B meets B
20





  季節は足早に移り変わってゆく。
  色づいた木々も落葉し、朝夕通学するにもコートが必要に
 なった時期、それはついにやって来た。
  そう、期末テストである。
  期末テストは中間テストとは違い、試験の教科数も多かっ
 た。
 「いよいよ明日からね」
  息子二人ととる夕食の席で、母親は啓介をキッと見据えた。
 「啓介。主要五教科……わかってるわね?」
 「わかってるよ、平均点以上だろ!」
  啓介がテストで取ってくる点数は、いつも平均点を下回っ
 ていた。
  だからせめて平均点以上、中間テスト後からずっと勉強し
 ていた主要五教科だけでも。今回こそはせめて平均点以上を
 取ってくるようにと、母親から厳命されていた。
  そのために涼介に勉強を見てもらうよう、頼み込んだのだ。
  そして母親は今回、鬼になるつもりでいた。
 「もしも一教科でも、平均点以下取ってきたら……」
 「……きたら?」
  何を言いだすのかと啓介は驚いた。しかし母親の視線は座っ
 ていて、おとなしく聞き返した。
  そして言われたのは、啓介にとっては酷すぎる内容だった。
 「お正月のお年玉なし」
 「えええーっ、そりゃねーよっ!!」
  中学生にとって、お年玉は貴重な臨時収入だった。毎月の
 小遣いが微々たるものであれば、それは尚更だった。
 「それとこれとは話は別だろ」
  啓介は不満の声を上げたが、それが気に入らないのか母親
 はさらに言葉を続けた。
 「それから旅行のお土産もなし!」
 「えーっ!」
 「それから……」
 「わー、わかった! 頑張るからもういいって!」
  これ以上口答えしたらまた何か言われそうで、啓介は慌て
 た。
  涼介はそんな二人のやりとりを、いつも通り微笑ましく眺
 めていた。
 「……ちぇ、ヤブヘビだよな」
 「なーに?」
 「何でもねーよっ」
  ついこぼしてしまった啓介の小さなつぶやきを、母は耳聰
 く聞き返してきた。話題を変えようと啓介は口を開いた。
 「それより母さん、旅行はどうしたんだよっ」
 「どうって?」
 「年末の旅行、行けんの?」
 「行くに決まってるでしょ!」
  この年末年始には、旅行のやり直しが待っていた。
  行き先は前と同じくハワイ。どうもこだわりがあるらしかっ
 た。
 「でも義父さん、最近あんまり帰ってこないし……。病院が
 忙しいんじゃねえ?」
  啓介の言う通り、この家の主は最近は病院につめてばかり
 だった。こんな調子でちゃんと旅行に行けるのかと思うのも
 仕方がなかった。
  けれど母親の返事は気楽なものだった。
 「旅行に行くために、いま頑張ってくれてるのよ」
 「あー、そうですか……」
  俺がバカだったと、啓介は心配するのをやめた。
 「でも涼介君にはちゃーんとお土産買ってくるからね。期末
 の結果がどうであれいろいろ頑張ってもらったから、お年玉
 もはずんじゃうから」
 「ひでーよ、母さん」
 「欲しけりゃあんたも頑張んなさいっ!!」
  あまりの扱いの差に喚く息子を母親は一喝したが、今度は
 啓介も引き下がりはしなかった。
 「だったら試験の間くらい、食事当番代わってくれよ」
 「それはそれよ」
 「ケチ!」
 「何ですって───」
  またも言い争いが始まろうとした時、それを止めたのは以
 外にも涼介だった。
 「大丈夫です、義母さん」
  それまで二人を眺めていた涼介が、静かに口を開いた。
 「啓介はずっと頑張ってきたから……大丈夫ですよ」
  まるで自分の事のように確信を込めて、涼介は言い切った。
 「な、啓介」
 「う、……うん」
  涼介が微笑んでいる。信じてくれている。
  もともと頑張るつもりではあったけれど、より一層やる気
 になった啓介だった。


