けいすけ物語・5


   けいすけが高橋家にやって来て三日。
   さしたる問題もなく、けいすけは高橋家に馴染みつつあった。
   新しい環境に置かれた子犬は緊張と不安から体調を崩す事もあるという。今のところけいす
  けは食欲も旺盛で、毎日元気に部屋中を走り回っていた。
   しかし三日目の夜、やはり問題は起こった───。


  「アニキ───」
  「啓介……?」
   深夜の涼介の部屋で、涼介がパソコンを終了させるのを見計らって、啓介は涼介を背中から
  抱きしめた。
   忙しい時の涼介にどう言っても取り合ってはもらえない。涼介の用事が片づくまで待つのが
  成功への一番の近道だと、啓介は長年一緒にいて学んでいた。
  「なんだ、どうした?」
  「うん……。なあ、今日いい?」
  「──────」
   何がいいかというと、それはいわゆるナニである。
   敢えて平静を装いそっとお伺いをたててはいるが、啓介にとってはかなり切実な願いだった。
   涼介の返事はない。
   振り向きもしないが、啓介の腕を振りほどこうともしない。
   いつもダメな時ははっきり「ダメだ」と即答する。
   これはOKの返事だと啓介は解釈し、身体を乗り出してそっと涼介に口づけた。
   久しぶりのキス。
   このところけいすけのせいでドタバタしていたが、それ以前から涼介が忙しかったためお預
  け状態だった。
   こんな風な時間を持てたのは約二週間ぶりだろうか。
  「アニキ……」
  「…………」
   口づけの合間に名前を呼ぶ。涼介の返事はなかったが、突き放されもしなかった。
   涼介を抱きしめながら、温かいその体温を感じながら、啓介は幸せを一杯感じていた。
   もう一度軽くキスして、そのままベッドに移動した時───。
  「……啓介」
  「ん?」
  「なんか聞こえないか?」
   言われて耳を澄ますが、部屋の中は静まり返り何の音もしなかった。
  「気のせいだろ」
   そのまま涼介の身体をベッドに押し倒そうとしたが───……。
  「ちょっと待て」
  「アニキィ!」
  「静かにしろ」
   涼介の手に口を塞がれ、啓介は無理やり沈黙を強いられた。
   なんなんだよと思いながら黙っていると───。
  「………………ン、キューン」
   微かな声が聞こえてきた。
  「…………」
  「…………」
   啓介と涼介は顔を見合わせた。
   お互いの声ではない。おまけに微かなその声は、部屋の外から聞こえてきた。
  「……もしかしてけいすけか?」
  「あいつは寝てるだろ」
   けいすけは階下のリビングで寝ているはずだった。
   キャンキャンとじゃれついてくるのを何とか落ちつかせ、寝つくまで涼介が寄り添っていた
  のだ。
   それが、こんな夜中に今さらどうしたというのか。
  「……仕方ないな」
  「アニキ?」
   涼介は啓介から身体を離すと、ベッドから腰を上げた。
  「ちょっと待てよ。アニキ、どこ行くんだよ!?」
  「どこって、下に決まってるだろう」
  「なんで! だってこれから───」
  「けいすけが鳴いてるのに、放っておけないだろう」
   そう言うと涼介はさっさとドアへと向かった。
   啓介は咄嗟に涼介の肩を掴んだ。
  「ちょっと待った! 俺が行くから」
  「お前が……?」
   振り返った涼介の目は意外そうだった。
   しかし啓介も必死だった。
   もしもここで涼介を行かせたら、最悪戻ってこない可能性だってあるのだ。
   せっかく珍しくOKをもらったのに、この貴重なチャンスは何としても逃してはならなかっ
  た。
  「俺が様子を見てくるから、アニキはそのまんまここで待っててくれよ」
  「まあいいが……」
  「すぐ帰ってくるから!」
   啓介は部屋を飛び出すと、慌ただしく部屋を飛び出した。


