B meets B
17





  九月───新学期が始まった。
  溜めに溜めまくった宿題も、いくつかは遅れてしまったが
 啓介は何とか提出し終えた。
  読書感想文もとりあえず提出はした。
  けれど、手伝ってくれた涼介の感想は書けなかった。
  本を読み終えた涼介の感想は───「退屈だった」の一言
 のみ。
  啓介が読んでもきっと同じ感想を持つと思うが、さすがに
 それを学校に提出する訳にはいかなかった。仮に受け取って
 もらえたとしても、絶対に大目玉の上に再提出となってしま
 うだろう。
  仕方がないのであらすじだけ教えてもらって、適当に書き
 上げた啓介だった。
  原稿用紙に三枚は書いてくるようにとの事だったが、その
 三枚のマス目を埋めるのに、どれだけ苦労した事か。
  新学期を迎えたばかりだというのに、啓介はすっかり疲れ
 果てていた。
  けれど学校に通うのは楽しかった。
  学校は勉強する所というより友人と会う所で、気の合う友
 人たちと毎日顔をあわせるのは楽しかった。
  けれどそんな日常にそれはやってきた。
  定期的に───時には不意打ちに、生徒である以上絶対に
 避けられないそれ。
  今回のそれは『中間テスト』という名前だった。


  「け、い、す、けぇ〜」
 「───……」
  母親が冷たい眼差しで啓介を睨む。
  啓介はといえば、リビングの床の上に正座していた。その
 姿はしおらしく、まるで借りてきた猫のようであった。
  涼介はソファーに座り、そんな二人の様子を静かに見つめ
 ていた。
 「あたしが何を言いたいか、わかる?」
 「……わかってる。昨日も聞いたから、今日はもうい───」
 「いーえ、わかってないわ」
  啓介の言葉を母親は途中で遮った。
  いつも何かと怒りっぽい性格であったが、今日はまた一段
 と激しく怒っていた。
  その手には今日返却されたばかりの、一枚の答案用紙が握
 られていた。その用紙の氏名欄にはもちろん、高橋啓介と記
 入されていた。
  そしてその横の欄に赤ペンで記入されていた点数は───
 お世辞にも良いとは言えない点数だった。
 「なによこの点数は! たまには平均点以上とってきなさい
 よ!!」
 「仕方ねーだろ! 俺だって頑張ってそれだったんだよっ」
 「あんたが頑張るのなんて、テスト前日だけでしょーがっ!」
 「───」
 「だからこんな点数しかとってこれないのよ。わかってんの?」
 「だから、わかってるって……!」
  国語やら数学やら英語やら、答案が返って来るたびにそれ
 を取り上げられ、このところ連日同じ小言をくらってばかり
 なのだ。わからない訳がない。
  どうせなら全部一緒に返してくれればいいのにと、啓介は
 心の中で先生に八つ当たりしていた。
  点数だって今学期になって急に下がった訳でもないのに、
 よくもまあこうも怒れるものだと、母親にもうんざりしていた。
  啓介だってどうせなら、もう少し点数が高い方がいいのは
 わかっていたが、一生懸命やった結果がこうなのだから仕方
 ないではないか。
  そりゃあ確かに勉強は好きじゃないし、試験勉強なんて前
 日しかやってないけれど。
  そんな気持ちが表情に出たのか、膨れっ面をする啓介を、
 母親はしばらく無言で睨んでいたのだが───……。
  その時、脳裏に不意に閃くものがあった。
 「……そうだ、涼介君!」
 「はい」
  それまで横で、これが親子のコミュニケーションなのかと
 感慨深く眺めていた涼介に、彼女はいきなり話をふってきた。
 「啓介の勉強をみてやってよ!」
 「かっ、母さん!?」
  母親のいきなりの提案に驚いたのは啓介だった。言われた
 涼介はといえば、驚いた様子もなくただ首を傾げただけだっ
 た。
 「……俺が、ですか」
 「だって涼介君、頭いいじゃない!」
  自慢げに母親は言った。
  実は、涼介の成績は非常に良かった。
  一学期の終業式、帰ってきた涼介から成績表を見せてもらっ
 た二人は目を疑った。啓介が体育でしかとった事のない最上
 級の評価が、すべての科目の欄に記されていたのだ。
  啓介はもちろんだが、母親も驚く内容だった。
  しかし普段の涼介を見る限り、特に勉強している様子もな
 い。啓介のように試験前に一夜漬けで勉強してもいない。塾
 に通っている訳でもない。
  別に卑屈になる訳ではないが、頭の出来が違う人間が世の
 中にはいるんだなあ───と、啓介は思ったものだった。
  ちなみに啓介の成績表は、体育以外は中の下といった評価
 が多かった。しかし啓介はそれを気に病んだ事はなかった。
 「やめろよ母さん、勝手に話を決めんなよ!」
  啓介は必死に話を打ち切らせようとしたが、母も引き下が
 ろうとはしなかった。
 「だってあんた来年は受験でしょ。どーすんのよこのままで」
 「合格するに決まってんだろーが」
 「自信、あるの?」
 「自信……って」
  それは、正直いってあまりない。勉強も必要だとは思って
 いた。
  けれど啓介が何より困るのは、部屋に涼介と二人きりとい
 うシチュエーションだった。嬉しいけど困るのだ。
 「ほーら、ないんじゃない」
  ニヤリと笑う母親は、あくまで諦める気はないようだ。
  仕方なく啓介は、涼介に助けを求めた。
 「それに涼介さんだって、迷惑だろ?」
 「いや、全然」
 「…………」
  喜ぶべきか、悲しむべきなのか。
  涼介の返事はあっさりとしたものだった。
 「とりあえず期末テストまででいいから。ね、涼介君、お願
 いっ!」
 「俺でできる事なら、いいですよ」
 「ありがと! あたしはいい息子を持ったわぁ」
  母親は思いっきり喜び、涼介の手を両手で握りしめた。
  そして今度は啓介の頭を掴むと、無理やりお辞儀をさせた。
 「ほら、啓介もお礼を言いなさいよ」
 「よ、……よろしくお願いします」
  こうして家庭内家庭教師の一件は、本人の意向を余所にト
 ントン拍子にまとまってしまった。


