けいすけ物語・1


  
   ある日曜日。
   啓介は一人で市内を半日ふらつきたっぷり時間を潰してから、今は家へと向かっていた。
   FDで走ろうにも、休日昼間の赤城などガスを無駄に使いに行く様なものなのでやめた。
   特に行きたい場所もなく、せっかくの休日だというのに超虚しい過ごし方だった。
   原因は三つ年下のいとこの緒美だった。
   来年に大学受験を控えた緒美は、よく高橋家へとやって来ていた。今日もそうだった。
   もちろん涼介に勉強を教えてもらうためだ。群大医学部でもトップの成績を誇る涼介は、申
  し分のない優秀な家庭教師だった。
   しかしそうなると、自分の家だというのに啓介の居場所はなくなるのだ。
   緒美の勉強が始まると涼介はそちらにかかりきりになってしまうし、一緒の部屋にいて少し
  でも話しかけでもすれば、邪魔をするなと追い出される始末だ。
   かといって自分の部屋で一人で過ごすのも虚しすぎた。
   涼介と二人で過ごせる時間を邪魔されるだけでもおもしろくないのに、まったくお邪魔虫の
  緒美だった。
   空は既に夕暮れの色に染まり始めていた。もう緒美は帰った頃だろうか。
   不安と期待の入り交じった気持ちで、啓介はFDを走らせていた。
   しかし帰路の途中で、あるものがFDの足を止めた───。


