愛の妥協点
「……いいだろ」
「ダメだ」
「なんで? 今日は二人きりじゃん」
「ダメだ」
涼介の部屋の、ベッドの上で。
交わった後の、素肌の背中を素肌のまま抱きしめながら───。
けれど交わす言葉は睦言とはちょっと違っていた。
「もう、充分だろ……? お前も早く寝ろよ」
「ここでなきゃやだ」
兄弟である二人が、こうして兄弟でなるはずもない関係になって、もう数年が過ぎよう
としていた。
主に涼介の部屋で、ベッドで。啓介の部屋は散らかりすぎて、涼介は足を踏み入れよう
とは決してしなかったからだ。半ば必然的に二人一緒に過ごす時は、涼介の部屋というこ
とがほとんどだった。
でもどんなに長い夜を過ごしたとしても、啓介はそのまま朝まで眠った事はなかった。
涼介が許してくれなかったからだ。
両親は多忙で病院に泊り込む日が多かったが、まったく帰ってこない訳じゃない。
朝まで一緒のベッドに眠り───万が一見つかりでもしたら、どんな事になるか。
それは啓介としても避けたい事態だったので、いつもおとなしく自分の部屋に戻ってい
たのだが───。
「今夜は親父たち帰ってこないだろ」
父親からは2〜3日は病院に泊り込むと電話があった。いつもは電話などしてこないの
だが、めすらしく息子たちに連絡しておこうと思ったらしい。
そして運良くというか何というか、母親は友人たちと一泊二日の旅行に出かけていた。
普段からいないに等しい両親だったが、二人そろって出かけている事もそうなかった。
それを知った啓介は即座に家政婦に連絡をし、明日の出勤を午後からにしてもらった。
こんなチャンスはそうはない。
明日の朝まで、まったくの二人きり───なのだ。
啓介は何が何でも今日こそは、一緒に眠るつもりでいた。
なのに涼介ときたら───……。
「それでも、ダメだ」
まったく頑な事この上なかった。
「そんな事言わないでさぁ、アニキ〜」
それでも負けずにめげずに食い下がり、お願いしつづけていた啓介だった。
涼介の心を解きほぐすように、できるだけ優しく、その肩を抱きしめた。お互い汗が引
いた後の肌なのに、不快感のかけらもないのが不思議だった。
自らの胸の前で交差していた啓介の腕を、涼介はそっと外した。
「……もういい」
「え?」
てことは、もしかして許してくれるのだろうか───。
そう思った啓介の目の前で、涼介はさっさとシャツを羽織りはじめた。数時間前に脱が
せて、啓介が床に落としたシャツだった。
「ちょ、なあアニキ、なんで服なんか着込むんだよ」
「お前が出ていかないなら俺が出ていく」
「なんだよそれ!」
慌てる啓介を尻目に、涼介はベッドから腰を上げた。
「仕方ないだろ。お前が強情だから」
どっちが強情なんだか。だけれどここで逃がしてなるものか。
咄嗟に啓介は涼介の腕を掴み、力任せに涼介をベッドの上に引き戻した。
「啓……!」
涼介が身体を起こす前に、逃げられないように自分の身体で押さえつけた。
「……啓介……」
ベッドに押さえつけられ、啓介を見上げる涼介の眼差しは険悪そのものだった。
元々が切れ長の眼差しだ。なまじ美形なだけに、震えがくるほど鋭い視線だった。
その辺の奴らならびびって逃げ出す涼介の睨み。けれど啓介は真正面からそれを受け止
めた。
伊達に22年、兄弟をしていた訳じゃない。
「どけよ」
「嫌だ」
兄としてはこんな風に押し倒されるのは不本意なのだろうが、ここは啓介も引けなかっ
た。
何より、怖いとも思うがそれよりも綺麗だと思う。興奮する───煽られる。
「どけと言ってるだろう。でないと───」
熱くなる啓介とは反対に、涼介の冷やかな怒りのボルテージが上がっていくのが肌で感
じられた。
これ以上はヤバいかもしれない。
押し倒した体勢はそのまま、啓介はつぶやいた。
「そんなに俺といるのがやなのかよ?」
「なに……?」
突然の啓介の弱気な言葉に、涼介は眉をしかめた。
啓介はどこか不安そうな表情で言い募った。
「朝まで一緒にいたいって言ってるだけだろ。それがそんなに嫌なのかよ」
「だけじゃないだろ。声出せとか腕をまわせとか、いろいろうるさいだろお前は」
「それは、アニキが全然声出してくれないから」
声も上げてくれない。唇を噛みしめたまま。
