B meets B
24





  行く年来る年───。
  新年になって既に三日が過ぎていた。年末に家を飛び出し
 てからずっと、啓介は友人の家に転がり込んでいた。
  正確には中学校の同級生のその部屋にだ。母屋と離れから
 なる家に住むその同級生は、離れをまるまる自分一人で使う
 という生活をしていた。
  そのせいで年末年始の間も彼の家族に気づかれる事もなく、
 啓介は寝場所を確保できたのであるが……。
 「おい高橋。お前、帰んなくて大丈夫なのか?」
 「……悪ィな。正月なのによ」
 「俺の方は全然いいけどさ。お前の母さん、去年再婚したばっ
 かだろ。なのにお前がいなくて平気なのかと思ってさ」
 「う……」
  家を飛び出してからあっという間に日々は過ぎていったが、
 その間啓介は一度も帰らなかった。
  ───涼介には、一度も会っていなかった。
  あわせる顔がなかった。自分で引き起こした事態なのに、
 どうすればいいのかさっぱりわからない。
  思いついたのは、自分はやっぱりあの母親の血をひいてい
 るんだという事実だけ。自棄になって家を飛び出すなんて、
 やってる事がそっくりだった。
  啓介は包帯を巻いたままの頭を抱え込んだ。
 「あーもう、どーすればいいんだよ……」
 「高橋、毎日唸ってばっか。いい加減飽きねーか?」
 「うるせー!」
  毎食レトルトカレーかカップラーメンというわびしい食事
 をとりながら、悩みは尽きない啓介だった。


