けいすけ物語・2


  
   一匹の柴犬がやってきたその夜、涼介は緒美を送り届けるためにFCで出かけてしまった。
   残されたのは一人と一匹。啓介とけいすけ。
   その間に高橋家ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
  「うわ!」
   リビングの観葉植物が鉢ごとひっくり返された。
   倒したのはもちろんけいすけだ。
   慣れない環境に落ちつかないのか、けいすけはやたらと部屋の中をパタパタ駆け回った。
  「何しやがんだよ!」
   啓介は鉢植えを元に戻そうと屈み込んだ。
   その隙にけいすけはカーテンへと飛びついた。
  「おいこら!」
   叫んだが時すでに遅く、カーテンはビリビリと引きちぎられてしまった。
   慌てて啓介はけいすけを捕まえようとしたが、小犬のくせにやたらと機敏でするりと逃げら
  れてしまった。
   そしてけいすけは今度はスリッパに飛びついた。
  「齧んな!!」
   しかしけいすけは啓介の言葉をちっとも聞かなかった。
   一時間も経つ頃、高橋家はひどい有り様と成り果てていた。
   ドアを閉めていたので被害はリビングだけですんだが、カーテンはボロボロ。スリッパもヨ
  レヨレ。クッションも齧ったままブンブン振り回されて、中身がこぼれてしまった。
   挙げ句の果てには───。
   ちー。
  「わーっ! そこはトイレじゃねえ!!」
   ソファーの上でおしっこをされた。
   革張りのソファーはいったい幾らするんだか。少なくとも十万円じゃきかないだろう。
   ティッシュとタオルを取りに駆けだしながら、啓介は怒る涼介の顔を思い浮かべた。


   涼介が帰宅した時、啓介は疲労困憊といった顔で座り込んでいた。
  「……何の騒ぎだ」
  「あ、アニキィ〜」
   涼介の姿を認めて、啓介の目に涙が滲んだ。
   しかし涙目の啓介が涼介に駆け寄る前に、何かが涼介に近寄った。
  「ワン!」
  「ただいま、けいすけ」
   けいすけはそれまで齧っていたスリッパを放り出し、涼介の足元に走り寄った。
   涼介も床に片膝をつき、そんなけいすけの頭を撫でてやった。
   左手に何やら紙袋を持っているために残った右手でだけであったが、けいすけは嬉しそうだ。
   さっきまでの乱行はどこへやら、おとなしく撫でられていた。
   何となくおもしろくない光景だ。
  「アニキ、遅かったじゃねーかよ」
  「緒美を送るついでにちょっと買い物をな」
   唇をわずかに尖らせた啓介に、涼介はけいすけを撫でながら答えた。
   しかしその眉がかすかに顰められた。
  「……なんか匂うな」
  「そいつのせいだよ。ソファーの上でやられたっ!」
   ソファーを拭き清めるのに使ったティッシュとタオルを握りしめながら、啓介はアニキそい
  つを叱ってと叫んだ。
   しかし涼介は怒りはしなかった。
  「そういえば、トイレを作ってなかったな」
  「……アニキ怒んねーの?」
  「仕方ないだろう。トイレがないんじゃけいすけも困るよな」
  「クーン」
   わかっているのかいないのか、けいすけは心なしか悲しそうにキューンと鳴いた。
  「啓介手伝え」
  「なに?」
  「けいすけのトイレを作らなきゃだろ」
  「え。でもどーやって?」
   犬など飼った事はないし、何でトイレを作ればいいかもさっぱり分からなかった。
  「今調べる」
  「調べるって……」
   涼介は立ち上がると持っていた紙袋を啓介に手渡した。
   そんな何気ない動作も仕種も、涼介は妙にカッコよく見えた。
   内心密かにドキドキしながら啓介は袋を受け取って中を見た。
  「……?」
   袋の中身は数冊の本だった。
   表紙には写真が使われているようだが、袋に入ったままではよく見えない。
   車か、まさかグラビアアイドルの写真集か───と思いながら取り出してみた。
  「アニキ、これ───」
   出てきたのは車でもアイドルの写真集でもなく、…………犬だった。
  「『柴犬の飼い方』、『まるごと柴犬BOOK』……?」
  「必要だろ?」
  「そうかもしれねーけど……」
   飼い主が見つかるまで、一時預かるだけじゃなかったのだろうか。
   なんだか妙に涼介が入れ込んでいるようなのは気のせいだろうか。
   釈然としない気分のまま、啓介はとりあえずトイレに関するページを探した。


   トイレを作ろうにも丁度いい材料が見つからず───兄弟二人は納戸や押し入れを探しまくっ
  た。
   結局、御歳暮にもらった海苔の入っていた大きなアルミ缶の蓋をひっくり返し、そこに新聞
  紙を敷きつめて急造のトイレとした。
  「ほら、けいすけ。お前のトイレだぞ」
  「ワン!」
  「……わかってんのか、こいつ」
   疑う啓介の目の前で、けいすけはトコトコと用意されたトイレに足を踏み入れた。
   ちー。
  「あれ?」
   自分のためのものだと分かったのだろうか、けいすけはおとなしく用を足した。
  「かしこいな、お前」
   トイレを済ませたけいすけを、涼介は褒めた。
   けいすけは尻尾をふりふり、嬉しそうにまた頭を撫でられていた。
  「明日になったら、もっとちゃんとしたトイレを作ってやるからな」
  「ワン!」
   嬉しいという風に、けいすけは元気良く返事をした。
   なんだかおもしろくない気分で啓介はそれを眺めていたが、いきなり涼介が話をふってきた。
  「そういう訳だから啓介、お前が買ってこいよ」
  「なんで俺が!」
  「お前が拾ってきたんだろ。買ってくるものはこれから俺がリストアップしてやるから」
  「拾ってきたからって俺の犬って訳じゃねーだろ!」
  「拾い主としての責任はあるだろ」
  「うう……」
   どう見ても涼介の方に懐いてるような気がするのだが。
   どうにもこうにも釈然としない気分の啓介だった。

                




  涼介さまではないですが、私も参考に一冊、柴犬の本を買ってきました。
  そしたら家族全員から「柴犬飼うのか!?」と驚かれました(^^;)
  そりゃそうだろうなあ……(^^;)

  



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