それは兄らしいと思うし、すごいそそるけど───たまには素直に溶けてほしと思うか
ら。
けれどそういう事を求められるのが嫌なのか、涼介の表情は固いままだった。
「そんな人に声を出せとか言う前に、出させてみたらどうだ」
「それって俺がすげーヘタだって事?」
「───さあな」
涼介は言葉を濁して答えてくれなかった。すごいムカついた。
声を出させてみろなんて言っておいて、いつも唇を切ってしまうくらい噛みしめてるく
せに。
でも啓介はそれを言って追い詰めたりはしなかった。
言い争うのはやめにして、啓介は今夜しかできない大事な用件を再度切り出した。
「なあアニキ、今日だけだから」
「…………」
「今夜だけだから───……いいだろ?」
懇願する啓介に、涼介は険しい視線を閉じて───しばらく考え込んだ。
何も涼介も啓介が嫌でだめだと言っている訳ではないのだ。
万が一にもこの関係を誰かに知られたらどうなってしまうか。それを思っての事なのに
能天気な弟は、ただ無心に涼介の傍にいたがる。
それは、とても嬉しいのだけれど───……。
なんだか涼介は自分がものすごく冷たい人間に思えてきた。
「……せめてちゃんと服を着ろよ」
「え」
突然の承諾。了承の言葉に啓介はきょとんとしてしまった。
自分で願い続けた事なのに、咄嗟には信じられなかった。
「いいの?」
「お前がどうしてもって言うからだろ。ただし、しっかりパジャマを着ろよ」
「サンキュー、アニキ!」
押し倒しているのをいいことにぎゅうっと抱きしめ、そのまま涼介の唇に軽いキスをし
た。
「おい」
「わぁってるって。今日はもうしないから。パジャマとってくるよ」
すっかり有頂天になった啓介は、床に脱ぎ散らかしていた二人分の服の中からいそいそ
とジーンズを拾いだした。
パジャマは自分の部屋置いたままだった。ジーンズだけ履いて、啓介はドアへと向かっ
た。
そして涼介の部屋のドアに手を伸ばしたのだが───。
鍵を解いてドアを開こうとしたのだが、なぜか解く前にドアはすんなりと開いた。
「あれ?」
「どうした?」
「いや、鍵が───」
言いかけて啓介は気づいた。
この部屋に押しかけた時に施錠したはずの───いや、施錠したつもりだったドアには
……鍵がかかっていなかった。
数時間前、涼介の部屋に押しかけてきて、抱きしめてお願いして。
素直じゃない涼介の承諾の言葉は「鍵を閉めてこい」だった。
涼介と事に及ぶ時、ドアに施錠するのは絶対条件だったので、部屋に入ってドアを閉め
て鍵をかけてから、啓介は涼介に抱きついたのだ。
だから胸をはって「ちゃんと閉めた」と返事をしたのだが……。
「……お前、閉め忘れてたな」
啓介の背後から、凄味を帯びた涼介のつぶやきが聞こえてきた。
慌てて啓介は振り返った。
「い、いーじゃんっ! 今日は誰も帰ってこないんだし」
「そういう問題じゃない」
「だから、しっかりかけたと思ったんだってば!」
しどろもどろと言い訳する啓介を、今度こそ涼介は冷たい視線で睨んだ。
「……やっぱり不安だ。一緒に寝るのはやめだ」
「えーっ!!」
慌ててベッドサイドまで戻ってきた啓介だったが、涼介は既に身支度を終え、毛布に手
をかけていた。
「今度こそちゃんと鍵かけるから!」
「心配だからダメだ」
涼介は信じられないとベッドに腰を下ろした。
それに啓介は必死で待ったをかけた。
「ここがダメなら俺の部屋でもいーからっ」
「それこそ御免だ」
論外な提案に、ついに涼介は毛布を被ってしまった。
「アニキ〜っ!」
一度は手にしかけた幸運を、啓介が再び手にする事ができるのか。
その妥協点はどこにあるのか、それは啓介の根性と涼介の愛だけが知っていた。
〈END〉
12000ゲッター、沙々貴さんのリクエスト。
「嫌そうな兄」小説です。
ふふふ、楽勝楽勝〜! と思いつつ書いたのですが、もしかしてうちはいつもこんなパターンかも……?
この小説を書くきっかけになった、沙々貴さんのイラストは「いただきもの」の部屋にアップしてあります。
素敵です!
そちらもあわせてご覧下さいませ(^^)
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