B meets B
16
楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうもの。 一ヶ月以上続いた夏休みも、ついに今日一日で終わろうと していた。 そして啓介の目の前には、手つかずの宿題がまだ半分以上 残っていた。二日前から自室にこもって頑張っているのだが、 まだまだゴールには程遠かった。 「啓兄、大変そうだね」 「嬉しそうだな、お前……」 今日も今日とてやって来た緒美が、心配そうに啓介を見つ めて言った。 乱れているようでいて、いつもきちんとセットされている 髪はボサボサ。顔色も悪く、目の下には深い隈が刻まれてい た。そんな疲れ果てた様子の啓介に、緒美は労るような笑み を向けた。 「啓兄が大変なのに、緒美が喜ぶわけないじゃない」 嘘つけと、啓介は内心で毒づいた。 しかし今、この部屋には涼介がいる。緒美が本性を出す訳 がなかった。今まで足を踏み入れた事のない啓介の部屋に入っ てきたのも、涼介がいるためだろう。 「お前はもう終わったのかよ」 「うん、もうとっくに!」 答える緒美の顔は晴れやかだ。 それはそうだろう。涼介に会いたいがために、ほぼ日参で やって来ていた緒美の手には、口実代わりの宿題が必ずあっ たのだから───終わってない訳がなかった。 緒美は啓介に構うのに飽きたのか、涼介に歩み寄るとその 隣の床にちょこんと座り込んだ。 「……涼兄は何してるの?」 「読書だよ」 涼介はその言葉通り、一冊の本を手にしていた。 緒美が首を傾けて背表紙を見ると、そこにはどう見ても少 年少女向けファンタジー小説といった風のタイトルがあった。 涼介が本を読む姿は別段珍しくなかった。けれど手に持っ ている本の内容は珍しかった。 「涼兄にしては珍しいの読んでるね」 普段の涼介はフィクションよりも、記録などのノンフィク ション物を好んで読んでいた。 「啓介の本だから」 「え?」 「読書感想文を書くんだって」 涼介の返事に、緒美はしばらく考え込んだ。 「……もう書いていらなくなったから、借りてるの?」 「これから書かなきゃいけないから、俺が読んでるんだ」 「えーっ! 啓兄のお手伝いしてあげてるの!?」 「ちょっとだけな」 緒美は驚いて大声をあげた。 「だって宿題って、自分でやらなきゃ意味ないんだよ」 「うるせーぞ、緒美!」 耳の痛い、もっともすぎる正論だった。母親にもそう昨晩 叱られていた。 しかしもう手段を選んでいる余裕など、今の啓介にはない のだ。 「涼兄、いいの?」 「このままじゃ啓介、徹夜になっちゃうだろ? 夕べもその 前も徹夜だったし」 緒美の言葉に、涼介は苦笑しながら答えた。 「だから、少しだけな」 「涼介さん……」 涼介の優しさに、啓介は目を潤ませた。 毎年八月の終わりには、助けてくれるのなら悪魔にでも魂 を売ってやると思っていた啓介であった。でも一度も現れた 事などないので、毎年泣く泣く一人で頑張っていた。 大体何で休みなのにこんなに宿題が出るのか。学生の本分 は確かに勉強かもしれないが、休みには休ませろと埒もない 事をイライラと考えながら。 けれど今年は違っていた。悲惨な状態の啓介を見かねて、 涼介が手伝うよと言ってくれたのだ。その瞬間、啓介の目に は涼介が、悪魔どころか天使に見えてしまった。 そこで遠慮なく苦手な読書をお願いしたのだ。 英語や数学のプリントとか、やっかいな物は他にも幾らで もあったが、筆跡が違うのでさすがにそれは頼めなかった。 けれど───。 「涼介さん、ここわかんないんだけど……」 「ん?」 わからない問題があれば、涼介は丁寧にわかりやすく教え てくれた。 「もう……涼兄ってば甘いんだからあ」 さすがに今日は構ってもらえそうもなくて、緒美は面白く なさそうに頬を膨らませた。 それでも今がいかに緊迫した状態かわかったのか、緒美は 涼介の隣に座り込んで、おとなしく本を読み始めた。 啓介のためというより、ただ単に涼介の傍に居たいがため に。読んでいるのは涼介の部屋から借りてきた本だった。 部屋の中には啓介がシャーペンを走らせる音と、涼介たち がページをめくる音しか聞こえなかった。 そんな状態がしばらく続いて───啓介はまたわからない 問題に出くわしてしまった。 「涼介さん、ここ教えてほしいんだけど───」 プリントに向き合ったまま啓介はつぶやいた。 しかし、涼介の返事はなかった。 「涼介さん?」 不思議に思った啓介が顔を上げると、そこには───眠る 涼介がいた。 床に座ったまま、膝に本を置いたまま、読書の姿勢のまま で眠っていた。さっきまで確かに起きていた筈なのに。 「りょ……」 そのあまりの寝付きの良さに、啓介は絶句した。 