シアワセになりたい
朝、涼介がキッチンで朝食をとっていると、二階から階段を下りてくる足音がした。
「おはよう」
「あ……。お、おはよアニキ」
下りてきたのは弟の啓介だ。
なんという事はない朝の挨拶。それなのになぜか動揺した様子の啓介は、言葉を詰まら
せた。
それでも啓介は自分の定位置、涼介の真向かいの席に座った。
用意されていた朝食のトーストに齧りつく。
「今日も早いんだな」
「ああ……うん。まあ」
返ってきたのは生返事で、それ以上の会話は続かない。
そのまま啓介は無言で、慌ただしく朝食を口に詰め込んでいった。
そして三分で朝食を済ますと、コーヒーも飲まずに席を立ち、食器洗い機の中に慌ただ
しく皿を突っ込んだ。
そのままキッチンを出ていこうとする背中に、涼介は声をかけた。
「もう行くのか?」
「うん。行ってきます」
ろくな会話もなく、視線もあわさない。
慌ただしく玄関のドアが開閉する音が響き、啓介は大学へと向かった。
以前は食べるのこそ早かったが、短い時間でも少しでも涼介といたがり、なかなか出て
いかなかったのだが───。
啓介が家を出てからしばらくして、涼介も大学へ行くためにFCで出かけた。
FCのハンドルを握りながら、考えるのはどうしても弟の事だった。
啓介の態度に変化が現れたのは一週間前。
ここ一週間ずっとそうだった。涼介は啓介に避けられるようになっていた。
朝は先程の通り、夜は夜で今までは涼介の部屋に入り浸っていたというのに、啓介は自
分の部屋に閉じ籠もり、涼介の部屋にやって来る事はなくなった。
その理由は───ひとつしか思い当たらない。
一週間前、初めて啓介と寝た。
ずっと以前から好きだと言われていた。
兄弟としてだけではなく好きだと、抱きたいと。
涼介の返事はNOだった。
啓介の事は、涼介ももちろん好きだった。この世で誰が一番大事かと聞かれたら、迷い
なく啓介と答えるだろう。
けれどそれは弟に対するもので───どれだけ好きだと言われても、抱きたいと言われ
ても、とても考えられなかった。
そう答えを返したのに、啓介はそれでも諦めなかった。
諦めずに涼介に好きだと伝え続けた。一年以上、伝え続けた。
その気持ちに涼介も揺れた。
啓介の事は弟としてしか見れない。見れないと思っていたし、今でも思っていた。
けれどたぶん啓介に好きだと伝え続けられ───涼介の中に、弟に対するものだけでは
ない想いが生まれたのだと思う。
まるで呼応するように。
それに気づいたから、だから寝たのに───啓介の態度は変わってしまった。
別にその辺りのカップルのように過ごしたい訳じゃない。そんなのはこちらから願い下
げだ。
しかし、気まずそうに視線を背けられるのも正直言ってショックだった。
けれど啓介の態度を、涼介はどこかで当然のものとも思っていた。
そんな物思いを打ち消すように、涼介はFCのアクセルを踏みなおした。
その夜、涼介の部屋をノックする者がいた。
涼介の他に家にいるのはもちろん一人しかいない。
返事をすると、遠慮がちに啓介が部屋へ入ってきた。以前はノックもしないで入ってき
たのに、妙にしおらしい態度だった。
それとは別の理由もあり、涼介は意外な気分で啓介を迎えた。
とはいえ身体はパソコンに向けたままだった。
「何か用か?」
「…………」
「なんだ?」
声をかけても啓介からの返事はない。
不思議に思って振り返ると、啓介は涼介の背後に立ち、なぜだか視線を彷徨わせていた。
「啓介?」
「…………あ、あのさ」
何度か促されてようやく気持ちが固まったのか、啓介はやっと口を開いた。
「そろそろ、いい?」
「何がだ?」
「何がって……」
啓介は気まずそうに、涼介の足元を見ながら言葉を続けた。
「今晩、いい?」
「だから何が。走りに行きたいのか?」
「ちーがーうって! そうじゃなくってさ、だから───」
どうにも話が通じない。
意を決した啓介は顔を上げると、真っ直ぐ涼介の目を見つめながら声を張り上げた。
「今夜、アニキとしたいって言ってんの!!」
さすがに気恥ずかしいのか、啓介はちょっと顔を赤らめていた。
しかし対する涼介は───鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「……どうしてだ?」
「どうしてって───」
涼介の疑問は、啓介にとっては今更な質問だった。
「アニキ。まさか一週間前の事、忘れてる?」
「……忘れる訳ないだろ」
「じゃあ、何でんなこと言うんだよ」
好きだと言いつづけて一年ちょっと。やっと───ようやく自分たちは両思いになれた
と思っていたのに、まさか啓介の勘違いだったのだろうか。
「お前こそもう俺の事はいいんじゃないのか?」
「はぁ!?」
「ちょうどよかった。一度その事で話をしたいと思っていたんだ。一週間前の事をお前が
