ニ分割兄弟綺談・11



  「啓介がお前のケータイを?」
  「ああ。何だか知らないがチェックしてた」
   夜のファミレスで、史浩と涼介は夕食をとっていた。
   啓介の姿はない。史浩が連絡を入れたが、返答は簡潔なもので不満も拗ねた様子もなかった。
   そんな出来事があった事など、微塵も感じさせなかったのだが───。
  「……つくづくよくわからない奴だ」
   涼介はいぶしげな顔をしていたが、あまり啓介の行動を深く考えてはいないようだった。
   しかし史浩の内心は冷や汗ダラダラものだった。
   もしかして啓介は、何か気づいているんじゃあ……?
  「そろそろ行くか」
  「あ、……ああ」
   涼介に促され、史浩は席を立った。
   支払いを済ませ店を出て、駐車場へと足を運ぶ。そこには二台の車が二人を待っていた。
   史浩の愛車と───そして白のFC。それは他でもない、涼介の車だった。
   最近は大学へはそれぞれの車を運転して出かけていた。
   そして、出かけるのは大学だけではなかった───。


   時を同じくした、別のファミレスで───。
   啓介は啓介で夕食をとっていた。涼介と史浩の真似をして出てきた訳ではない。約束があったからだ。
   約束の相手───目の前に座っているのはケンタという奴だった。
   浅黒い肌の軽そうなノリの男で、けれどこれでも走り屋なのだそうだ。
   啓介とは以前から親しかったのか、やたらと嬉しそうに身を乗り出して話しかけてきた。
  「でもよかった。啓介さんが元気そうで、俺ホッとしましたよぉ」
  「ああ、元気だぜ」
   とはいえ啓介には目の前の相手をまったく覚えてはいなかった。
   つい先日、啓介のケータイに連絡を寄越したのがケンタだった。
   啓介が入院中には見舞いに来てくれたらしいが、よく覚えていない。見舞客が多すぎて慌ただしくて、
  一人一人覚えている暇がなかったのだ。
  「俺、ずーっと啓介さんが戻ってきてくれるの、待ってたんですよ」
  「そりゃ、すまななかったな」
   久しぶりに啓介に会って嬉しいのか、それとも元々そうなのか、ケンタは饒舌だった。
   少々うざったいが、啓介さん啓介さんと慕ってこられるのは、悪い気はしなかった。
  「涼介さんはちょっと前に峠に戻ってきてくれたのに、啓介さんはいつまで経っても来てくれる気配ない
  し。涼介さんに聞いても知らないの返事ばっかだったし───」
   どうやらケンタはいつまで経っても峠に戻ってこない啓介に焦れて、電話をしてきたらしい。
   しかし唐突に嫌な名前を出されて、啓介は顔をしかめた。
   あれから啓介は涼介とは、極力顔をあわせないようにしていた。
   朝は時間をずらし、涼介と史浩が家を出てからキッチンに降りる。夜は、最近は向こうの帰りが遅いの
  で顔をあわさないための苦労はなかった。
   しかし、ずっと一人でいるのも正直言ってつまらない。
   こうしてケンタの誘いに出てきたのも、暇つぶしのようなものだった。
  「……あいつってさ、どんな奴?」
  「あいつって、涼介さんの事ですか?」
   ふと、啓介はケンタに尋ねた。
   ケンタは啓介が記憶を無くす前の自分たち兄弟を、そして涼介を知っているはずだった。
  「すごいですよー、相変わらず! とても記憶なくしたとは思えない走りです。さっすがレッドサンズの
  リーダーですよ!!」
  「……あいつ、すごいのか」
  「そりゃあすごいですよー!!」
   涼介が夜の峠で走り屋をしているのは、史浩から教えられていた。
   そのチームがレッドサンズという名前で、赤城山でもトップクラスのチームで、史浩やケンタはもちろ
  ん、啓介もそのメンバーだという事も聞いていた。
  「でも、啓介さんの走りもそりゃあすごいんですから!」
  「……へえぇぇ」
  「何なんですかぁ、その気のない返事」
  「だって覚えてねーからさ」
   史浩からそう教えられても、ケンタに熱っぽく語られても、啓介は何も思い出せなかった。
   夜の峠を走っていたんだと言われても、そうなのか? という感想しかない。
   しかし自宅のガレージにある啓介の愛車であるという黄色い車体のFDは、確かにバリバリの走り屋仕
  様だった。
   けれど不思議な事に、FDの運転は覚えていた。
   ケンタとの約束でこのファミレスに来るために、啓介は初めてFDに乗ってみた。
   今までは出かける時は史浩の車か、タクシーを使っていた。命に関わる事だからと、一度隣に乗ってレ
  クチャーするまでは乗るなと、史浩に止められていたからだ。
   しかしなんとなく、本当になんとなくなのだが、不意にFDに乗ってみたくなったのだ。
   運転席に座って考えるより先に、まず身体が動いていた。
   すぐにエンジンをかけたのだが、そのあまりの音の激しさに啓介は驚いた。エンジン音はかなりの爆音
  で、こんな近所迷惑な車に乗っていたのかと疑ってしまうほどだった。
   けれど座席の位置もミラーの角度もぴったりで、調整の必要がなかった。それで、やっぱりこの車は俺
  の車なんだと啓介は納得した。
   運転席は狭いし、クラッチは重いし───走りやすい車ではなかったが、恐る恐る啓介はFDを運転し
  て家を出た。
   走り出してしばらくはフラフラしたが、すぐにコツは掴めた。
   交通ルールはいまいちあやふやだったが、走行車線は左で、信号は赤が止まれ、黄色が突っ込め、青
  が進めという事くらいは覚えていたから、まあなんとかなった。
   このファミレスに来るのにも無事に来れたのだから、この分なら大学へ通うのも車でオッケーそうだっ
  た。
   そんな事をぼんやりと考えていた啓介に、ケンタはいきなりとんでもない話を投げつけてきた。
  「でも、今日は久しぶりに峠へ来てくれるんですよね!」
  「はあ?」
  「嬉しいなあ、啓介さんと一緒に走れるなんて久しぶりだし」
  「おい、ケンタ───」
  「俺の走り見て下さいね。ねっ!」
  「…………」
   お前、俺が記憶喪失だって事、忘れているんじゃあ……。
   しかしケンタのあまりの喜び様に、啓介は断るタイミングを失ってしまった。
  「じゃあそろそろ行きましょう! 久しぶりだなぁ、啓介さんに見てもらえるの。緊張するなぁ」
   ケンタに引きずられるように、啓介はファミレスを出た。
   実は啓介がケンタ以上に緊張しているとは、舞い上がっているケンタは露ほども気づいていなかった。
   仕方なく駐車場のFDの前まで歩き───ふと顔を上げる。
   見上げれば暗い夜空の下に、赤城山がそびえ立っていた。まだ前橋市内にいるというのに、そこからは
  微かなスキール音が聞こえてきていた。
  「やべ……」
   そしてそこで、啓介は思いもかけないものを目にする事となった───。

 


信号機の黄色は「突っ込め」ではありません。「注意」です!
念のため……(^^;)