持ちたかったのだが、母からは『自分の
 小遣いで何とかするならいいわよ』と常々言われていた。し
 かし中学生の小遣いで何をどうしろというのか。電話代の支
 払いだけなら何とかなるかもしれないが、他がどうにもなら
 なくなってしまう。
  母が再婚したからといって、啓介の毎月の小遣いは一円も
 アップしてはいなかった。
  ちなみに涼介も携帯電話を持ってはいなかった。
  義父と史浩いわく、涼介はたぶん持っても使いこなせない
 だろうとの事だった。本人も欲しいと言ったことは一度もな
 いようだった。
  しかし今さら何をどう言っても何にもならない。
  とうとう我慢しきれずに、啓介は涼介を捜し始めた。
  高崎駅は群馬県内でも利用者の多い、巨大な駅だった。そ
 の行き交う人々の中を啓介はとにかく走り回った。
  腕時計を見れば、約束の時間から一時間近くが過ぎようと
 していた。けれど探しても探しても、涼介の姿はどこにも見
 当たらなかった。
  一縷の望みを託して啓介は待ち合わせ場所へと再び戻った
 が、やはりそこにも涼介の姿はなかった。
 「いったいどーすりゃいいんだよっ……」
  啓介が困り果てたその時、ある構内アナウンスが啓介の耳
 に飛び込んできた。
 「○○町からお越しの高橋啓介くん。ご家族の方がお待ちで
 す。至急駅員室までお越しください。繰り返します、○○町
 からお越しの高橋啓介くん───」
 「───はあ?」
  啓介は呆然とそれを聞いていたが、それでも何とかすぐに
 正気を取り戻した。
 「……俺は迷子か!?」


  結局、啓介と涼介は高崎駅の駅員室でようやく会うことが
 できた。
 「涼介さん!?」
 「ああ、啓介」
  息せき切って駅員室に駆け込んだ啓介を迎えたのは、ひど
 く嬉しそうな涼介の笑顔だった。
 「よかった。改札口に行ってもいなかったから、何かあった
 のかと思ってたんだ」
 「え? だって俺、ちゃんと待ち合わせ場所で待ってました
 よ」
  驚き顔の啓介に涼介はまず謝った。
 「ああ、ごめん。俺がちょっと遅れたんだ。それで困ってい
 たら駅員さんにどうしたのか聞かれて、事情を話したらアナ
 ウンスしてくれたんだ」
 「遅れたって……どのくらい?」
  啓介の質問に涼介はしばし考え込んだ。
 「改札口に着いたのは……一時十分頃だったかな」
 「ってゆーと、───四十分?」
  四十分でちょっとかよと、啓介は肩を落とした。思いっき
 り疲れ果てていた。
  それでもとにかく、涼介に会えた事にだけは安堵した。


  当たり前なのだが、映画の上映時間には間に合わなかった。
  仕方なく二人は遅い昼食をとるためにファミレスに入った。
  けれど啓介はそれほど落胆してはいなかった。
  そりゃあ観たい映画ではあったけれど、啓介としてはそれ
 は半分以上出かけるための口実であって、涼介の顔を見てい
 る方がずっとずっと幸せだったからだ。
  しかし反対に、涼介は始終すまなそうな顔をしていた。
 「ごめんな、啓介。あんなに観たがってたのに」
 「いや、それは……別に気にしないで下さい」
  啓介がいくら言っても涼介は表情を曇らせたままで、食も
 進まないようだった。
 「改札口を出てから待ち合わせた所とは違うって気がついた
 んだけど、なかなか辿り着けなくて」
 「そーなん……ですか? え、でも───」
  頷きかけて、しかし啓介は気づいた。涼介が間違えて出て
 しまったという改札口から待ち合わせの改札口まで、どんな
 に多く見積もっても五分もあれば着くはずだった。
 「なんで───」
  なんで五分ぐらいの道のりを四十分も迷うのか。
  そこまで考えて、ハタと啓介の脳裏に閃いた事があった。
 「……涼介さん、俺たちが初めて会った日、遅刻して来まし
 たよね」
 「ああ、……あの時」
 「もしかしてあの時───」
 「うん。ホテルには着いたけど、三十分ほどレストランを探
 してた」
 「やっぱり……」
  恐る恐る問いただした啓介に対する涼介の答えは、案の定
 なものだった。
  それで緒美があっさりと引き下がった理由を、啓介はよう
 やく理解した。
  『待ち合わせ』をすると知った時点で、緒美にはこうなる
 事がわかっていたのだ。
 「あんのヤロォ───」
 「……ごめん」
 「あ、いやっ違う! 違います! 今のは涼介さんに言った
 んじゃないです!!」
  毒々しいつぶやきを自分に対するものと誤解して、涼介は
 ますます悲しげな顔をしてしまった。啓介は大慌てでそれを
 否定したが、まさか緒美に向けた言葉だとも言えずに、なか
 なか涼介に理解してもらえなかった。
  そんな啓介の耳にはどこからか、緒美の高笑いが聞こえた
 ような気がした。

 
  


40分道に迷ったのは、友人です(−−;)
場所は同人即売会でおなじみの高田馬場の春秋会館。
あの改札から1〜2分の距離を、彼女は40分迷ったそうです(^^;)
あの距離をどーやって……。不思議だわ〜(^^;)





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