「あー、寝ちゃったね」 傍らにいた緒美も涼介の様子に気づいて、読んでいた本か ら顔を上げた。 「無理ないよ。これ、涼兄の好きそうな本じゃないもん」 「俺が選んだんじゃねえ! 文句ならこれを選んだ奴に言え よっ!」 本は学校の推薦図書だった。啓介だって全然好きじゃない というか、ハッキリ言ってしまえば読書自体が大嫌いだった。 本を開いて活字をちょっと目で追っただけで、頭痛がして くるくらいだった。 しかし読書感想文の提出は始業式当日、つまり明日だった。 まだ明後日の提出なら少しは余裕もあったが、この課題は何 としても今夜中に終えておかなければならなかった。 だからこそ、涼介に助けを求めたのだ。 「涼介さん!」 無駄だと知りつつ、啓介は涼介を呼んだ。 「起きてくれよ、涼介さんっ……!!」 しかしというかやはりというか、涼介は起きなかった。 こうなった以上、啓介に残された手段は一つしかない。 啓介は立ち上がると、足早にドアへ向かった。それを緒美 が呼び止めた。 「どこ行くの?」 「電話してくる」 「誰に?」 「史浩に電話して、涼介さん起こしに来てもらうんだよ」 もうそれしか方法はなかった。 でも果して史浩は家に居るのか、ちょっと不安だった。 啓介のように宿題をためこむタイプにも思えないし、もし かしてどこかへ出かけてしまっているかもしれない。 史浩がいないのなら、妹の直ちゃんでもいい。でも史浩が 直ちゃんを連れて遊びに行ってしまっていたら、もう打つ手 は残っていない……。 疲れ果てていた啓介の思考は、限りなくマイナス方向へと 流れつつあった。 どっちでもいいから居てくれと、啓介が祈りながら部屋を 出ようとした時、緒美が呑気に啓介を呼び止めた。 「電話なんかしなくても、大丈夫だよ」 「え?」 啓介が振り返ると、緒美は涼介の肩に手を置いたところだっ た。 「涼兄、起きてよ」 そのまま軽く肩を揺すりながら、緒美は涼介の耳元でその 名前を読んだ。 「涼兄」 特に大声でもない。普通に、その可愛らしい声で呼ぶだけ だ。 「そんなんで涼介さんが起きるかよ」 啓介は緒美を鼻で笑った。そのぐらいで涼介が起きるのな ら、とっくに啓介が起こしていた。 しかし───。 「ん……」 「!?」 驚く啓介の目の前で、涼介は目を覚ました。 すんなり───というか、あっさりと。 「……嘘だろぉ」 啓介にしてみれば夢のような、しかし夢ではない、紛れも ない現実だった。 「涼兄、こんなとこで寝ちゃダメでしょ」 「ああ……。緒美が起こしてくれたのか。ありがとう」 珍しく自分を叱る緒美に、涼介は笑って答えた。 そしてドアの前に突っ立ったままの啓介に気づいた。 「ごめんな、啓介。なんだか眠くなって……」 もう少しで読み終わるからと啓介に謝った後、涼介は再び 読書に戻った。 しかし今の啓介には、宿題も読書感想文もどうでもよくなっ ていた───。 夕方になって帰ろうとする緒美を、啓介は玄関先で掴まえ た。涼介はまだ啓介の部屋にいた。 「おい、緒美っ」 「何よ」 「お前、どうやって涼介さん起こしたんだよっ!」 緒美を問い詰める啓介の視線と口調はマジだった。 「あんた何言ってんの?」 しかし反対に、緒美の態度は冷めたものだった。 「ちゃんとあんたの目の前で起こしたでしょ」 「だって、俺が呼んでも涼介さん起きねーんだぜ」 緒美は何か特別な事をした訳でもない。けれど涼介は起き たのだ。 「なんかコツとか、秘訣とかあるのか?」 「知らないわよ、そんなの」 自分の手首を掴んだままの啓介の手を振りほどくと、緒美 は両手を腰にあてて、偉そうに啓介を見上げた。 「涼兄の寝起きが悪いのは緒美も知ってるけど、今まで起こ して起きてくれなかったことなんかないもん」 「…………」 絶句、するしかなかった。 「ただ単にあんたの起こし方が悪いだけじゃないの? じゃ あね」 言いたい事を言って、緒美はさっさと帰っていった。 残った啓介はしばらく、玄関先から動けなかった。 史浩も直ちゃんも緒美も、どうしてああもすんなり涼介を 起こせるのだろうか。そして何で、啓介は起こせないのか。 そこまで考えて───ふと気づいた。 もしかして涼介を起こせないのは、啓介だけなのだろうか。 まだまだ宿題は山と残っている。時間は刻々と過ぎ、タイ ムリミットはどんどん近づきつつある。 そんな余裕などまったくないのに、けれど啓介は考え込ん で───というより、落ち込んでしまった。 |
うう、どーしましょう。
緒美ちゃんを書くのは本当に楽しいです(^^)
啓介ごめんね〜!(^^;)
皆さんは夏休みの宿題はどうされてましたか?
私は……啓介と同じです(−−;)
ラスト三日間が勝負でした!
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