B meets B
13





   夏真っ盛り───。
  学生たちにとっては正に毎日が日曜日。台風到来ももう少
 し先の話だ。
  しかしここ高橋家では一足早い台風が───それも超特大
 の台風が吹き荒れていた。
 「啓介、なにダラダラしてんのよ!! 夏休みだからってだら
 けてんじゃないわよ!!」
 「……はいはい」
  まだ気温の高い午後、自室でエアコンをつけてのんびり涼
 んでいた啓介であったが、その穏やかな一時は母親の怒声に
 打ち切られた。
  母親の会社もしばらく夏期休暇で、啓介はこれが当分続く
 のかとうんざりした。
  春先に再婚した母たちは、この夏休みに遅まきながら新婚
 旅行に出かける予定だったのだ。
  行き先はハワイ。迷う事もなく二人してすんなり行き先を
 決めていた。
  今時ハワイかよと啓介は思ったが、親の年代だと新婚旅行
 と言えばまだまだハワイのイメージが強いらしい。
  息子二人はおとなしく留守番の筈だった。
  それが出発前日になって、医者である義父の担当患者の一
 人の容体が急変して、いきなり取りやめとなってしまったの
 だ。
  たとえどれだけ楽しみにしていたとしても、人の命が関わっ
 ているとなれば旅行を優先させる訳にはいかない。謝る夫を
 笑顔で送り出した妻であったが、それから彼女の機嫌は最低
 最悪だった。
  そしてその被害は、もっぱら実の息子である啓介へと及ん
 でいた。
 「そーいえば夏休みの宿題! あんた少しはやってんの?」
 「まあ、少しは……」
 「どーせ最後の三日間にヒーヒー言いながらやるんでしょ!
 今のうちからさっさとやっときなさいよ」
 「…………ヒステリー
 「何か言った!?」
 「なっ、なんでもねーよ」
  機嫌の悪い母親はすぐにテンションを上げてくる。おまけ
 に耳聰い。
  当事者の義父はいまだ病院で、啓介はちょっとだけ帰って
 こないその人を恨めしく思った。
  でも今回の旅行がおじゃんになったのは啓介だって残念な
 のだ。旅行に行くのは親たちで啓介と涼介は関係はなかった
 が、実現していたらその間は二人っきりの毎日が過ごせたの
 だ。
  ちょっと緊張するけど、でもやっぱり嬉しいかも───な
 んて思っていたのに。
  啓介はひっそりこっそりため息をついた。