   家に帰ると、涼介が穏やかに啓介を迎えてくれた。
  「おかえり啓介」
  「ただいま、アニ───」
   半日ぶりの二人の会話はしかし、明るい少女の声に中断された。
  「おかえり、啓兄ィ。遅かったね」
  「緒美、まだいたのかよ……」
  「ひどぉい。啓兄の帰ってくるのを待っててあげたのに」
  「余計なお世話だ」
   別に啓介は緒美の事が嫌いな訳ではない。顔をあわせれば口喧嘩ばかりだが、啓介なりにこ
  の年下のいとこを大切に思っていた。
   ただ涼介が緒美を可愛がっているのと、緒美が来ると涼介との時間が邪魔されるのが気に入
  らないだけだ。
   緒美に言わせれば「啓兄はいつも涼兄と一緒にいるじゃない」と言われそうだが、気に入ら
  ないものは気に入らなかった。
   そんな啓介と緒美の会話を余所に、涼介の視線はあるものへと釘付けになっていた。
  「……お前、何を抱えてるんだ?」
  「あ」
   涼介の疑問の元は啓介の胸元にあった。
   啓介は上着を丸めて胸に抱えていた。しかしただ上着を丸めただけにしては、それは妙にこ
  んもりと膨らんでいた。
  「忘れてた。こいつ、どーしよう……」
   言いながら啓介は上着をリビングのテーブルの上に置いた。丁寧な手つきでそれをそっと開
  く───と、中から茶色い物体が現れた。
  「……なんだ?」
   涼介は覗き込んでそれを見た。よく見ればそれは茶色い毛玉だった。
  「なあに?」
   緒美も興味を惹かれて、涼介の隣に並んでそれを覗き込んだ。
  「きゃあ、可愛いっ!」
   茶色い毛玉の正体───それは小犬だった。
   薄茶色の毛並み。小さい身体にちょこんとした手足。ふさふさの尻尾は背中に向かってくる
  んと丸まっていた。
   まだ体長20センチくらいの柴犬の小犬だった。抱き締めても腕の中にすっぽりと隠れてし
  まうくらいの小ささだった。
   まさか上着の中から犬が現れるとは思っていなかった涼介は、啓介を問いただした。
  「どこで拾ってきたんだ、お前」
  「家の前に転がってたんだよ」
   FDで帰ってきたら、高橋家の門の前で丸まったまま転がっていたのだ。
   クラクションを鳴らしてもまったく動かなかったので、仕方なくFDを降りてそれを拾った。
   拾ったその小犬は眠っているのか意識を失っているのか、ピクリとも動かなかった。
   道端に捨てる訳にもいかず、仕方なくそのまま連れ帰ってきたのだ。
  「で、どうするんだ?」
  「どうするって……」
  「飼うのか?」
  「いや……、んな事思ってねーけど」
   二人はマジマジと小犬を見つめた。
   小犬は首輪をしていなかった。しかし毛並みは悪くない。体つきも丸々としており、今まで
  は食うに困ってはいないようだった。
   野良犬か捨て犬かそれとも迷い犬か、判断するには難しかった。
  「……放り出す訳にもいかないし、とりあえずしばらく預かって飼い主探してみるしかねーか」
   ため息交じりに啓介がつぶやくと、すかさず涼介が言った。
  「世話するならお前がしろよ」
  「わかってるよ!」
   俺にはそんな暇はないと言いたいのだろう。啓気は半ば自棄になって答えた。
   それまでおとなしく小犬をじっと見つめていた緒美が、涼介と啓介の会話を聞いて嬉しそう
  に声を上げた。
  「じゃあ名前は『けいすけ』だね!」
   しかし言われた二人は、突然の提案に戸惑った。
  「……けいすけ?」
  「何で俺と同じ名前なんだよ」
   特に啓介は不満そうだった。何故に自分の名前と小犬の名前が同じなのか。
   しかし啓介の鋭い視線もどこ吹く風で、緒美は嬉々としてその理由を説明した。
  「啓兄ィが拾ってきたんだもん。絶対『けいすけ』しかないよ!」
   その理屈で言えば、緒美が拾ったのならつぐみ。涼介が拾ったならりょうすけになるのだろ
  うか。
  「ねー、涼兄ィ」
  「けいすけか……」
   涼介は特に反対ではないらしい。
   しかし気になる事が一つあった。
  「いいとは思うが、こいつの性別はどっちなんだ?」
   いくら何でもメスなのにけいすけでは可哀相だろう。
   言われて初めて気がついたのか、緒美は人間の啓介を見た。
  「啓兄。この子、男の子? それとも女の子?」
  「知らねーよ」
   啓介はただ小犬を拾って連れてきただけだ。そこまで確認してはいなかった。
  「仕方ないなあ」
   緒美は小犬を両手で抱き上げた。小犬の脇の下に手を差し込み、そのまま小さな身体を自分
  の目の前まで持ち上げた。
  「あー、男の子だぁ。よかったあ」
   性別を確認する前に名前をつけてしまうあたりが、なんとも緒美らしかった。
  「よろしくね、けいすけ」
   しかし緒美が抱き上げても小犬はピクリとも動かない。連れてこられてからずっと、一度も
  目を開けなかった。
   胸に抱き締めて頭を撫でても尻尾をつついても、小犬は目を覚まさなかった。
  「どこか具合悪いのかなあ……」
   緒美が心配そうにつぶやいた。
  「涼兄ィ。この子診てあげて」
  「緒美……」
   涼介が大学で勉強しているのは、犬ではなく人間対象の医学だ。けれど緒美にとってはその
  辺の区切りはないらしい。
   緒美から小犬を差し出されて、涼介は仕方なく小犬を受け取った。
  「診ろと言われてもな……」
   その時、小犬がパチリと目を覚ました。
  「あ、起きた!」
   嬉しそうに緒美が涼介の腕の中を覗き込んだ。
   目覚めた小犬はクンクンと鼻を鳴らした。そして身じろぎ、二本の前足を涼介の胸にあてて
  身体を起こした。
   小犬の瞳はつぶらで、キラキラと瞬いていた。
   その瞳は自分を抱き上げている涼介を真っ直ぐに見上げていた。
  『こ、こいつ……』
   隣でその様子を眺めていた啓介は瞬間、なんだか非常に嫌な予感に襲われた───。



                

                         Illustration by ももさま





  わんこけいすけ可愛い〜(^^)
  兄ファンの私ですが、さすがに↑のわんこには心がぐらっとくるものがありました。
  そんなこんなでこの小説です。
  ももさんには我儘にもお願いして、サイトから画像を使わせてもらいました。
  ありがとうございます〜!m(__)m




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