B meets B
22






  楽しかったクリスマスも過ぎ、あと何日かで今年も終わろ
 うかという矢先、高橋家では世間よりも一足先に年末の大掃
 除が始まっていた。
  しかし掃除に駆けずり回っているのは啓介一人だけ。涼介
 は自室に籠もり、母親は大掃除などそっちのけで、いそいそ
 とスーツケースに荷物を詰め込んでいた。
  理由は簡単、夏にお流れとなった新婚旅行に今度こそ出発
 するためだ。
  一緒に行く夫はまだ病院から帰って来ていなかった。しか
 しそれも旅行に出発するためなら仕方ないと、彼女は夫の分
 の荷造りも引き受けて一人奮闘していた。
  そのために大掃除をしているのは啓介だけだった。
  世間ではまだ大掃除をしている家はほとんどなかったが、
 何しろ高橋家は広すぎた。啓介一人では今から始めても間に
 合わないかもしれなかった。
  もちろん涼介も一緒に掃除する気でいたのだが、啓介が頼
 み込み涼介には自分の部屋のみの掃除をしてもらう事にした。
  理由は簡単。涼介にしてもらうと、それは『掃除』という
 名の破壊行為になるからだ。
  そうしてこの家で一番物が少なく、またシンプルな部屋が
 涼介の部屋だった。


  午後三時を過ぎて、ようやく三人はリビングで一緒にお茶
 を囲んだ。
  母親に催促されて、掃除で疲れた身体を休ませる間もなく
 啓介が淹れたものだった。
 「……ったく、人使い荒いよなぁ」
 「なに、啓介?」
 「べーつーにっ! それより用意は終わったのかよ?」
 「もうバッチリ! 今すぐにでも出発できるわよ」
  Vサインを作ってみせる母親は上機嫌だった。
  それはそうだろう。夏に延期になってから、ずっとこの旅
 行を心待ちにしていたのだから───。
  そんな嬉しそうな表情につられたのか、涼介も微笑んだ。
 「あとは出発するのを待つだけですね、義母さん」
 「ごめんね、涼介君。初めてのお正月だっていうのに、あた
 したちだけで旅行に行っちゃって……」
 「義母さんこそ夏からずっと楽しみにしていたんですから、
 気兼ねなく行ってきて下さい」
 「ありがと! おみやげ沢山買ってくるからね。何かあった
 ら遠慮なく啓介をこき使ってちょうだい」
 「……母さん」
  いつもの事とはいえ、あまりな母親の言葉に啓介は唇を尖
 らせた。
 「啓介も涼介君の言うこと聞いて、おとなしくしてんのよ」
 「おとなしく、って───……」
  啓介はその一言にドキリとした。
  別に邪なことを考えていた訳ではないが、やっぱり涼介と
 二人きりというのはけっこうドキドキものなのだ。
  だから荷造りにばかりかまけている母親にも文句を言わず、
 一人で大掃除に勤しんでいたのだ。
  その時、リビングの電話が鳴った。そこでたまたま電話の
 一番近くのソファーに座っていた涼介が腰を上げ、受話器を
 取った。
 「はい高橋です。───あ、父さん」
  涼介の言葉に、電話をかけてきたのはこの家の主だと知れ
 た。
 「義母さん、父さんから」
 「はいはーい」
  語尾にハートマークがつきそうなほどの上機嫌で、彼女は
 受話器を涼介から受け取った。
 「どう、病院の方は?」
  涼介は受話器を渡すとまたソファーに戻り、啓介の隣に座っ
 た。
 「義父さんから?」
 「ああ」
 「もう荷造りはほとんど終わってるから、その辺は安心して
 ───……え?」
  二人は聞くとはなしに母親の会話を聞いていたが、それが
 途中で途切れた。
  そして、一瞬の沈黙の後───。
 「どーゆー事よそれは!!」
  家中に母親の怒声が響きわたった。
 「そんなのわかってるわよ! でも約束したのはあなたじゃ
 ない!」
  あまりの剣幕に、驚きに目を見開いて二人は受話器を握る
 母親をそれぞれ見つめた。
 「だからあたしは前だって我慢して───」
  その表情は確かに怒っていたが、けれど反面泣きだしそう
 でもあった。受話器を握りしめながら、必死で話をしていた。
  受話器の向こうからも何事かを話す声が聞こえたが、それ
 は啓介たちの耳までには届かなかった。
  しばらくそれに耳を傾けていた彼女であったが、唐突にそ
 の表情が凍りついた。
 「……そう、わかったわ」
  次に彼女が発したのは、ひどく冷たい声だった。
 「あたしこの家を出ていくわ!! あなたとも離婚する!!」
 「───」
 「離婚!?」
  唐突な母親の言葉に、涼介は瞬きを一つ───片や啓介は
 大声を張り上げた。
 「じゃあね、短い間でしたけどお世話になりました!!」
  ガチャンッと受話器が壊れそうな勢いで、彼女は受話器を
 叩きつけるように置いた。
  そして凍てつくような沈黙がリビングを満たした。さすが
 の涼介も突然の事態に驚いたのか無言のままだった。
 「……母さん?」
 「病院の方が忙しくて───また旅行、行けそうもないんだっ
 て……」
  恐る恐る尋ねた啓介に、母親は暗い声で答えた。
  しかしその声よりも内容の暗さに、啓介は敢えて明るく聞
 き直した。
 「今の、冗談だよな……?」
 「本気に決まってんでしょ!!」
  啓介を怒鳴った母親の目はマジで据わっていた。
 「ちょ、ちょっと待てよ、母さんっ!」
 「義母さん!」
  しかし息子二人の叫びも聞かず、彼女は二階へと駆け上がっ
 た。
  啓介は母親を追い、涼介は父親に連絡を取るべく電話の受
 話器を取った。
  廊下に飛び出し二階に駆け上がろうとした啓介であったが、
 逆に母親が二階から駆け下りてきてびっくりした。
  母親がその手に持っていたのはスーツケースだった。それ
 は旅行用に荷造りしていた物だった。
 「何だよそれ」
 「見てわかんないの? スーツケースに決まってんでしょー
 が」
 「そりゃわかってるよ。だから何でそんな物、持ち出すんだ
 よ」
 「だからあたしは出ていくって言ってるでしょ!」
  母親はスーツケースを抱えたまま玄関へ向かったが、啓介
 はその眼前に果敢にも立ち塞がった。普段ならともかく、ス
 ーツケースを抱えたままではフットワークは啓介の方が上だっ
 た。
 「早まるなって、母さん!」
 「ああもうっ、うるさいわね!」
  何としても通そうとしない啓介に業を煮やしたのか、母親
 はくるりと踵を返した。
  そして何を思ったのか、そのままキッチンへと走った。
 「母さん?」
  慌てて後を追えば、なんと母親はキッチンの奥にある勝手
 口に向かっていた。
 「何やってんだよ、母さん!!」
 「止めないで啓介!」
  啓介の必死の叫びにも構わず、母親は今にも勝手口のドア
 から出ていこうとしていた。
 「待てよ母さん! 母さ───」
  その肩を掴もうとして───しかし啓介のその手は届かな
 かった。
  予想外の衝撃とともに啓介の声は途切れた。