  夕方、啓介はやたらと気合を入れてキッチンへと立ってい
 た。
  相変わらず母の機嫌は最悪だった。それでも少しは分別も
 残っているのか、さすがに涼介には当たり散らしてはいなかっ
 たが、啓介はそれも時間の問題ではないかと心配だった。
  こうなったらもう食べ物で釣るしかない。
  夕食に母親の好物を取りそろえて、少しでも機嫌を良くし
 ようというのが啓介の作戦だった。
  そんな啓介の背中に、いきなり涼介が声をかけてきた。
 「俺も手伝うよ、啓介」
 「ええっ!」
 「ここんとこ毎食、啓介に支度してもらってるから、少しは
 手伝うよ」
 「涼介さん……」
  そう。夏休みに入ってから完全に、啓介は高橋家の食生活
 をまかなっていた。
  そんな啓介を気遣ってくれる涼介の気持ちは涙が出るほど
 ありがたかったが、逆にはたと困ってしまった。
  だってあの涼介に、一体何を手伝ってもらえばいいという
 のか。
 「涼介さん、気持ちだけで充分だから」
 「遠慮するな」
 「そーゆー意味じゃなくてぇ……」
  啓介はしどろもどろになりながら何とか涼介をキッチンか
 ら追い出そうとしたが、涼介はどうあっても啓介を手伝うと
 決めているようだった。
  悩みに悩んだ末、涼介には洗った食器を布巾で拭いてもら
 う事にした。それもちょっと食器の未来が心配だったのだが、
 包丁を持たせるよりは数百倍マシだろうと啓介は思ったのだ。
  ざく切りでいいから野菜を切ってもらおうかなともチラリ
 と考えたが、涼介では野菜よりも指を切ってしまう可能性が
 かなり高そうだった。この間の根生姜だって切り口はいびつ
 だったし、何より見事な大きさだったのだ。
  涼介の身を案じた啓介はそれだけは避けた。
  それでも二人で夕食の支度というシチュエーションは悪く
 はないものだった。
  啓介は緩みそうになる顔を必至で引き締めながら手際よく
 夕食の支度を進め、涼介は一生懸命な様子で茶碗を拭いていっ
 た。
  最近ようやく、涼介の側にいてもそう緊張する事が少なく
 なってきた啓介であった。
  そうこうするうちに、ふと思いついた事柄を啓介は涼介に
 聞いてみた。
 「母さんと結婚する前の義父さんって、どーだったんですか?」
 「どうって?」
 「約束しててもドタキャンになったり、家にもあんまり帰っ
 てこなかったりとか……」
  医者である義父はこのところ家に帰ってくる頻度が開くよ
 うになっていた。
  結婚当初は週に一日、多くても二日は帰ってこれない日が
 確かにあったが、それが最近は四日は当たり前という状態だっ
 た。
  そして今回中止になってしまった旅行。再婚者同士なのだ
 から何かあっても当たり前なのかもしれないが、ちょっと心
 配にもなる啓介であった。
  涼介は拭くのを止めて手にした皿を見つめながら、しばら
 く考え込んでいた。
 「どうかな……。俺は父さんとどこかへ出かける約束なんか
 した事ないし」
 「ええ? でも小さい頃なら───」
 「……覚えてないな。それに家にも……そういえば前よりは
 帰ってきてた感じだったけどな」
 「へえ───」
  それでは義父は義父なりに、母の事を大切にしているんだ
 と啓介は安心した。たとえ週半の分が病院泊まりになろうと
 も、新婚旅行に行きそびれても。
  ふと啓介は再婚前、涼介と父親はどんな風に暮らしていた
 のだろうと思った。
  一緒に出かけたような事はないような口ぶりであったが、
 もしかしてそんな約束をしても涼介が遅れてダメだったのか
 なと、そんな想像をした啓介であった───。


