B meets B





   「涼介の奴、すぐに下りてくるってさ」
 「……どうも」
  二階から啓介のいるキッチンにやってきた史浩は、啓介の
 背中にそう声をかけてきた。朝食の卵焼きを作るのに忙しい
 啓介はそれに振り返りもせず、無愛想なつぶやきを一言だけ
 返した。
  そんな態度を気にする風もなく、史浩はキッチンの中央に
 あるテーブルに備えつけの椅子の一つに座った。それを啓介
 は気配で感じたが放っておいた。
  両親はまたもそれぞれ朝から不在で、朝食の支度をするの
 はもう啓介の日課となりつつある。
  でもそれは大した問題ではなかった。母の再婚前の母子家
 庭では、実は食事の支度はずっと啓介の役目だったからだ。
  料理は嫌いではないし、涼介が美味しいと食事をしてくれ
 るのは、啓介にとっては嬉しく楽しい事だった。
  が、このところ啓介を苛立たせている問題が一つあった。
  それは背後にいる男───涼介の友人、史浩の存在だった。
  寝起きの悪い涼介を起こしに高橋家を訪れてから、史浩は
 毎朝顔を出すようになっていた。そしてその度に魔法のよう
 な手際の良さで、涼介を起こしていた。
  涼介がなかなか起きないため、啓介まで学校に遅刻しかけ
 た日もあったのだが、ここ数日は史浩のお蔭で二人とも遅刻
 しそうになる事もなく、穏やかな朝を過ごしている。
  けれどそれでも、啓介はおもしろくなかった。
  まずは涼介の寝顔を拝めなくなったのがおもしろくない。
 啓介に出来ない事を鮮やかにやってのける、史浩と涼介の特
 別な関係を見せつけられているようなのもおもしろくない。
  そりゃあ涼介を起こすのは啓介にとっては大変な重労働で
 あったけれど、それでも決して───決して、嫌だった訳で
 はないのだ。
  それに何より史浩は、啓介が涼介の義弟としては役不足だ
 などと言ったのだ。これには啓介も頭に来たが、文句を言お
 うとした時に何も知らぬ涼介が現れたので、その機会を失っ
 てしまった。
  対する史浩はそんな失礼な事を啓介に言ったくせに、その
 穏やかな態度を少しも変える事なく、律儀に高橋家へとやっ
 て来る。そんなこんなであったから、啓介は史浩と顔をあわ
 せるのが嫌で嫌で仕方なかった。
  しかし史浩の毎朝の訪問は涼介本人が頼んでの事であった
 から、啓介はそれ自体に文句をつける事はできず、結果とし
 てらしくもなく苛々とした朝を送っていた。
  こんな事なら涼介を起こすのにてんやわんやだった時の方
 が、よっぽど楽しかったし幸せだった。
  そんな事を考えながら、啓介は史浩を完全無視して卵焼き
 を四つ焼き上げた。それを崩さないように二つずつに分けて
 皿に乗せ、その皿をテーブルへと運んだ。
  テーブルには二人分の朝食しか用意していなかった。史浩
 は朝食は自宅で食べてくるので、三人分はいらないのだ。
  頼まれたって用意するものかと思っていた啓介であったが、
 ふと思い直す時もあった。
  作ってやってもいいかもしれない。そしたらそりゃもうと
 んでもなく不味い、スペシャルな朝食を用意して並べてやる
 のに(もちろん史浩一人にだ)。
  そんな不届きな事を考えていた啓介の背中に、それまで黙っ
 て椅子に座っていた史浩がいきなり声をかけてきた。
 「……あのさ」
 「……ハイ?」
  話しかけられては仕方なく嫌々ながら振り向くと、史浩は
 は真面目な顔をして、思いがけぬ言葉を投げかけてきた。
 「何か怒ってないか?」
  その一言に、啓介は一瞬言葉に詰まった。
 「別に、何も……」
 「怒ってるだろ?」
  まさかその通りですと返事をする訳にもいかず、啓介が眉
 を寄せながらした返事はしかし、妙な確信を持った史浩の一
 言に否定されてしまった。
 「もしかして俺が毎朝、涼介を起こしに来るのが気に入らな
 い?」
 「…………」
  核心をついた一言に啓介が返事をできずにいると、史浩は
 そう気を悪くした風もなく肩を竦めた。
 「やっぱりなあ───」
 「俺は別に……っ、大体何であんたにそんな事がわかるんだ
 よっ!」
  何だかものすごく自分を見透かされているような不快感に、
 啓介は声を荒らげた。
  その迫力に気押される風もなく、史浩はあっさりと啓介に
 言い切った。
 「だって涼介の事、好きなんだろ?」
 「…………!!」
  今度こそ言葉を失った啓介は、何も言い返せずただオロオ
 ロと慌てふためいた。その顔はまるでトマトの様に真っ赤だっ
 た。
  そんな啓介の様子を眺めながら、史浩は苦笑しながら同じ
 言葉をつぶやいた。
 「やっぱりなあ」
 「な、な、な───何で……っ」
 「そりゃもう態度でバレバレだろ。ああ、涼介には言ってな
 いから……まあ落ちつけよ」
  ようやく言葉を絞り出した啓介に、史浩は向かいの椅子を
 指し示した。この家の住人は啓介の方であるはずなのに、パ
 ニックに陥っていた啓介は素直にそれに従ってしまった。
  しかしテーブルを挟んで相向かいに座ったが、何とも居心
 地が悪かった。
  まさかこの気持ちを、涼介の友人である史浩に知られてい
 たなんて思ってもいなかった。
  それとももしや、史浩は涼介から何か聞いたのか───不
 意に思いついたその可能性に恐々真正面を伺えば、史浩の態
 度は相変わらず高校生とは思えない落ち着いたものだった。
  その様子に多少の戸惑いを感じながら、啓介は仕方なく口
 を開いた。
 「……驚かねえのかよ」
 「何で?」
 「何でって───……」
  史浩の気負いの無さに、逆に啓介が驚いた。
