B meets B
25





  あと数時間で新年になろうという時も、涼介はいつも通り
 自室でパソコンに向かっていた。
  部屋の中にはキーを叩く音と、マウスを操る音しかない。
  けれどなぜか集中しきれない。
  何と言ったらいいのかもわからない、けれどどうにも落ち
 つかない気分だった。
  それでも他にする事もなく、改めてパソコンへ向かう。
  手を止め、また画面に向かい、また手を止め───数えき
 れないほどそれを繰り返した末に、涼介はパソコンの電源を
 落とした。
  ため息をついて、真っ黒なパソコンの画面を見つめた。
  どうしたのかと思う。
  けれどパソコンをやめたからといって、他にする事もした
 い事もなく、居心地の悪さは一層強まった。
  その理由などわからない。
  ふと読みかけの本があったのを思い出して、本棚からそれ
 を取り出す。
  椅子に座りなおし、そのページを捲った。
  けれど───不思議な事に、それも読む気にならなかった。
  先日読み始めておもしろくて、けれど時間がなかったため
 に仕方なく途中で中断した本なのに───。
  視線は本の文字を追うのだが、内容が頭に入ってこない。
  涼介はその本も本棚に戻した。
  気分転換に何か飲もうと部屋を出た。
  部屋を出る時に自室の明かりを消したのだが、廊下も真っ
 暗だった。
  気がつけば家中が暗闇に沈み───静まり返っていた。
  父は病院を出た後、行方がわからないままだった。その父
 と喧嘩をした義母も家を出ていってしまった。
  そしてついに義弟も、いなくなってしまった───。
  涼介の弟になりたい訳じゃなかったと言っていた。
  そして、涼介を好きだと言っていた。
  そんな風に言って、そして触れてきたのは義弟が初めてだっ
 た。
  けれど義弟はいなくなってしまった。家を出ていってしまっ
 た。
  どこに行ったのかもわからない。
  そこで涼介の思考は停止してしまった。何も考えられなく
 なってしまった───。
  今この家に居るのは涼介一人だった。
  近所の幼なじみが心配して何度か顔を出してくれたが、夕
 方には帰っていった。
  けれどこの家に誰もいないのはそう珍しい事ではなかった。
  父親が再婚する前は、それが当たり前だった。
  医者としての仕事が忙しい父親は、家に帰ってこない日も
 しばしばだった。帰ってきても仕事明けで疲れているので、
 自室で眠っている時間が長かった。
  疲れた父親の邪魔をするのも憚られて、話もあまりしなかっ
 た。実際、何を話せばいいかもわからなかった。
  家事は家政婦がやってくれていたが、勤務時間の都合で顔
 を会わせる機会は少なかった。
  だから涼介はほとんど一人で過ごしていた。いとこや幼な
 じみがよく遊びに来てくれたけれど、やっぱり一人の事が多
 かった。
  けれどそれに対して、特に何とも思った事はなかった。
  物心ついた時にはそれが当たり前であったし、不満にも思
 わなかった。
  だから今のこの状態も、涼介は特に驚いてはいなかった。
  また以前に戻っただけ───それだけだった。
  またこんな日が訪れるとは考えてもいなかったけれども。
  新しい生活は賑やかで、とても楽しかったけれど、きっと
 あれの方が夢だったのだ。
 「…………」
  ふと思い立って、涼介は隣の部屋に足を向けた。
  ドアの前に立ち、そのドアをノックしてみる。けれど返事
 はない。
  ノブに手をかけ回すと、ドアはそっと開いた。
  足を踏み入れると冷たい空気が涼介を迎えた。
  明かりはつけないまま部屋の中を見回す。カーテンの引か
 れていない窓のガラス越しに、暗い夜空と明かりの灯った周
 囲の家々の様子が目に入ってきた。
  窓の外のわずかな光を頼りに、部屋の中を見渡す。
  机の上のノートも本棚の本も、この部屋の主が出ていった
 日のまま───何一つ変わっていないのに、何故だか違和感
 を感じた。
  いつも温かい場所だったのに、主のいない部屋は暗く冷え
 きっていて、涼介はわずかに身震いした。
  ふと、視界にベッドが入り───涼介は足を進めて、そっ
 とベッドに腰を下ろした。
  一度だけ眠った事のあるベッド。けれど今日はあの時のよ
 うな温かさは感じられなかった。
  指先に触れるのは、ただ冷たいだけの布。
  それでも、ベッドに横になってみる。
 「…………」
  微かに───懐かしい残り香がした。


 
  





       小説のページに戻る            インデックスに戻る