B meets B





  「ごめんね涼介君、ごめんねっ!」
 「そんなに気にしないで下さい、お義母さん」
  啓介たちがこの家に引っ越してきて初めての土曜日。
  家族四人の夕食後のくつろいだ一時、啓介の母───涼介
 の義理の母は、しきりに涼介に謝っていた。傍らでは涼介の
 父でもある彼女の夫が微笑みながら、そして啓介がふくれっ
 面をしながらそのやりとりを眺めていた。
  彼女が謝っているのは、夕食時の料理の出来が今イチだっ
 たからでは決してない。再婚後はそんなに得意ではない家事
 をそれでも頑張っている彼女であった。
  しかし仕事の都合で月曜日から今までより早めに家を出な
 ければいけなくなり、そのために毎朝の朝食に支障が出る事
 になってしまったのだ。
  医者の夫は病院勤めのため毎朝必ず家にいる訳ではない。
 いるのは子供二人───義理の息子である涼介と実の息子の
 啓介だけ。
  そしてその代役は、彼女自身の信任で全面的に啓介に託さ
 れる事となった。
 「いーい、啓介。涼介君にしっかり美味しい朝食を作ってあ
 げんのよ。わかった?」
 「……わかってるよ」
 「なによその嫌そうな返事は」
 「わっかりました!」
  母の言葉に啓介は乱暴に返事をした。そんな啓介の台詞に、
 義父はすまなそうな声をかけてきた。
 「すまないね啓介君。涼介に任せるにはこいつはちょっと……」
 「あ、全然構いませんから───」
 「別に、俺がやってもいいけど」
  父親と啓介の会話に涼介が口を挟んできた。別に意地をはっ
 ている風でもなく、その口調はあくまで自然だった。
  しかし父親である彼はそれを軽く笑い飛ばした。
 「お前に任せたら、なんだかこの家まで料理されそうだから
 なぁ」
  それを苦笑いして聞きながら、啓介は内心慌てふためいて
 いた。
 『明後日の朝は二人きり……なのか』
  義父は明日から病院の夜勤で、月曜日の朝にはまだ帰って
 これないとの事だった。
 「……啓介。あんたなに顔赤くしてるの?」
 「なっ、なんでもねーよっ!!」
  目敏い母に乱暴に言い返しながら、啓介は顔を背けようと
 して───涼介と視線がバッチリとあってしまった。
  またも見つめられていたのか啓介は慌てた。その様子を気
 にする訳でもなく啓介を見ていた涼介であったが、ふと何事
 かを思い出したようであった。
 「……そうだ啓介。月曜の朝、友達が俺を迎えに来るから、
 そしたら俺の部屋に通してやってくれ」
 「え?」
 「何だ涼介。ついに諦めて史浩君に頼んだのか?」
  涼介の言葉を聞き咎めて、父親が口を挟んできた。
 「別に諦めた訳じゃないよ」
  そう言う涼介は、先程とは違いどこかバツが悪そうだった。
  しかし啓介はそれより何より、以前にも聞いた覚えのある
 その名前の主が一体涼介の何であるのかが気になった(もち
 ろん友達だとはいま聞いたけれども、恋する者は相手のすべ
 てが気になってしまうものなのだ)。
  啓介はそれを涼介に問いただそうとした。
 「涼介さん。あの───」
 「頼むな、啓介」
  微笑みながらそう言う涼介の笑顔につい見とれて、啓介は
 言葉を失ってしまう。
  コクコクと頷きながら、啓介は自らの顔がますます赤くなっ
 ていくのをしっかりはっきり感じていた───。


