B meets B
15





 
  ある快晴の日曜日。
  涼介に連れられて、啓介は近所にある史浩の家に遊びに行っ
 た。
  史浩の家は高橋家から歩いて数分の距離であったが、啓介
 が訪れたのは初めてであった。
  史浩の家は同じように閑静な住宅地の一角にあった。大き
 さこそ高橋家の方が大きくはあったが、建物も庭もよく手入
 れの行き届いた一戸建てだった。
 「へー……。史浩の家ってこんなに近かったんだ」
 「そうか。啓介は来るの初めてだったよな」
  涼介が玄関のチャイムを鳴らすと、しばらくしてドアがそっ
 と開いた。
  しかし出迎えてくれたのは史浩ではなく、まだ小さな女の
 子だった。
  四〜五歳くらいのその子供は顔を上げて涼介の顔を見ると、
 パアッと表情をほころばせた。
 「あっ、にーにだ!」
 「こんにちは、直ちゃん」
 「にっ……にーにィ!?」
  驚く啓介の前で、その小さな女の子は涼介に手を伸ばした。
  涼介も膝を折って、彼女の小さな手が首元に回るようにし
 てやった。
  ニコニコと喜ぶ子供をあやすように優しく抱き上げながら、
 涼介は啓介を振り返った。
 「ほら啓介。可愛いだろ」
 「涼介さん、その子って……」
  答えを涼介から聞く前に、家の奥から史浩がのんびりと出
 てきた。
 「よう。涼介、啓介」
 「やあ、史浩」
 「史浩……」
  にこやかに挨拶する涼介と少々戸惑い気味の啓介。そんな
 啓介は、さっそく史浩に質問を投げかけた。
 「史浩、この子誰だ?」
 「ああ、啓介は会うの初めてだったな」
  涼介の腕から女の子を受け取ると、史浩は改めて二人に向
 きあった。
 「俺の妹の『直子』だ」
 「へえぇ……。史浩、妹いたんだ」
  啓介は史浩に一歩近づくと、屈んでその子に顔を近づけた。
 「直ちゃん、幾つになるんだ?」
  人見知りする質なのか、初めて会う啓介から逃げるように
 史浩の首をぎゅっと抱きしめた。それを見て涼介も少し屈ん
 だ。
 「直ちゃん、大丈夫だよ。この子は俺の義弟の啓介だよ」
 「おとーと?」
 「そう義弟。ほら、直ちゃんが幾つか教えてあげて」
 「……よっつ」
  紅葉のような小さな手の指を四本立てて、恥ずかしそうに
 啓介に教えてくれた。
  啓介は特に子供好きでもなかったが、史浩の妹のその仕草
 はひどく可愛らしく微笑ましかった。
 「可愛いなあ、直ちゃん。史浩とはちっとも似てねーな」
 「悪かったな」
  悪びれず素直な感想を述べる啓介に史浩はわずかに眉をひ
 そめたが、本人もそう思っているのかそれ以上の文句は言っ
 てこなかった。


  日曜日の今日、史浩の両親はそろって出かけているそうで、
 いま家に居るのは史浩とその妹、涼介と啓介の四人だけだっ
 た。
  ジュースを飲みながら、啓介は史浩とリビングで話をし、
 涼介と史浩の妹はリビングの隣の畳に部屋で遊んでいた。
 「最近どうだ? 家の中はうまくいってるのか」
 「うーん、それなりにはな。義父さんと母さんはまあ仲いい
 し、俺はとにかく食事作って───」
 「すっかり主婦してんなあ……」
 「なんだとお!」
  史浩の言葉に啓介は怒ったが、史浩はそれをまあまあと押
 しとどめた。
 「怒るなよ。涼介はお前の作るメシは美味いってほめてたぜ」
 「え、ホントに?」
 「ホントホント」
 「ふ、ふーん……」
  事柄はともかく、涼介がそう言ってくれていたことは嬉し
 かった。食事を作るのにも気合が入るというものだ。
  涼介が喜んでくれるなら、そして涼介に料理をさせないため
 にもがんばろうと啓介は思った。
  そうこうするうちにふと、二人は隣の部屋の異変に気づい
 た。仲良く遊んでいたはずの涼介と史浩の妹の二人であった
 が、聞こえていた子供のはしゃぎ声がいつの間にかなくなっ
 ていた。
 「…………涼介さん?」
  啓介がそっと隣の部屋を覗くと、その静けさの原因はすぐ
 にわかった。
  子供の玩具を部屋一杯に散らかしたその真ん中。二人は寄
 り添うようにして横になっていた。
 「やべーよ、史浩。涼介さん寝ちゃったよ」
 「あー、直まで……」
  二人の寝息はスヤスヤと健やかだった。史浩の妹はもちろ
 んなのだが、涼介の寝顔もまるで子供のように幼く見えた。
  その幸せそうな寝顔はとても起こすには忍びなかった。
 「……まあいいさ。そのうち起きるだろ。涼介は別として」
  最初から諦めている史浩の一言に、心から頷いた啓介であっ
 た。