  そして、一月四日。
  啓介は久しぶりに外出した。傷口の消毒をしてもらうため
 に、病院へ行かなくてはいけなかった。
  その病院は自宅の近くにあるため、啓介はもしも涼介に会っ
 てしまったらどうすればいいのか───と、ビクビクしなが
 らやってきた。
  しかしそんな心配も危惧で終わり、何事もなく啓介は病院
 の門をくぐった。そのまま建物の中に入ろうとした。
  だが、そんな啓介の前に突然何者かが立ち塞がった。
 「!?」
  いきなり現れた二人───それは史浩と緒美だった。
 「……史浩、緒美」
  寒空の下、病院の入り口の真ん前に二人は立っていた。
 「お前ら、なんで……」
 「あんたを待ってたに決まってるでしょ」
  唖然とする啓介とは逆に、二人の顔つきは厳しいものだっ
 た。
 「治療したのは近所の病院って言ってたからな。たぶんここ
 だと思ったんだ」
  二人は知り合いだったのかと啓介は驚いた。
  しかし考えてみれば二人とも啓介よりも涼介との付き合い
 は長いのだから、顔見知りであっても当然かもしれなかった。
  そんな事を考えた啓介に、いきなり緒美が食ってかかって
 きた。
 「あんた、一体何やってんのよ!」
 「何って───」
 「涼兄よ、涼兄!!」
 「会ったのか?」
 「新年だもん。年始の挨拶に行ったに決まってるでしょ」
  緒美は何故だかひどく憤慨した様子だった。
  啓介の前に立ち塞がったまま、厳しい瞳で睨みつけてくる。
 「おじさまとおばさまはもともと旅行の予定があったし仕方
 ないとしても、あんたまでいないんだもん。びっくりするじゃ
 ない」
  それは啓介にとっては思いもよらない言葉だった。
  涼介を好きな緒美は、以前から啓介を邪魔に思っていた筈
 である。だから啓介が家を飛び出したのは、緒美にとっては
 喜ばしい事だと思っていた。
  しかし緒美の態度は啓介の想像とはまるっきり逆のものだっ
 た。
 「何で涼兄を一人きりにしておくのよ。さっさと帰りなさいよ!」
 「なんでお前、怒るんだよ……」
 「なに?」
 「べ、別に」
 「まったくもう、ごちゃごちゃ言ってないでよね」
  緒美は改めて啓介をキッと見据えた。思わず啓介がたじろ
 ぎそうになるほどの迫力だった。
 「とにかく、さっさと帰りなさいよ!」
 「……俺だって、帰れるもんなら帰りてえよ」
  それまで緒美と啓介のやりとりを見守っていた史浩が口を
 開いた。
 「どうしたんだ、お前ら」
  見つめてくる史浩の視線から、啓介は顔を逸らした。
  啓介が家を飛び出した時、史浩はちょうど高橋家に来てい
 た。啓介が出ていった後、涼介は史浩と二人きりだったので
 ある。
 「……涼介さんに聞いたんじゃねえのか」
 「いや、涼介からは何も聞いてない」
 「え……」
  啓介は驚いた。
  絶対に涼介には非難されていると思っていたのだ。
  困惑顔の啓介を余所に、史浩は思い出すように続けた。
 「いつも以上にボケっとはしていたけどな。別に何も言わな
 かったぞ」
  そして史浩は、このところ毎日涼介の様子を見に行ってい
 るんだがと前置きして言った。
 「涼介の奴、お前がどこに行ったのか心配してたぞ」
 「…………」
  ───嬉しい、と思った。こんな場合であるのに。
  そんな啓介の心情は、言葉にしないまでも表情に表れてし
 まったようであった。
 「なに喜んでるのよっ!」
 「わ、悪ィ」
  啓介の気持ちを敏感に察した緒美が怒る。慌てて啓介は表
 情を引き締めた。
 「……涼介さん、どうしてる?」
  恐る恐る、啓介は涼介の様子を聞いた。
  しかしその言葉を耳にした途端、二人の表情はにわかに曇っ
 た。その反応に、啓介の表情もつられて曇った。
 「何かあったのか?」
 「最近、涼介の奴───……」
  史浩の言葉に啓介は耳をそばだてたが、
 「……起きないんだ」
  思いっきり脱力してしまった。
 「何を深刻な顔して言うのかと思ったら……。起きないって、
 そりゃいつもだろ」
 「まあな。でも今までは俺が起こせば起きてたんだよ。それ
 がこのところ、とにかく眠りっぱなしなんだ」
 「緒美も起こしてみたけど、ダメなの」
 「…………?」
  それは確かに妙だった。
  涼介の寝起きが悪いのは今に始まった事ではない。啓介が
 何度起こしても、涼介はなかなか起きなかった。
  しかし、史浩や緒美が起こして目を覚まさなかった時はな
 かったのだ。
  いったいどうしてしまったのか。
  啓介が考え込みかけた時、ガシッと腕をつかむ者があった。
 緒美だった。
 「とにかくほら、さっさと帰るの!」
 「お……おい!」
  両手で啓介の腕をギュッと掴んだ緒美は、渾身の力で啓介
 を引っ張った。なんとか啓介を家まで引っ張っていこうとい
 う気らしかった。
  しかし中学二年生の男子と小学五年生の少女では、力勝負
 でどうにかなる訳はない。引っ張られても、啓介の足は病院
 の前から一歩も動きはしなかった。
  それでも緒美はあきらめようとはしなかった。啓介の腕を
 引っ張り続けた。
 「歩きなさいよ、ホラ!」
 「おい、緒美───」
  見かねた史浩が口を挟んだ。
 「緒美ちゃん、啓介もせっかくここまで来たんだから、せめ
 て病院に寄るくらいは───」
 「病院なんかより涼兄の方が大事なの!!」
  緒美は必死で叫んだ。
  そのあまりの真摯さに、啓介と史浩は驚いた。
 「……緒美、お前───」
  緒美をよくよく見れば、瞳には涙をためていた。
  以前見た───彼女が泣きだす一歩手前の顔だった。
 「お前、いいのかよ?」
  啓介が涼介の弟になって、一番面白くないのは緒美の筈だっ
 た。
  そんな彼女がいま、必死で啓介を家に戻そうとしていた。
 「……だって仕方ないじゃない」
  まるで縋りつくように啓介の腕を両手でギュウッと掴みな
 がら、緒美はつぶやいた。
 「涼兄が寂しそうにしてるの、緒美だって嫌だもん」
  心底、涼介の身を案じている言葉だった。
  緒美のその言葉は、ひどく啓介の胸に突き刺さった。史浩
 も何も言えなかった。
 「……わかった」
  しばらく考え込んだ後───啓介は答えた。
 「わかった。帰るよ」
 「ホントに?」
  その言葉に緒美は啓介の顔を見上げた。腕を掴む力はまだ
 緩んでいない。それに、けれど啓介は笑顔で答えた。
 「お前にそこまで言われちゃ仕方ないもんな」
  啓介に笑顔でそう言われて、ようやく緒美も安心したよう
 だった。
  そしてしっかりと掴んだままだった腕を、緒美はようやく
 離した。
  傍らで成り行きを見守るしかなかった史浩も、安心したの
 か肩の力を抜いた。
  啓介から一歩離れた緒美であったが、啓介と改めて視線が
 あうとほのかに顔を赤らめた。
 「……でもだからって、あんたの事を涼兄の弟だって認めた
 訳じゃないんだからね」
  ツンと顔を背けて、憎まれ口を叩く。
  けれどそれはひどく緒美らしい、どこか憎めない可愛らし
 い口調だった。