  「よし、こんなもんか」
  月曜日の朝、朝食の支度をほぼ終えて、啓介はとりあえず
 一息ついた。キッチンのテーブルの上にはありふれてはいる
 が、我ながら美味そうな朝食の品々を並べた。長年培ってき
 た料理の腕は、まだまだ衰えてはいなかった。
  母はもう既に出勤してしまっていた。義父は昨夜から病院
 で、文字通り今この家にいるのは啓介と涼介の二人きりだっ
 た。
  しかし、これからが一仕事であった。
 「……よっしゃ、気合入れていくか」
  一言そうつぶやくと、啓介は自らの頬を軽く叩いて二階の
 涼介の部屋へと向かった。二人そろって朝食をとるためには、
 寝起きの悪い涼介を起こすという一大難事業がまだ残ってい
 たからだ。
  毎朝毎朝、涼介を起こすのはそりゃもう大変だった。やっ
 と起こしたと思っても、すぐにまた眠りこけてしまうその寝
 付きのよさはいっそ感心してしまうほどだ。
  涼介自身もすまないと思っているのか、啓介に謝ってはく
 れた。そして涼介のベッド脇のサイドテーブルには、日を重
 ねる毎に目覚まし時計が一つずつ増えていった。
  それでも涼介の寝起きの悪さは変わらなかった。
  しかし啓介が本当に困っていたのは、涼介の寝起きの悪さ
 ではなかった。
  毎朝毎朝、無防備極まりない涼介の寝姿を目にする事が、
 啓介には殊の外こたえていたのだ。
  正直いえば───……嫌、な訳ではない。涼介の寝顔は二
 つ年上とは思えないほどあどけなくて、そしてやっぱり綺麗
 で、目にする度に啓介は涼介に見とれてしまった。そうして
 その度に高まる邪な物思いを、なけなしの理性を総動員して
 押さえ込むのが何より辛いのだ。
  つらつらとそんな事を考えているうちに啓介は涼介の部屋
 の前に立った。
  気合を入れなおし、一応ノックをしてから啓介は涼介の部
 屋のドアを開けた。
 「涼介さ……うわ!?」
  部屋に入った啓介をまず出迎えたのは、音の洪水だった。
  慌てて涼介のベッドの枕元に駆け寄れば、そこでは四個の
 目覚まし時計がけたたましく鳴り響いていた。複数の目覚ま
 し時計が同時に鳴り響くそれはけっこうな煩さだった。
  しかし肝心の部屋の主には目覚めてそれを止める気配は一
 向になく、仕方なく啓介がそれを一つずつ止めていった。
 「ったく……何でこれで起きねーのかなあ」
  半ば呆れながら啓介はつぶやいた。
  そうしてベッドに視線をやれば、そこでは涼介が今までの
 騒ぎなど知る由もなく眠っていた。壁を向いて啓介に背中を
 向けていたが、軽く背中を丸めて安らかに眠るその様子に、
 啓介はドキリとした。ここ何日かで少しは見慣れたはずなの
 に、またも胸がときめいてしまった。
  邪な想いにとらわれかけて、啓介は慌てて頭を振った。今
 はとにかく涼介を起こす事が先決だった。
 「涼介さん!」
  啓介は涼介の名前を呼んだが、涼介は当たり前だが起きな
 かった。このぐらいで起きるなら四個の目覚まし時計がとっ
 くに涼介を起こしていただろう。
  啓介は、そういうつもりじゃないからと胸の内でつぶやき
 ながら、涼介の布団を手荒く剥いだ。わざと乱暴にしたのは、
 そうでないとヘンな気を起こしてしまいそうだからだった。
  そうして啓介は涼介の肩を掴んで思いっきり揺さぶりなが
 ら、涼介の耳元に顔を寄せてその名前を大声で呼んだ。
 「涼介さん! 起ーきーてーくーれーよっ!!」
  呼び続けながら、啓介はそのまま涼介の肩を揺さぶった。
  昨日はこうして涼介を起こすことが出来たのだ。ちなみに
 時間は十五分もかかった。その時には啓介は汗だくで、疲労
 困憊していたが。
 「……ん───……」
  起こし始めて三分ほど経って、ようやく涼介が寝返りをうっ
 た。啓介の方に顔を向けてきて、その白い肌の色に啓介はま
 たもや見とれかけた。
  しかし涼介は啓介の方を向いただけではなかった。
 「りょ……!」
  なんと涼介は啓介の手の甲に唇を擦り寄せてきた。
  ここ一週間で知った事だが、これは涼介の癖らしかった。
 今までの朝も、涼介がシーツやら枕やらに懐いているのを、
 啓介は見て知っていた。
 『……ど、どーすりゃいいんだ───』
  どうするもこうするもとにかく涼介を起こせばいいのに、
 慌てふためいた啓介は咄嗟にそんな事を考えていた。
  一気に熱の上がった啓介は、じっと涼介の顔を見た。そう
 して見つめる視線の先で、涼介の唇が薄く開いていた。
  それがまるで啓介を誘っているように見えて───啓介は
 まるで引き寄せられるように、涼介の顔に自分の顔を近づけ
 た。
 『毎朝の起こし賃って事で、ちょっとだけなら……いいよな』
  心の中でそう言い訳して、啓介はそろそろと涼介の唇に自
 分の唇を寄せていった。
  あと少し、もう少しでそれが触れようとした時───……。
 「おはようございまーす」
  チャイムの音とともに、野太い男の声が二階にまで響いて
 きた。


