ニ分割兄弟綺談・16



   これまでの史浩の努力はすべて水泡と帰した。
   リビングのソファーに座り、三人は向かい合っていた。けれど誰も口を開けず、室内は重い沈黙が満ち
  ていた。
   涼介は目を閉じて、何か考え込んでいた。
   啓介は気まずいのか顔を背け、どこか不貞腐れたような表情をしていた。
   そんな二人と一緒にいて、史浩もいたたまれなかった。
   この場からなんとか逃げ出したい、せめてこの雰囲気を何とかしたいと、史浩はソファーから腰を浮か
  せた。と、即座に涼介が見咎めた。
  「どこへ行く?」
  「コーヒーでも淹れてくる」
  「要らない。いいから座ってろ」
   涼介ににべもなく言われて、史浩はキッチンに逃げる術を失った。
  「……で? 何を根拠にそんな話が出たんだ?」
   何を根拠に───と言われても。
   啓介は押し黙ったまま答えない。それはそうだろう。涼介に話せる話ならとっくに話していただろう。
   それをせずに史浩に聞いてきたのは、啓介自身がさすがにやばい話だと思っていたからだ。
   史浩も何と返事をしようか考えてしまった。
   ここまできたら話すべきなのか。それとも誤魔化すべきか。
   しかし涼介はそう簡単に誤魔化されてくれる性格だとは思えない。
   それに、何より涼介は当事者の一人───というか、当事者の片方であるのだから。
  「史浩」
  「な、何だ?」
   ぐるぐる考え込んでいると、再び涼介が問いかけてきた。
  「本当の事を言え。……俺はゲイだったのか?」
  「!!」
   何を言いだすのかと思ったら。
   突然の涼介の質問はあまりにも突飛な内容だった。
  「ち、違うだろ」
  「本当か?」
  「ああ。お前とは長い付き合いだったんだ。それは間違いない」
   驚きながらも史浩は答えた。
   涼介にはそんな嗜好はなかった。彼女こそ作っていなかったが、そういう意味では女性が対象だろうと
  思う。
   というか涼介にはそれ以前に、他人に対しては極端に無関心なところがあって、そっちの方が問題だと
  史浩は常々思っていた。
   そう聞かされて、涼介の疑問は啓介に向いた。
  「じゃあこいつがゲイだったのか」
  「んなんじゃねえ!!」
   あまりな言われ様に、啓介が叫び返した。
   しかし涼介はあくまで冷静だった。
  「お前には聞いてない。それとも覚えてるのか?」
  「覚えてねーけどぜったい違う!!」
  「じゃあなんで俺とデキていたなんていうんだ。俺たちは男同士で、何より兄弟だろう?」
  「それは───」
   啓介は言葉に詰まった。
   涼介が言う事はもっともだ。確かにそんな関係になる方がおかしかった。
   けれど、自分たちはそうだったはずなのだ。たぶん、いや絶対に。
  「証拠は?」
  「証拠、って……そんな、裁判かなんかじゃあるまいし」
   矢継ぎ早の質問に、啓介も史浩も困り果てた。啓介には答えようにも肝心の記憶がないし、史浩は答え
  るには迷いが大きすぎた。
  「あ、あった! 証拠ならあるぜ」
   思い出した啓介は、ポケットからケータイを取り出した。
  「これにあんた宛のメールが残ってるんだ。……ほら」
   啓介はケータイを涼介に渡した。
   そのケータイを一目見て、涼介は眉を顰めた。それは自分のケータイと色違いの、同じ機種だった。
  「───……」
   偶然だと、胸の内で片づけて、涼介は無言でケータイを開いた。
   啓介のケータイには『アニキ』宛のメールが沢山残っていた。
   それを一つずつ開いて、涼介はそのメールをしっかり読んだ。
  「……これのどこが証拠だ?」
   すべて読み終えた後、涼介は冷たく言い放った。
   その覚めた態度に、啓介はつい立ち上がって怒鳴り返した。
  「あんた宛のメールだろうが!」
  「俺じゃない。アニキにだろ」
  「だから───」
  「本当に俺か? お前にはもう一人、血の繋がらない『兄貴』がいたんじゃないのか?」
  「ふざけんな!!」
   あまりな言われ様に啓介はキレた。
   しかし涼介は啓介の声を聞き流し、咄嗟に指先を動かした。
   ピッピッピッピッと音がしたかと思うと、涼介はポイッとケータイを投げて寄越した。
   嫌な予感がした。啓介がケータイを確かめると───。
  「あーっ!!」
  「ど、どうした啓介」
   啓介の驚き様に驚いて、史浩が咄嗟にケータイを覗き込む。
  「メール全部消された!!」
   止める間もないほど、手慣れた仕草だった。
  「何すんだよ!?」
  「おい、涼介」
  「証拠隠滅。……いや、清算か」
   怒る啓介と戸惑う史浩。二人を置いて涼介は立ち上がった。
  「もしも───もしも、だ。百歩譲ってお前たちの言うことが本当だとしてもだ」
   涼介は啓介を見た。
  「いい機会だ。きっとただの兄弟に戻れって事だ。お互い記憶をなくしたのはそういう事なんだろう」
   そう言って、涼介はリビングを出ていった。
   残された二人はしばらく呆然としてしまった。
  「何だよあれ……」
  「さあ……」
  「何なんだよあれは!」
  「俺にあたるな!」
   最初は呆然としていたが、段々と腹が立ってきた。
   そんな啓介を諌めるように、史浩は言った。
  「涼介だって突然の事でショックだったんだろ」
  「そりゃ、そーかもしれねーけど……」
   突然だったかもしれないけど、ショックかもしてないけど、でもあの言い様はないではないか。
   啓介は投げ返されたケータイをギュッと握りしめた。
   つきあっている訳でもないのに、なぜか手ひどくふられたような気分だった───。