  「ったく、いーとこで邪魔しやがって……」
   ブツブツつぶやきながら、啓介は廊下の明かりをつけて一階へ降りていった。
   しかし意外な姿を見つけ、途中の階段の踊り場で足を止めた。
  「お前───なんでここに」
   階下に見つけた意外な姿───それはけいすけだった。
   リビングにいるはずなのに、なぜか階段の前の廊下でうずくまっていた。ドアでも開いてい
  たのだろうか。
  「なんでここにいるんだぁ?」
   啓介は階段を降りきり、ヒョイとけいすけを抱き上げた。
  「やな夢でも見たのか?」
  「キューン、キュウーン……」
   よしよしと抱っこして、その背中を優しく撫でてやった。
   しかしけいすけの鳴き声は止まなかった。小さく身体を震わせながら悲しげに鳴き続けた。
   これはいわゆる夜泣きだろうか。環境が変わったばかりの子犬にはよくあると、買ってきた
  本には書いてあった。
   ここ数日の様子ではかなり慣れたと思ったのに、夜になると犬も寂しい気持ちになるものだ
  ろうか。
  「ワン!」
  「お、おい」
   しばらく啓介に抱かれていたけいすけだったが、身を捩ってその腕から逃げて廊下に降り立っ
  た。
   フンフンと匂いを嗅いで、つぶらな瞳で二階を見上げた。
  「キュウーン……」
   誰かを呼ぶように鳴きながら、尻尾をパタパタと振っている。
   どうやら涼介を捜しているらしい。
   啓介はちょっと意地悪な気持ちになった。
  「アニキは二階にいるけど、降りてこねーぜ。どうする?」
   けいすけはしばらく尻尾を振っていたが、二階からは誰も降りてくる気配はなかった。
  「自分で行くしかねーけど、お前に行けるのかぁ?」
   啓介の言葉が通じたのか、けいすけは尻尾を振るのをやめてやおら両前足を階段にかけた。
   たし。
  「………………」
  「………………」
   ───しかしそれ以上、けいすけは動けなかった。
   階段の段差を上がるだけの歩幅と力がまだないのだ。
   階段も上がれず、しかし足も下げられず、けいすけは階段の一段目に両足をかけたまま、そ
  のままの体勢で固まってしまった。
   啓介にとっては大層おもしろい眺めだった。
  「残念だったなあ。でもチビじゃしょーがねーよなあ」
   大笑いしながら、けいすけの前足に手を伸ばした。
  「苦しいだろ、ほら足降ろせよ───」
  「ガウ!」
   しかし伸ばされたその手にけいすけはガブリと噛みついた。
  「いってぇー!!」
   啓介は悲鳴を上げて手を振り回した。
  「何しやがるこの馬鹿犬!!」
  「グァウ!」
   何とか引き剥がそうとしたが、けいすけは啓介の手から離れない。犬というよりまるですっ
  ぽんのようだった。
   なんとか引き剥がそうとする啓介と、剥がされまいとするけいすけの攻防はしばらく続いた。
  「……何をやってるんだ、お前たちは」
   階下の騒ぎを聞きつけて、ついに涼介が部屋から出てきた。
  「アニキィ」
  「キュウウン」
   涙目の啓介と、そしてけいすけが涼介を呼んだ。その拍子にけいすけは啓介の手を口から離
  した。
  「アニキ、こいつ俺の手噛みやがった」
  「よけいなちょっかい出したからだろ。見せてみろ」
   階段を降りてきた涼介に、啓介は手を差し出した。
  「……血も出てないし大した傷もない。消毒だけはしておけよ。狂犬病の心配はないと思うが
  ……」
   それだけ言うと涼介は、足元に擦り寄っていたけいすけを抱き上げた。
  「よしよし。どうした、寂しかったのか?」
  「キュウーン……」
   けいすけは涼介の腕の中に収まり、ペロペロとその頬を舐めながら、尻尾をこれ以上はない
  くらい振って甘えまくっていた。
   その姿は愛らしく、放っておけないくらい可愛かった。
  「……しょうがないな。今夜は一緒に寝るか?」
  「ワン!」
  「アニキ!!」
   けいすけは喜んだが、驚いたのは啓介だ。
  「やめろよアニキ。そんな事してクセになったらどうすんだよ」
  「こんなに夜泣きするんじゃ、こっちも落ちついて寝られないだろ」
  「だって、これから俺と───」
   啓介は必死になって訴えた。
   なんといっても二週間ぶりなのだ。いざこれから───というところまでいっていたのに。
  「仕方ないだろ」
   しかし涼介の返事はにべもなかった。
  「……じゃあそいつが居てもいいからさ」
  「俺は嫌だ」
  「人間じゃないんだから、犬にはなにやってっか分かんねえよ。な、アニキ」
   涼介には妙にお固いところがあって、そーゆー行為の時に部屋に第三者がいるのはもちろん、
  家の中に他の人間がいるのも嫌がった。
   啓介は階下に人がいるくらいは許容範囲だ。それに犬なら部屋にいたって構わない。別に露
  出趣味はないが、なんといっても人間ではないのだ。
   なのに───。
  「絶対に嫌だ」
  「アニキィ〜」
   やっぱり涼介にはダメらしい。
  「消毒だけは忘れるなよ。おやすみ」
  「クーン」
   涼介はけいすけを抱いたまま、さっさと自分の部屋に引き上げてしまった。
   けいすけは幸せ一杯という顔で、当然のように涼介の腕に納まっていた。
   啓介の胸には怒りの炎がわき上がった。
   涼介にキスするのは自分の筈だったのに。
   抱き締めあうのは自分の筈だったのに。
   一緒に寝るのは自分の筈だったのに───!
  「あんのお邪魔犬───!!」
   一人残された廊下で、憎々しく叫んだ啓介だった。



                  

                         Illustration by ももさま





  昔々、遊びに行った帰り道の電車の中。
  ボックス席に座り居眠りしていた私の斜め前に、いつの間にか一人のおじさんが座っていました。
  一冊の写真雑誌を片手に、もう片手は膝の上。雑誌にはグラビアのお姉さんの写真。
  やっぱ男の人はそーゆーのが好きねえと最初はぼんやり思ってたのですが、よくよく見ればなんか
  変……?
  指がろっぽ…………
ギャアア〜!!(@@;)

  今でこそ笑い話にできますが、そゆ事は人のいないとこで、一人もしくは二人でやってくれ! と、強
  く強く願ったものです。




         小説のページに戻る            インデックスに戻る