  何が起こったのか、最初はわからなかった。
 「……ってえ───……」
  自分がどういう状態なのか、ぼやけた意識ながら確認すれ
 ば、啓介は勝手口の土間のコンクリートに足を投げ出して座
 り込んでいた。
  母親にスーツケースで張り倒されたのかと最初思ったが、
 それにしては顔ではなく頭が痛んだ。
  どうやら啓介は、勝手口の鴨居に頭をぶつけたらしい。キッ
 チンの床から勝手口の土間は一段低くなっている。この段差
 が原因らしかった。
  追いかけていた母親の姿は既にない。
  どうやら一瞬ではあるが啓介は気を失っていたらしく、そ
 の間に母親は出て行ったらしかった。
 「薄情者ぉ……」
  ぶつけたのは額のすぐ上。前頭部の右だった。痛み、とい
 うよりもぶつけた箇所がどうにも熱かった。
  ジンジンと衝撃が響いたままの頭を抱えて俯けば、土間の
 コンクリートの上に、ポタポタポタッと何かが零れ落ちた。
 「!?」
  それは血だった。
  慌てた啓介が頭に手をやれば、そこは赤い血でべっとりと
 濡れていた。そのまま顔にも流れ落ちてくるので、啓介は必
 死で傷口があるだろう箇所を手で押さえたが、出血は止まら
 なかった。
 「……マズい」
  とにかくこのままじゃダメだと啓介が立ち上がれば、背後
 で足音がした。
 「啓介、だめだ。いま父さん治療中だそうで電話に出られな
 い」
  そこにやってきたのはやはり涼介だった。
  振り向きたくはなかったが、しかしこのままでもいられな
 かった。
 「あの……、驚かないで下さいね」
 「?」
 「いいから、驚かないで下さいね。……大した事ないんだか
 ら」
 「……うん」
  訳がわからないながらも頷いたらしい涼介の言葉を確認し
 てから、啓介は恐る恐る振り返った。
 「涼介さ───」
 「───啓介!?」
  一瞬で、涼介の顔色は真っ青になった。
  大体、血まみれの人間を目の前にして、驚くなという方が
 無理なのだ。
  涼介に心配かけまいと作った啓介の笑顔は、この場合なん
 の意味も成さなかった。


 
  


今回の啓介の怪我は、これまた中学生の私の体験談です。
中学校の廊下から走ってベランダに出ようとした時、段差があって、
身長の低くなかった私はガコッ!!……と(−−;)
まあ、こうしてネタになったんだから、よしとしましょうか(^^)





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