  三日間の試験期間は、無事終了した。
  啓介は体調を崩す事もなく、すべてのテストをこなした。
  手応えはあった。中間テストの時とは比べ物にならないく
 らいあった。
  しばらくしてテストが返却され始めたが───連日、母親
 は上機嫌だった。
 「やったじゃない、啓介!」
  今日もリビングに歓声が響いた。中間テストの時の、あの
 不機嫌さが嘘のようだった。
 「すごいすごーい。こんな点数、初めて見たわ!」
  主要五教科で平均点以上との目標を掲げていたが、五教科
 ともすべてそれをクリアしていた。中には満点に近い数字を
 取ったテストもあり、母親は大喜びだった。
 「やっぱ、さすがあたしの息子ね。あんたもやれば出来るの
 よ!」
 「それ、褒めてんの?」
 「もちろんよ!」
  啓介を褒めるというより自画自賛のようにも聞こえるのだ
 が、まあいいかと啓介は思った。
  これでお年玉と旅行のお土産は、ばっちり確保だった。
  上機嫌な母親は、涼介にもお礼を言った。
 「涼介君もありがとうね!」
 「頑張ったのは啓介ですよ」
 「それでも、涼介君にもお世話になったもの。ありがとう」
  母親は涼介の手を握りしめ、重ねて礼を言った。
  しかし続けて、思いもよらない事を言いだしてきた。
 「じゃあ約束通り、勉強は期末テストまでって事で」
 「え……」
 「ええ!」
  驚いたのは涼介と啓介だった。二人ともそれぞれ驚きの声
 を口にした。
  その反応に、母親は不思議そうな顔をした。
 「だって、そういう約束だったでしょ?」
 「そうだっけ……?」
  言われて思い起こせば───そんな事を言われていたよう
 な気もした。
  でも啓介はそんな事、すっかり忘れ果てていた。涼介もそ
 れは同じだったらしく、言葉をなくしていた。
 「それに、いつまでも涼介君に甘える訳にもいかないでしょ?」
 「俺は迷惑になんか、思ってないです」
 「うん、ありがとね」
  涼介は否定したが、母親はそれをさらりと受け流した。
  だから今度は啓介が食い下がった。
 「でもさ、やっと少し勉強おもしろくなってきたのに───」
 「……啓介」
 「ああ?」
 「あんたの口から、そんな言葉が聞けるなんて……!」
  母親は目を潤ませて、啓介を見た。
  バカにしてんのかと啓介はムカついたが、それを押し殺し
 て母親に頼み込もうとした。
 「だからさ母さん、このまま───」
 「そうよ。あんたもやればできるってわかったんだから、い
 つまでも涼介君に甘えるんじゃなくて、自分でしっかり勉強
 しなきゃ!」
  啓介は言葉に詰まった。母親の言う事には一理あった。
 「だから、今回はこれでおしまいにしましょ。涼介君、ホン
 トにありがとうね」
 「…………」
 「…………」
  もはや機嫌がいいのは母親一人だけ。
  息子二人は、どちらも無言だった。


  話を終えた母親は、さっさとリビングを後にした。
  残された二人は言葉もなく───ソファーに座り込んだま
 まだった。
  啓介もショックを受けていたが、何故だか涼介の方がひど
 く沈み込んでいた。
 「涼介さん……?」
 「───」
  啓介が声をかけても、無言で顔を上げるだけ。その表情は
 暗いままだ。
  もしかして涼介も家庭教師が終わりになった事を、少しは
 寂しく思ってくれているのだろうか。今の啓介が寂しいみた
 いに。
  もしもそうなら嬉しいけど、けれどそんな表情は見たくな
 かった。だからなくなってしまった時間を少しでも残せるよ
 うにと、啓介は涼介に聞いてみた。
 「あの、わからない事とかあったら、また聞いてもいいかな
 ……?」
 「……もちろん、いいよ」
  そう返事する涼介は、ひどく嬉しそうだった。
  でもそれでもどこか寂しそうで、啓介の胸はズキリと痛ん
 だ。
  もともと勉強なんか、好きでもなんでもないのだ。
  それでも頑張ったのはお年玉とお土産のため───そして
 何より涼介のためだった。
  好きでもない勉強を少しでもおもしろいと感じるようになっ
 たのなんか、涼介のお蔭以外のなんでもない。
  母親に叱られるのなんかこの際、二の次の問題だった。
  三学期にはまた点数下げるしかないな───と、啓介は本
 気で考え始めていた。


 
  







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