  「あ、おはよう」
 「……なんだよ、あんた」
  思いっきり不機嫌な啓介が玄関先に出ていくと、そこには
 一人の男が立っていた。
 『誰だ? この老けたおっさんは───』
  服装はブレザー姿と若いが対照的に顔はかなり老け込んで
 おり、まるで年齢がわからない。こんな朝っぱらから何かの
 セールスかと、啓介はその男を睨み付けた。
  チャイムの音に気勢を削がれて涼介の唇をいただく事がで
 きなかったため、今の啓介の機嫌は最悪だった。
  そんな啓介の視線を気にする風もなく、その男はのんびり
 と啓介に笑いかけた。
 「涼介まだ寝てるだろう? 時間もないし、上がらせてもらっ
 ていいかな」
 「何だよ、あんたは」
  いきなりな男の申し出に啓介は驚いた。しかし驚く啓介を
 よそに、その男は勝手知ったる様子で家に上がり込もうとし
 た。それを啓介は押し止めた。
 「ちょっと待てよ! 一体何なんだよ、あんた」
 「涼介から聞いてないかい? 俺は史浩っていうんだけど」
 「───フミヒロ?」
  その名前には聞き覚えがあった。土曜の夜、涼介は友達が
 訪ねてくるからと確かに言っていた。
  それが───『フミヒロ』。
  啓介は改めてその男を見つめた。よくよく見れば男の着て
 いるブレザー服は、涼介が学校に着ていく制服と同じだった。
 しかし顔だけ見ればとても高校生とは思えない、良く言えば
 大人びた───悪く言えば老けた男だった。
  『フミヒロ』とはいったいどんな奴かと啓介は思っていた
 が、いきなり現れた本人にただびっくりするばかりだった。
 「とにかく涼介を起こさせてもらうから」
 「……え? あ、ちょ、ちょっと───」
  呆然とする啓介を尻目に、史浩はスタスタと二階へ上がっ
 ていった。その足取りには迷いがなく啓介は慌ててその後を
 追いかけた。
 「オイ、涼介さんはまだ寝てんだよっ」
 「わかってるよ。だから俺が起こしに来たんだ」
 「起こしにって……」
  この男は涼介のあの寝起きの悪さを知らないのかと啓介は
 思った。友達ならたぶん知っているはずの事柄なのに、それ
 を知らないで本当に涼介の友達なのかとも思った。啓介がそ
 う思ってしまうくらい、その男は老け込んでいてとても涼介
 の友達には見えなかった。
  混乱する啓介を従えて史浩は涼介の部屋に入ると、ベッド
 で眠る涼介の枕元に立った。
 「……相変わらずだな」
  肩を竦めて苦笑したかと思うと、史浩は身体を屈めた。
 「オイ、何すんだよあんた───」
  啓介はそれを止めようとしたが、史浩は構わず涼介に近づ
 いた。
  そして史浩は涼介の耳元で何事かをつぶやいた。ほとんど
 囁くようなそれを、啓介は聞き取る事が出来なかった。それ
 で涼介を起こせる訳がないと思った。
  しかし───……。
 「……おはよう」
  涼介は起きた。パッチリと目覚めた。
  ここ一週間の大騒ぎが嘘のような───見事な寝起きの良
 さだった。
 『嘘……だろぉ』
  啓介は目を見張った。まるで魔法を見ているような気分だっ
 た。目の前で起こった事であるのにとても信じられなかった。
  そんな啓介に構わず、涼介と史浩は会話を続けた。
 「わざわざ悪かったな、史浩」
 「いいさ、慣れてるし───お前なりに努力はしたみたいだ
 しな」
 「わかるのか?」
 「この目覚まし時計の数を見ればな」
  啓介にはさっぱりわからない内容だったが二人は笑いあっ
 ていた。それに、啓介はわずかな疎外感を感じた。
 「すぐに支度するから、下でちょっと待っていてくれ」
  そう言いながら涼介はベッドから起き出した。そうして初
 めて気がついたのか、涼介は啓介を見た。
 「おはよう、啓介」
 「あ……お、おはよう」
 「すぐに俺も行くから、史浩の事頼んでいいか?」
 「え───……あ、ハイ」
  涼介は見惚れるほどの笑顔で微笑んだ。
  しかし驚き顔の啓介に気づく事なく、涼介は短く朝の挨拶
 をすると啓介にそう頼んだ。
  仕方なく啓介は史浩とともに涼介の部屋を後にした。
  階段を下りながら、啓介は背後の男が気になって気になっ
 て仕方がなかった。啓介のそんな気持ちを知ってか知らずか、
 史浩が話しかけてくる。
 「君も大変だっただろ? 毎朝涼介を起こすのは」
 「……別に」
 「あいつも起きる気だけはあるんだがなあ。実際にはなかな
 か───」
  訳知り顔の口調に啓介は段々と腹がたってきた。
  涼介の友人なら涼介の事を詳しく知っていて当たり前だが、
 それでも啓介は苛ついた。だから史浩が何を話しかけてきて
 も、絶対に振り向かなかった。
  そんな啓介の態度をどうとったのか───背後からため息
 が聞こえてきた。深々としたそれとともに、史浩はつぶやい
 た。
 「君が、涼介の義弟かあ……」
 「な───!?」
  あまりの言いようについに啓介は振り返り、史浩を睨んだ。
  しかし史浩は啓介の視線の険悪さなど軽く流して、おっと
 りと微笑んでいる。
 『何なんだよ、こいつは───!!』
  階段の途中で足を止めたままでのほぼ一方的な睨み合い。
  それは涼介がやって来るまで続いた。
 

 
  


史浩登場です。
この話では史浩はそんなに不幸ではありません。
というか、「二分割〜」の史浩が不幸すぎるだけですけどね(^^;)

しかしパラレルとはいえ涼介さまの性格が……(−−;)
この話では私、ぽやぽやした性格の兄を書きたかったんですが〜。
妙な兄でごめんなさいです。



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