  「じゃあ、始めようか」
 「は、はいっ」
  勉強は月水金に二時間ずつ、啓介の部屋でする事になった。
  思い立ったが吉日と、話が決まってすぐに啓介たちは母親
 に背中を押されて、部屋へと押し込められた。
 「と言っても、どこから始めようか……」
 「さあ……」
  涼介の問いに、啓介はあやふやな返事をした。
  とりあえず啓介は机に向かい、涼介は自室から持ってきた
 椅子を隣に置いて、そこに座った。
  ふたりの間の距離は、ほんの三十センチほどだった。
 「どこがわからない?」
 「…………さあ」
  情けない話だが、どこがわからないかもわからなかった。
  というか、そんな事を考える余裕などない。それが啓介の
 正直な心境だった。
  おとなしく机に向かってはいたが、頭の中は緊張と興奮で
 パニックに陥っていた。
  涼介は無言で、机の上にあった中学の教科書を一冊手に取
 ると、パラパラとそれをめくった。
  部屋の中にはページをめくる音が静かに響くだけで、啓介
 は自分の部屋だというのに何とも居心地が悪かった。
  しかし涼介はそれを別段気にする様子もない。
 「……じゃあとりあえず今日は、中間テストの復習から始め
 ようか」
 「あ、はいっ!」
  しばらくしてからの涼介の提案に、縋るように啓介は同意
 した。


  涼介の教え方は上手かった。
  夏休みの宿題を教えてもらった時もそう思ったが、啓介の
 疑問を一つ一つ、わかりやすく解きほぐすように教えてくれ
 た。
  間違った問題を片っ端から啓介はやり直し、どうしてもわ
 からないとなると涼介を呼んだ。
  呼ぶと涼介は、その度に丁寧に教えてくれた。
 「涼介さん、ここ───」
 「ん?」
  啓介が呼んだのと涼介が返事をしたのは、ほぼ同時だった。
  不思議に思った啓介がテスト用紙から顔を上げると、なん
 とすぐ目の前に涼介の顔があった。
  いつの間にか涼介は椅子から腰を上げ、啓介のすぐ傍で腰
 を折り、屈み込んでいた。
  その距離、約五センチほど───。
 「わ」
 「ご、ごめんっ!」
  あまりの至近距離に、涼介が小さく声をあげた。
  慌てた啓介は謝って涼介から離れたが、腰をずらした拍子
 に椅子から転がり落ちてしまった。
 「イテッ!」
 「啓介!」
  今度は涼介も珍しく慌てた。床に座り込んだ啓介の傍に膝
 をつき、顔を覗き込んでくる。
 「大丈夫か?」
 「う、うん……」
  かろうじて返事をした啓介だったが、内心は全然大丈夫で
 はなかった。
  心臓はバクバクと高鳴ったまま、顔はきっと真っ赤になっ
 ている事だろう。
  だってすぐ目の前に涼介の綺麗な顔があったのだ。長い睫
 毛とか、以前触れようとして触れられなかった柔らかそうな
 唇とか───。
 「啓介?」
  硬直してしまった啓介に、訝しげに涼介が問いかけてくる。
 「あ、ここです。この問題───」
  まさか涼介に見とれていましたとも言えずに、慌てて啓介
 は立ち上がり、問題を指さした。
  大好きな人との、大っ嫌いな勉強。
  こんな状態で勉強が頭に入るのか。果して成績が上がるの
 か───。
  でも鼻血を出さなかったのは、大した進歩かもしれなかっ
 た。

 
  


試験前日に一夜漬けの勉強。
懐かしいなあ……。毎度毎度そうだったなあ。
私は高校受験以外は、ほとんど一夜漬けですませたような記憶があります(^^;)
うーん、出たとこ勝負って感じ?(^^;)





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