ニ分割兄弟綺談・12



   季節は初冬とはいえ、標高の高い山は格段に寒さが厳しい。
   星の瞬く澄みきった夜空の下───赤城の峠を二台の車が上っていった。
   ケンタのQ’Sと、啓介のFD。
   猛スピードで峠を駆け上がった二台は、あっと言う間に赤城山山頂に到着した。
   山頂に到着すると、二台は路肩に車を寄せて止め、それぞれ運転席から降り立った。
  「啓介さんと一緒に走ったの、久しぶりですよ! 感激っす!」
   ケンタは興奮しきっていた。浅黒い肌のせいかよくわからなかったが、頬を真っ赤に染めて喜んでいた。
   凍えるほど空気は冷えきっていたが、高揚して火照った身体にはそれが気持ち良かった。
   しかし、そう感じていたのは一人だけだった。
  「…………」
   そんな元気いっぱいなケンタとは正反対に、啓介は疲労困憊していた。
   なにしろいきなりの峠だ。路面は所々凍結していたし、何より走る速度が尋常じゃなかった。
   赤城山の麓から山頂まで、時間にすればわずかなものだったが、とにかく緊張の連続だった。
   それでも以前の啓介はケンタよりも速かったらしい。
   とにかく意地だけで、ケンタに遅れるまいと走った啓介だった。
   それでも、啓介本人に自覚はないが、いきなりケンタと同等のレベルに走ってきてしまうのだからさす
  がだった。
   そうしてしばらく話をして、ようやく一息ついた時───。
  「啓介!」
   聞き覚えのある声が背後に響いた。
   その声は怒っていた。とてもとても怒っていた。
   啓介の正面に立っていたケンタも、訳がわからないなりに緊張して、ペコリと頭を下げた。
   恐る恐る振り向くと───案の定そこには史浩が立っていた。
  「お前、何でここにいるんだ!?」
  「なんでって……」
  「まだ車には乗るなって言ってあっただろうが!」
  「だって、さ……」
   普段は温和な史浩だったが、この時ばかりは本気で怒っていた。
   それはそうだろう。命に関わる事だからと、一度しっかりレクチャーするまでは絶対にFDには乗るな
  と言われていたのだから。
   啓介の言い訳も、段々としどろもどろになっていった。
   ふと気づけば怒る史浩の後ろには涼介が立っていた。相変わらず感情を感じさせない、冷たい瞳で啓介
  を見ていた。
   視線があったが、啓介の方から顔を背けた。
   あれ以来、涼介と顔をあわせるのは初めてといってよかった。関わると腹が立つのなら、関わらなけれ
  ばいいのだ。
   関係ない関係ない、あいつは兄弟っていう他人だ───。
   史浩の説教を聞きながら、啓介は頭のなかで念仏のようにそう唱えていた。
   と、今度は涼介の背後から、ざわめきが聞こえてきた。
  「啓介さん……?」
  「啓介さん!」
   見ると、二、三人の男たちが啓介に気づいて駆け寄ってきた。
   啓介自身に記憶はないが、それは皆レッドサンズのメンバーだった。
   冬は走り屋のオフシーズンだ。夏場に比べて車の台数は激減する。
   けれどそれでも集まってくる奴らはいる。車が、峠が好きで好きで仕方がない者たちだった。
  「よかった。元気になったんすね」
  「心配してたんですよ。いつ戻って来てくれるのかって───」
  「……そっか。悪かったな」
   ぎこちなく応じながら、啓介の胸には素直な感謝の気持ちが湧いた。
   何より史浩の説教が中断したのは有り難かった。
   レッドサンズのメンバーたちは、久しぶりにあった啓介にいろんな質問をしてきた。特に、車に関する
  質問が多かった。
  「運転、どうなんすか?」
   記憶をなくして、ドラテクも忘れてしまったのか。
   レッドサンズのNO.2は、以前のように走れるのか───。
  「運転はできる。……けど、ドラテク云々は覚えてねーよ」
  「でも、今上がってきた時、啓介さん速かったです」
   ケンタが啓介を庇うように言った。
   そりゃあお前に必死についていったからだ、とは言えない。
   ただ考えるより先に身体が動いていたのだ。あとは無我夢中で、詳しい事はあんまり覚えていなかった。
   心持ち沈んだ調子でつぶやく啓介の様子に、ケンタはしばらく考え込んだ後───口を開いた。
  「だったら……涼介さんのFCに一度乗せてもらうってのはどうですか?」
   いきなり爆弾提案に啓介は驚いた。
   涼介もわずかに眉を顰めた。明らかにその提案を快く思っていなかった。
   だいたい二人は一言も会話をしていないのに、その場にいた者たちの殆どがそれに気づいてはいなかっ
  た。そのうちの一人であるケンタは、お気楽に言葉を続けた。
  「そしたらカンも取り戻しやすいんじゃないですかねえ」
  「嫌だ!」
  「どうしてですか?」
  「───とにかく嫌なものは嫌だ」
   まさか涼介と二人きりになるのが嫌だとは言えなかった。
  「そ、そうだな……。カンなんてそのうち取り戻すだろうし」
   もう一人慌てた者がいた。史浩だった。
   二人を関わらせまい関わらせまいと心を砕いていた史浩にとって、ケンタの提案はまさに火に油だった。
  「焦らなくてもいいだろう。何もよりによって涼介のFCに乗らなくても───」
  「どういう意味だ?」
   史浩の言葉に、今度は涼介が反応した。
   しまった、と史浩が思った時にはもう遅かった。
   涼介の視線は険しかった。
  「俺の運転が危ういとでも言うのか?」
  「い、いや、そういう意味じゃなくて───」
  「じゃあ何だ」
  「…………」
   さすがの史浩も言葉を詰まらせた。お前と啓介を二人きりにはさせたくない───とは言えない。言え
  る訳がない。
   埒が明かないと思ったのか、涼介は今度は啓介を見た。
  「いいぜ、乗れよ」
   厳しい口調ではなく言われたその内容に、啓介はすくみ上がった。
  「乗せて走ってやる。もっとも恐いんならやめておけばいい」
  「……恐くなんかねーよ!!」
   咄嗟に啓介は叫び返した。
   それまであった気まずさは、怒りのあまり吹き飛んでいた。
   なるたけ顔はあわせまい、二人きりなど言語道断と思っていたのに───正に売り言葉に買い言葉だっ
  た。
   そんな二人を前にして、史浩は忘れていた事を思い出していた。
   高橋兄弟は二人とも、意地っ張りだったのだ。
   その頑固さは、どうやら記憶を失っても同じらしかった。