  一時間経っても二時間経っても、二人は眠ったままだった。
  待ちくたびれた啓介と史浩は、散らかったままだった玩具
 をかたずけると啓介は涼介の隣に、史浩は妹の隣にそれぞれ
 陣取った。
 「よく寝るなあ。直ちゃんも寝るの好きなのか?」
 「いや。いつもなら一時間ぐらいで起きるんだけどな」
  人肌があると安心して眠れるのかなと史浩は独りごちた。
  涼介がよく眠るのは、いつもと変わりないよなあと啓介は
 思った。
  しかしこのままでは何時まで眠りつづけるかわからない。
 仕方ないと史浩は決断した。
 「そろそろ起こすか。涼介はともかく、直が夜に眠れなくなっ
 たらマズイ」
 「お、おう」
  啓介は涼介に改めて向き合った。
  涼介は相変わらず静かに、幸せそうに眠っていた。
 「涼介さん……涼介さんってば」
  隣の子供に気を使って最初から大声を上げるのは避けたが、
 それぐらいでは涼介は瞼さえ揺らさなかった。
 「涼介さん!」
  思い切って大声を出してみたが、それでも状況に変化はな
 い。ダメもとでと啓介は思いっきり肩を揺すってみたがやは
 り同じ。
  わかってはいたことだったが、啓介が起こしても涼介は何
 の反応も返さなかった。
 「やっぱりな……」
  肩を落とす啓介の傍らで、史浩も妹を起こした。
 「直。そろそろ起きろ」
  史浩の呼びかけに、小さな妹はすぐに身じろいだ。
 「直。おい、なーお!」
 「……んん」
  史浩に起こされた妹は、そうして目を覚ました。
  まだ眠いのか両手でやたらと目をこすっていたが、寝起き
 は悪い質ではないのかすぐにぴょこんと起き上がった。
  それを羨ましく眺めながら、啓介は史浩に泣きついた。
 「史浩ォ。涼介さん起きねーよ」
 「ま、こいつはいつもの事だ」
  苦笑する史浩は起きた妹を膝に乗せて、今度は涼介に向かっ
 た。
  そこで啓介はハタと気づいた。
  毎朝、史浩が涼介を起こしているが、その現場を啓介は見
 たことがなかった。
  どうやったら涼介をすんなりと起こせるのか。啓介は何度
 も史浩に聞いたが、史浩はその方法をかけらも教えてくれな
 かった。
  けれどもこの状況だったら、その現場をこの目で見れるで
 はないか。
  史浩は何事か考え込む風であったが、チラリと啓介を見た
 かと思うとやれやれとため息をついた。
 「……まあいいか」
  思いがけないチャンスに啓介はやったぜと拳を握りしめた。
  しかし次の史浩の一言に、啓介は思いっきり肩透かしをく
 らってしまった。
 「ほーら直。涼介を起こしてこい」
 「おっ、おい史浩!」
  お前が起こしてくれなきゃ起きないだろと喚く啓介だった
 が、史浩はほらと妹の背中を後押しした。
  促された彼女は涼介の傍らにちょこんと座り込むと、両手
 を畳についてまるでお辞儀をするようにして涼介の耳元に顔
 を近づけた。
 「にーに」
  可愛らしい声が涼介を呼んだ。
 「にーに、おっきして」
 「…………ん」
 「えええっ!?」
  啓介は我が目を疑った。
  涼介がこんなすぐに目を覚ますなんて啓介は初めて目にし
 た。目の前で起こった出来事なのに、信じられなかった。
  けれど涼介は確かに目を覚ますと、ゆっくりと上半身だけ
 起こした。
 「おはよう、直ちゃん」
 「おはよ」
  頭を撫でられて嬉しそうに笑う史浩の妹であったが、その
 兄は少し渋い顔をしていた。
 「何がおはようだ、涼介。もう夕方だぞ」
 「悪い。つい眠くなって……」
  涼介は史浩とは反対の自分の傍に座り込んだ啓介の方を向
 いたが、その顔を見てすまなそうな顔をした。
 「啓介もゴメンな」
 「いや、俺は別に───」
  歯切れ悪く答えた啓介であったが、それは別に涼介に腹を
 立てている訳ではなかった。
  目の前の出来事を信じられず、啓介の心中は未だにパニッ
 クに陥ったままであったからだ。
  縋るように史浩を見れば、史浩は肩をすくめて笑っていた。
 「ま、そういう事だ。わかっただろ」
 「わっかんねーよっ!」
  とにかくこの時の啓介にわかったことは、史浩といいその
 妹といい、この兄妹はただ者ではないのかも───というこ
 とだった。