  義理とはいえ弟が、兄を好きになってしまったのに。それ
 に男同士だし。
  しかし驚かれるどころか納得した風な史浩の態度に、逆に
 啓介の方が驚くばかりであった。
  そんな啓介の様子を見て、史浩は瞳を和ませて口を開いた。
 「あいつと知り合った大概の奴は、けっこうコロッとあいつにま
 いっちゃうしな。馴れてるんだよ、俺は。そういう奴を見るの」
 「え───!?」
  何気ない史浩の言葉にけれど聞き捨てならないものを感じ、
 啓介は目を見開いた。
 「ホ、ホントに?」
 「ああ」
  啓介は言葉を失った。そりゃあ涼介がもてない訳がないと
 は思っていたけれど、史浩の言葉は啓介の想像を越えるもの
 だった。
 「俺があいつと知り合ったのは幼稚園の時だけど、俺が知る
 かぎり女はもちろん、男でだってあいつのシンパは多いから
 なあ」
 「お、男……も?」
 「何でだか引っかかっちゃうんだよなあ、皆」
  自分の事は棚に上げて、啓介は心底驚いた。しかしそんな
 啓介に追い打ちをかけるように、史浩の言葉は容赦がなかっ
 た。
 「本人はそんなつもりもないし、特に意識もしてないんだけどな。
 皆メロメロになっちまう……。そのせいか、一部の奴らからは
 『高崎の白い妖精』って呼ばれてる」
 「よ……、ようせ……い?」
 「高崎界隈じゃそう噂されてる」
  あまりのネーミングセンスに、啓介は絶句した。
  けれどもその反面、心のどこかで納得している自分がいる
 のを啓介は感じていた。
  涼介と一緒に暮らしはじめてまだ日は浅いが、何しろ涼介
 は綺麗だった。
  眉目秀麗。スタイル抜群。はっきりいってそこらの女なん
 か遠く及ばない。スーパーモデルだって目じゃないと啓介は
 本気で思っていた。
  ここ最近は拝んでいないが、ベッドでの寝姿だって(寝起
 きの悪さは別にして)だらしなさのかけらもなく───その
 寝顔は可愛くさえあった。
  つまりは生活感が薄い。捉えどころがないというか───
 一緒に暮らしている啓介さえそう思うのだから、他人が涼介
 の事をそう呼んでもそれは仕方ないかもと啓介は思った。
  そこまで考えて、ふと啓介は気がついた。身を乗り出して、
 いつの間にか史浩と話し込んでいる事に。
  慌てて椅子に座りなおし、啓介は史浩を睨んだ。
 「あんたこそ俺が気に入らないんじゃないのかよ」
 「俺が?」
  それまでどんな話をしても平然としていた史浩が、啓介の
 言葉に初めて驚いた様子を見せた。
 「何で俺が……。だいたい嫌うも何も、知り合ったばかりだ
 ろ」
 「言っただろ! 初めて会った日に」
 「…………?」
  史浩のあまりの惚けぶりに、啓介の感情に火がついた。
 「言ったじゃねーかよ! 俺が義弟なのかって、呆れた風に
 ───」
 「……ああ、あれか」
  ようやく思い当たる節があったのか、啓介の言葉に考え込
 んでいた史浩はその顔を上げた。
 「呆れたんじゃないさ。あれは、同情したんだ」
 「同情……?」
  それはそれで嫌だが、その意味がわからず啓介が聞き直せ
 ば史浩はあっさりとその訳を教えてくれた。
 「涼介なんかの義弟になっちまって、さぞかし苦労するだろ
 うなってさ」
 「……そーゆう意味だったのか」
  それは啓介がとったのとはまるっきり逆の意味で、啓介は
 史浩に対する敵愾心が消えていくのを感じていた。
  ホッとするのと同時に、啓介はある疑問を思い出していた。
  それは知りたくて知りたくて───でもどうしても聞く事
 が出来なかった事柄であった。
 「……なあ、あんた毎朝どうやって涼介さん起こしてるんだ?」
  唐突な質問に史浩は多少驚いた様であったが、すぐに口を
 開いてくれた。
 「ああ、それは───」
 「史浩」
  そこへ二階から涼介が下りてきた。
  既に身支度を整えた涼介だったが、そのブレザー姿は毎朝
 見ているというのにそれでも啓介の目にはまぶしく映った。
 同じ学校で同じ制服を着ているというのに、かたや史浩はセ
 ールスマンのオヤジ風。涼介のその印象は『清廉』の一言に
 尽きた。
  そんな涼介は史浩をじっと見つめて視線をあわせてきた。
 その無言の要求に史浩は仕方なく肩を竦め、それを確認して
 から涼介は史浩の隣の椅子に座った。
 「すぐに出るから、もう少し待っててくれるか」
 「ああ、ゆっくり食べろよ」
  史浩と短い言葉を交わし、そうしてから涼介は啓介に視線
 をやり微笑んだ。
 「おはよう、啓介」
 「お、おはよう」
  涼介の笑顔に啓介は体温が急上昇するのを感じていた。い
 ま目の前で交わされた二人のやりとりなど、涼介の微笑みの
 前ではもはや啓介には何の意味も持たなかった。
  慌ただしい胸の鼓動を誤魔化すように啓介は席を立ち、慌
 てて二人分のご飯をご飯茶碗によそった。
  涼介の顔を見て胸がときめいてしまうのは、既にここ最近
 の啓介の朝の日課のようなものになってしまっていた。それ
 でもまだまだ、馴れるという境地にはいたっていなかった。
 「はい、涼介さん」
 「ありがとう、啓介」
  啓介が茶碗を差し出せば、涼介は極上の笑顔でそれを受け
 取ってくれる。
  それから啓介は味噌汁をお碗によそったり何だりとしばし
 席につけなかったが、涼介はそんな啓介をじっと待っていて
 くれた。
  単純な事ではあるが、それが啓介にはとてもとても嬉しかっ
 たりするのだ。
  啓介が自分の向かいに座ってからようやく、涼介は箸を手
 に取った。
 「いただきます」
 「あ、どーぞ。……いただきます」
  そんな二人の様子を、史浩はやれやれといった風に見つめ
 ていた。