気に病んでいるなら、忘れていいから───」
「ちょ、ちょっと待ってよアニキ!」
どうも話がすれ違っている。
啓介は涼介の言葉をなんとか遮ると、改めて涼介と向き合った。
「気に病んでるってなに? 忘れていいって何だよ?」
「後悔してるんだろ。だったらいっそ忘れて───」
「してねーよ後悔なんて!! すっげえ何度も思い出してたんだからな!!」
「……そうなのか?」
「そーだよ!!」
啓介の言葉になぜだか涼介は釈然としない様子だった。
そんな涼介に、啓介も急に不安をかき立てられた。
「アニキこそ何でそんな事言うんだよ。……まさか後悔してんの?」
「…………」
真っ直ぐ自分を見つめてくる瞳から、涼介は視線を逸らした。
後悔は、していない。したくないと思っていた。
けれど一週間啓介に避けられて───寝たのは間違いだったのかと思ったのも本当だっ
た。
「……俺のこと、嫌いになったの?」
「……それは、お前の方だろ」
「なんで!?」
涼介の言葉に、啓介は即座に声を荒らげた。
「俺、アニキがすっげー好きなのに、なんでんなこと思うんだよ!?」
「───避けていたじゃないか」
「え?」
「一週間。俺を避けていただろう、お前」
「……う」
それは覚えがあるのか、啓介は声を詰まらせた。
やっぱり、と涼介は思った。
いくら好きだと思っていても、気持ちは変わるものだ。
何より涼介は男なのだ。本来は女性とする行為を求められて、それで啓介が不満を覚え
ても───涼介が涼介である限りどう仕様もない。
啓介が好きだと思ってくれた気持ちは本当だろう。
けれどいざ寝てみて、現実を思い知って、それで気持ちが冷めたとしても仕方ない。
卑屈になる訳でもなくただ現実として、涼介は男なのだから。
「……だって、見ると思い出すし。そしたら我慢できそうもないし───」
「我慢?」
図星をつかれて頭を抱えていた啓介だったが、しばらくしてようやく顔を上げた。
「この間アニキ、すげー痛がってただろ」
「──────」
「そんなに痛いんじゃあ、すぐはダメだろうと思ってさ。しばらくゆっくりさせたかった
し」
涼介は返事を返せなかった。
あまりの恥ずかしさに啓介の頭を殴ろうかと思ったが、なんとか思い止まった。
曲がりなりにもそれが啓介なりの思いやりだったからだ。
涼介の沈黙をどうとったのか、啓介は話を続けた。
「それにさ、俺、今まで21年間一緒にいて、この間初めて気がついたんだけど───」
「……なんだ」
「アニキってさあ…………ノーブラなんだよな」
一週間前───初めて寝た日の朝、同じベッドで目覚めた。
涼介は疲れた様子ではあったが、それでも啓介に微笑んでくれた。
ベッドの上で身体を起こした涼介に、啓介はシャツを羽織らせた。涼介はそれにゆっく
りと袖を通した。
昨夜触れた艶かしい肌が───色づいた突起が服の下に隠されるのを見て、初めて気づ
いたのだ。
「それから服着ててもアニキでもまともに見れなくってさ。見ればぜったい色々思い出す
し、そしたら我慢できないし───……てっ!!」
今度こそ涼介は啓介の頭を拳で叩いた。
「何すんだよアニキ!」
「お前はそんな理由で───」
涙目で文句を言う啓介を、涼介は思いっきり睨みつけた。
そんな理由で一週間、涼介は悩まされていたというのか。
そんな、くだらない事で───……。
「なにがノーブラだ。それで言ったら俺だけじゃない。お前だってそうだし男は皆そうだ
ろうが」
「他なんか知らねーよ。アニキだからドキドキするんだよ」
「バカな事を───」
「そーだよ。アニキにバカになってんだよ」
啓介は涼介の身体を抱きしめた。
一週間ぶりの、兄弟としてだけではない、まだお互いに慣れない抱擁。
「俺、必死で一週間我慢したんだぜ。だからさあ───」
「嫌だ」
「ええ、まだ身体ツライのかよ?」
「身体はともかく、そんな気分になれない」
「そんなぁ、アニキィ」
情けない声を出す啓介に同情を感じなくもないが、脱力感でとてもそんな気分にはなれ
そうもない。
涼介はこの一週間、啓介のせいで悩み続けたのだ。一晩くらい延ばしたっていいだろう。
胸の奥は今、確かに安堵している。
その気持ちと啓介のぬくもりを感じているだけで、涼介は幸せだった。
啓介に今夜幸せが訪れるかどうか───それは涼介次第だった。
〈END〉
ナニを考えているといわれればそれまでなんですが、ちょっとした可愛い妄想話を書きたくなりまして……。
しかしタイトルがなかなか決まりませんでした。「妄想」にはしたくないと思っていたのですが。
どうしようかと迷いながら、なんとなく見ていた年末の紅白。
そしたら某女性歌手の歌う某カバー曲がふと耳に入ってきまして。あ、これでいいやと。
皆さんはどんな妄想をもってますか?
私はけっこう料理中にふと思い浮かんだりします(^^;)
小説のページに戻る インデックスに戻る