  帰り際になって、涼介は史浩の妹とさよならの挨拶を交わ
 していた。
  けれど彼女は久しぶりに会えた涼介が帰ってしまうのを嫌
 がり、涼介もそれを突き放せず、なかなか帰れずにいた。
  それを待つ間、啓介と史浩は玄関で立ち話をしていた。
 「直ちゃん、やけに涼介さんに懐いてるな」
 「涼介が可愛がるからだろう」
 「ふーん……」
  涼介がそんなに子供好きだとは知らなかった。
  啓介がそうつぶやくと、史浩からはそれはちょっと違うと
 の返事があった。
 「あれは子供好きってよりも、どっちかと言えばシスコンに
 近い」
 「シスコン?」
 「涼介がいとこの緒美ちゃんを可愛がってるの、お前も知っ
 てるだろう? あれもそんなものだ」
 「そうなのか……」
  確かに緒美と涼介の場合、一方的に緒美が涼介を好きなだ
 けじゃなく、涼介も緒美を可愛く思っているのを啓介も知っ
 てはいたが───。
 「涼介が聞くから、直の話もよくしたしな。もしかしたら自
 分の妹みたいな感じがあるのかもな」
 「話? 話って───」
  史浩に問いただそうとして、そこで啓介の勘がピンと働い
 た。
  それを確かめるべく、恐る恐る口を開いた。
 「……もしかして、直ちゃんと一緒にお風呂に入った話とか」
 「ああ」
 「寝間際に本読んであげた話とか」
 「そうそう」
 「添い寝した話とか───」
 「よくわかるなあ啓介」
  次々と言い当てる啓介に、史浩は珍しく驚いた様子だった。
  しかし啓介の声はあくまで暗かった。
  そして何を思ったのか、突然史浩の胸元を掴みかかった。
 「史浩ォ!!」
 「うわっ、何だよ啓介」
  史浩はそれを振りほどこうとしたが、啓介はますます腕に
 力を込めた。
  涼介の『兄弟』に対する感覚がどうも妙だ妙だとは思って
 はいたが、その理由がようやくわかった。史浩とその妹の関
 係を、すべてそのまま自分たちに置き換えていたのだろう。
  つまり認めたくなんかないが、涼介にとって啓介は史浩の
 妹と同じなのだ。四歳児と同じだということだ。
 「お前のせいで……」
 「なに?」
 「お前のせいで、俺はなあ───……っ!!」
 「お、おいっ! 落ちつけ啓介!!」
  史浩の胸ぐらを掴んだまま、啓介は悲痛な叫び声を上げた。

 
  


史浩の妹はもちろんオリキャラです。
あんまりオリキャラに名前はつけないようにしてるのですが、
この子だけはちょっと名前がないと辛いので、つけちゃいました。
違和感がないといいんですけど〜(^^;)





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