  「なあオイ、さっき聞いたの教えてくれよ」
  朝食後、忘れ物をした涼介が二階へと上がっていった間、
 啓介はこっそりと史浩に聞いてみた。
  しかし史浩の答えはつれなかった。
 「悪い。言えないや」
 「何で?」
  さっきはすぐにでも教えてくれそうだったのに。
  けれど史浩は、今度は口を割ろうとはしなかった。
 「言ったら涼介に怒られそうだからなあ……。だからこそ俺
 が呼ばれてるんだろうし」
 「何だそりゃ」
  訳の分からない言葉に啓介は首を傾げた。しかしどれほど
 啓介が頼んでも、史浩はそれ以上なにも教えてはくれなかっ
 た。
  その変わり様に、啓介の中でむくむくと疑心暗鬼の芽が育っ
 ていった。
 「もしかして、あんたも……」
 「?」
 「もしかしてあんたも涼介さんの事、……好きなのか?」
  その言葉を耳にするなり、史浩は椅子から転がり落ちた。
  そして啓介が知るかぎり初めて、慌てながら史浩は叫んだ。
 「冗談!! そんな面倒で大変な事、俺は御免だぞ!」
 「あ、そうなんだ」
  露骨にホッとする啓介に、史浩は頭を抱えた。
 「お前なあ、自分がそうだからって俺まで一緒に括るなよ…
 …」
  そりゃあ史浩は涼介との付き合いは長い。自他ともに認め
 る涼介に一番近い友人だろうし、もしかしたら涼介の父親よ
 りも涼介の事をよく知っているかもしれないという自負もあ
 る。
  しかしだからこそ、史浩は涼介の友人というポジションを
 選んだのだ。
 「……まあ、頑張れよ」
 「何を?」
 「まあ色々な」
 「?」
  意味ありげな史浩の言葉に、啓介は首をひねるばかりだっ
 た。
  疑問は数々残るが、それでも啓介は目の前にいる男の印象
 を大きく変えていた。
 『こいつ、案外いい奴かも───』
  根が単純な啓介は、そうして二階から下りてきた涼介の顔
 を見たらすべての疑問を失念してしまった。
  しかし面倒で大変とは、いったい何が何なのか。
  今はまだ知る由もないが、この先、啓介はそれを嫌(?)とい
 うほど味わう事になる。

 
  


この話はコメディです。
重ねて言いますが、
コメディなんです!
ですので作中にどんな表現があろうとも、笑いとばして下さい!(^^;)




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