  夕食時、和洋折衷のめちゃくちゃな食卓であったが、さす
 がに好物がそろっている事もあり母親の箸が一番進んでいた。
 気持ちは荒れているが食欲はまた別のようであった。
  そして啓介の作戦が功を奏したのか、夕食後の母の機嫌は
 少しは良くなったようだった。
  そうでなければ啓介が腕を振るった意味がない。そうでな
 くても涼介が怪我をしやしないかとハラハラし通しで、そりゃ
 あ大変な食事の支度であったのだ。
  それなりに穏やかに夕食を終え、食後のお茶をという段に
 なって唐突にリビングの電話が鳴った。母親はリビングのソ
 ファーから動こうとはせずテレビを見ていた。啓介はお茶の
 用意で手が離せず、ごく自然に涼介がそれに出た。
 「はい、高橋です」
  電話に出た涼介は短い会話を交わしていたが、すぐに電話
 の子機を耳から外すとそれを義母へと差し出した。
 「義母さん、父さんから電話」
 「………………」
  受話器を差し出された本人は何か言いたげだったが、涼介
 から差し出されたそれをまさか拒否する訳にもいかず、渋々
 ながらも受け取った。
 「……───はい?」
  会話こそほとんどなかったが受話器の向こうからの話には
 耳を傾けている様子に、涼介はそっとその場を後にした。向
 かったのは啓介いるキッチンだった。
 「誰からの電話ですか?」
 「父さんから義母さんに電話」
 「え」
  なんというタイミング。せっかく上向きつつあった母の機
 嫌がまた悪くなってしまう。どうせなら夕食前にかかってく
 ればまだよかったのに。
  どうしたらいいんだと啓介が思った瞬間、リビングから母
 の声が響いてきた。
 「啓介ー! お茶まだー?」
 「……あれ?」
  母の声は啓介の予想に反して妙に明るかった。
  涼介とともに恐る恐る啓介がキッチンにお茶を運んでいく
 と、そこには受話器を置いてやたらと上機嫌な母親がいた。
 「……母さん?」
 「あ、ありがとね」
  明らかに先程までとは様子の違う母親は、浮かれた様子で
 啓介の手からお茶を受け取った。
  そんな様子を特に気にする風もなく、啓介から見れば果敢
 にも涼介が口を開いた。
 「父さん、何て言ってました?」
 「んー……」
  一瞬迷った風であったがそれはあくまでポーズだったらし
 い。彼女は頬をほんのり染めながら、すぐにその理由を教え
 てくれた。
 「……年末年始にね、今度こそ旅行に行こうだって!」
 「ホントですか、義母さん」
 「…………」
  なんてわかりやすい性格なんだと、啓介は自分の事は棚上
 げして呆れ果てた。
 「行ってもいいかな、涼介君」
 「もちろんですよ。楽しんで来てください」
 「ありがとうね」
 「……母さん、俺には聞かねーの?」
 「え? ああそっか。いいわね啓介」
 「…………」
  まるきり啓介を無視して話を進めていた母親であった。
  啓介が反対するなどとは夢にも思っていないらしい。
 「なあに? その何か言いたげな顔は」
 「どーぞどーぞ!」
  もちろん反対するつもりなどなかったが、少しは実の息子
 にも気を使えよと、啓介は内心ちょっとぐれていた。
  啓介だってあれこれと母親に気を使ってたのに、それを電
 話一本でこうも簡単に機嫌を直すとは───素直によかった
 と思えない啓介であった。
  逆にすっかり機嫌を良くした母親は、つけっ放しにしてい
 たままだったテレビを見始めた。
  画面に映し出されているのは、よくあるいわゆる身の上相
 談番組だった。
  悩みを持つ視聴者が出演し、再現フィルムを交えて悩みを
 相談(?)し、芸能人たちがなんやかやと解決策らしきもの
 をコメントする───そんな番組だった。
  今日の相談者は一組の夫婦。なんでも息子と娘を連れたバ
 ツイチ同志が再婚したらしいが、最近になってその子供同志
 が結婚したいと言いだしたとの相談だった。
  二人とも既に成人しているし、血の繋がりもないし法律上
 も問題ないのだが、やはり世間体が悪いらしい。
 「母さん、こんなの好きなのかよ」
 「他の番組見たけりゃ、自分の部屋で見なさいよ」
 「そーじゃねーけどさ」
 「だったらいーじゃない。ふーん、義理の兄妹が結婚ねえ…
 …」
  興味津々といった風に母は座っていたリビングのソファー
 から身をのりだした。涼介は涼介で、やはり啓介の煎れてく
 れたお茶を飲みながらぼんやりとテレビを見ていた。悪趣味
 だなあと思いつつ、啓介もソファーに腰を下ろしてお茶を口
 にした。
  緒美もいない今夜はもちろん涼介の隣をキープし、ようや
 く訪れた穏やかな一時であったのだが───……。
 「涼介君と啓介も、どっちかが女の子だったら結婚できたの
 にね」
 「───!!」
  母親の唐突な一言に、口にしていたお茶を思いっきり吹き
 出した啓介であった。
 「やだもう啓介、なにやってんのよ!? きったないわね!!」
 「啓介!?」
  母親は当たり前だが飛び退き、涼介は驚きで目を丸くした。
  しかし一番びっくりしたのは啓介だ。
 「なっ……なに、いってんだよ……かーさん───」
  ゲホゲホと咳き込みながら啓介は涙ながらに訴えたが、そ
 れを母親は軽く受け流した。
 「冗談に決まってるでしょ」
 「──────」
  なんだ冗談かと、啓介は脱力した。
  ───結婚。
  啓介と涼介じゃとてもじゃないが結婚などできない。血は
 繋がってないとはいえ、兄弟だし、何より男同士だし。
  でもでも、ちょっといーかも───……。
 「啓介?」
 「あ、いや何でもないっ」
  不埒な物思いが伝わった訳ではないとは思うが、咳き込む
 啓介の背中を摩ってくれていた涼介が怪訝な顔で覗き込んで
 きた。
 「ま、もしそーなってもあたしは反対しなかったけどね」
  そんな二人の様子を見ていた母親は、無責任にもまた口を
 開いた。
 「残念だったわね、啓介。涼介君が女の子だったら、すっご
 い綺麗な女の子だっただろうにね。それとも料理がうまいか
 ら、あんたが女の子の方が良かったかもね」
 「かっ、母さん───」
  先程の電話で母の機嫌が極上になったのは良かったが、口
 の方もかなり饒舌になってしまっているようだった。
  お願いだから黙ってくれと啓介は咳き込みながら───け
 れど母親を止める術は持っていなかった。
  涼介はわかっているのかいないのか、一人で目を瞬かせて
 いた。

 
  





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