  緒美の許しを得て、啓介は病院で傷口の消毒をしてから、
 家への帰途についた。二人とは必ず帰るとの約束を交わして、
 病院の前で別れていた。
  しかしどうにも帰りづらくて、レンタルビデオ店やらコンビニで
 時間をつぶし───結局、家の前に立ったのは夕方だっ
 た。
  この事実を知ったら史浩は呆れ、緒美は怒りまくるであろ
 う。既に日は暮れ、辺りは真っ暗だ。
  そして、高橋家も真っ暗だった。明かりの灯った部屋など
 一つもなかった。
  ただでさえ世間は正月で、門松を立てたり正月飾りを飾っ
 たり───それなりにめでたい雰囲気に満ちているというの
 に、目の前の高橋家だけはどんよりと重苦しい雰囲気であっ
 た。
  もしくはそれを眺める啓介の気持ちがそうだからであろう
 か。
  おまけに家には人のいる気配がなかった。
  二人の話では涼介は確かに家にいるはずなのに、そんな様
 子は少なくとも外からは感じられなかった。
  けれど家に帰るのは緒美との約束だ。啓介もそれを破るつ
 もりはなかった。
  そして意を決して、啓介は重い玄関の扉を開いた。
 「…………ただいま」
  律儀に挨拶した啓介だったが、返ってきたのは沈黙だけ。
 家の中は物音一つせず、静まり返っていた。
  家の中の空気は冷たかった。真冬なのだし外に比べれば確
 かにましなのだが、それでもひどく凍てついていた。
  真っ暗闇の中、手さぐりで電灯のスイッチを探し、啓介は
 まず廊下の明かりをつけた。
  明かりの下、久しぶりに見る家の廊下が啓介の目の前に広
 がった。
  そして、二階へと続く階段があった。
 「……よし!」
  しばらく思い悩んだ末、啓介は意を決して階段を上り始め
 た。一歩一歩確かめるように、重い足取りで二階へと上って
 いく。
  しかし十数段しかない階段は、すぐに終わってしまい啓介
 は二階へと辿り着いてしまった。
  そして、ついに涼介の部屋の前へと立った。
 「………………」
  涼介と会うのは正直怖かった。
  だって啓介は涼介に好きだと言ってしまったのだ。義理と
 はいえ、決して弟としてではなく───。
  涼介にはどんな顔をされるのであろうか。
  出ていけと言われるか、それとも顔も見たくないと言われ
 るか。
  でもいつまでもこのままでいられる訳もなかった。
  震えそうになる手で、コンコンと涼介の部屋のドアをノッ
 クした。
  しかし中から返事はない。
  無視されているのだろうかと思いながらも、もう一度ノッ
 クをした。それでも返事はない。
 「……涼介さん?」
  涼介の名を呼びながらドアのノブを掴んでまわすと、それ
 はあっさりと開いた。
 「なんだ……開いてんのか」
  半分拍子抜けしながら、啓介は涼介の部屋に踏み入った。
  涼介の部屋は、外から見たとおり暗闇に沈んでいた。啓介
 はドアの脇にあるスイッチに手を伸ばした。
  カチリという音とともに光に満たされた部屋に、しかし主
 の姿はどこにもなかった。
 「なんでいないんだ……?」
  涼介の部屋は寂しい部屋だった。
  もともと家具は少なくはあったが、冷えきった部屋には暖
 かみのかけらもなかった。
  啓介が飛び出した数日前とどこも変わっていないのに、や
 けに寒々しかった。
  いたたまれなさを感じて、涼介の部屋を出た啓介は今度は
 一階に駆け下りた。
  そして明かりをつけながら、リビングやキッチンを手始め
 に涼介の姿を探し始めた。
  しかし一階のすべての部屋をまわっても、涼介を見つける
 事はできなかった。
  再び二階に上がった啓介は、端の部屋から一つずつ探して
 まわった。
  しかし一階、そして二階のほとんどの部屋の明かりをつけ
 ても、涼介の姿はどこにも見当たらなかった。
 「───まさか……」
  まだ入ってない部屋が一つだけあった。家中で、残った部
 屋は一つしかない───。
  啓介は最後に、自分の部屋へと足を向けた。


 
  


自分で書いといてなんですが、緒美ちゃんはいい子ですね〜。
この話もあと2話でおしまいです。
もう少しだけおつきあい下さいm(__)m





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