ニ分割兄弟綺談・4
涼介と啓介はそろって高橋クリニックを退院する事となった。
記憶が戻った訳ではないけれど、病院にいても結局する事もないし、記憶が戻りそうなきっかけも掴め
そうもないからだ。
いつも通り史浩が自宅から愛車で高橋クリニックにやってきた。しかしその車内には服や下着を始めと
する生活用品、そして大学生らしく教科書一式や筆記用具等、大荷物が乗せられていた。
涼介たちが退院するに伴い、史浩もしばらく高橋家で暮らす事になったからだ。
「こんにちは……」
史浩が思い足取りで病室へやって来ると、涼介と啓介の二人はもう身支度を整え終わっていた。
「よう、史浩」
「遅かったな、史浩」
「史浩君、待ってたわ!」
啓介、涼介に続き、史浩に声をかけたのは二人の母親だった。しかし病室にいたのはその三人だけで
父親の姿はなかった。
「おじさんはどうしたんですか?」
「患者の容態が急変しちゃって。私もこの子たちを送り出したらすぐ戻らなきゃいけないの」
彼女はそう言うと、二人の息子に向き合った。
涼介も啓介もまったく普段通りの姿で、そうしていると病人とはとても思えなかった。ただ、その頭の
中から大事なものがぽっかり抜け落ちてしまっただけで。
「涼介、身の回りの事は家政婦さんにお願いしてあるから。あなたは覚えていないでしょうけど、もう昔
からうちに勤めている人だから心配しないでね」
「ああ、わかった」
「啓介、何かあったら何時でもいいから連絡してくるのよ」
「大丈夫だって」
息子たちに声をかけて、そして最後に史浩に頭を下げた。
「じゃあ史浩君、涼介たちをよろしくね!」
「は、はい……」
決して子供たちの事を心配してない訳ではないのだろうが───史浩からみればそれだけ? と思うほ
どの淡白さだった。
そして、彼女はにこやかに息子二人と史浩を見送った。
涼介と啓介はタクシーで自宅へと向かった。史浩は乗ってきた愛車でそのタクシーの後ろについて走っ
ていた。
あの日、こんな風に二人をタクシーに乗せていたら……。そう思わずにはいられない史浩だった。
しかしふとタクシーの車内を見ると、二人の様子が妙だった。
そろって後部座席に乗り込んだ二人は、けれど一言も話さない。右の座席に座った涼介は右を、左の座
席に座った啓介は左を向き───それぞれ車窓の風景を眺めていた。
史浩が初めて目にする光景だった。
今までは史浩が止めようが周囲が怪訝な顔をしようが、兄弟でそこまで仲がいいのは異常なんじゃない
か!? という二人だったのだ。
少なくとも片割れの涼介自身が止めても、啓介の方が言うことを聞かなかった。
それが今はお互いそっぽを向いている。
「…………?」
病室で喧嘩でもしたのだろうか。まあタクシーの運転手がいる事を考えれば、ベタベタされるよりより
はよほどマシだった。
そんな事を考えるうちに、二台は高橋家へと到着した。
高橋家───。
閑静な住宅街の中でも一際大きく、立派な造りの家だった。
その家の前に立ち、史浩は二人へと問いかけた。
「どうだ、見覚えはあるか……?」
「……いや、さっぱり」
「へー、ここが俺んちなんだ。でっけーなあ」
涼介のきっぱりとした、そして啓介のどこか呑気な言葉に、史浩はがっくりと肩を落とした。
なまじ普段と変わりない姿だからつい期待してしまうのだ。
しかし焦ってはいけない。大変なのは史浩ではない、涼介と啓介なのだ。……たぶん。
「俺、車を回してくるな」
「ああ。……ガレージがあるのか」
気を取り直した史浩は愛車を高橋家のガレージへと入れようとした。涼介の言葉は、仕方がないがどこ
か的外れだった。
史浩が車を乗りつけガレージを開けると、そこには見慣れた二台の車が止まっていた。
それはFCとFDだった。史浩が電柱にぶつけたベンツはまだ修理中で、史浩は申し訳ない気分になり
ながらもその開いたスペースに車を入れた。
エンジンを止めて車から降りると、涼介がガレージにやって来ていた。
「どうした?」
史浩の言葉にも答えず、涼介はガレージに止めてあった車を交互に見つめていた。
しばらくそうして見つめ───おもむろに涼介は口を開いた。
「……俺の車はこっちの白い方か?」
「覚えてるのか!?」
涼介の言葉に史浩は心底驚いた。やはり公道のカリスマと呼ばれた涼介だ、車の記憶は残っているの
だろうかと史浩は期待したのだが───。
「いや全然」
「───」
期待させるな! と心の中で叫んだ史浩だった。
「ただ、なんとなく……な。こっちの車に乗ってみたいと思った」
「涼介……」
そんな会話を交わすうちに、いつの間にか啓介もガレージへとやって来ていた。
「じゃあこっちの黄色いのが俺の車なんだ。派手な車だなぁ」
そう言いつつも啓介の顔に困惑した様子はない。どちらかといえば嬉しそうだ。まるで宝物を見つけた
子供みたいだった。
「啓介、お前はどうだ?」
「……覚えてはないけど、これが俺の車なんだろ? カッコいいし気に入ったぜ」
「そうか……」
その言葉に、史浩は目頭が熱くなった。
走り屋だという事を教えられてもまったく思い出せなかった二人だったのだ。
リーダーとNO.2を欠いて、このままではレッドサンズはどうなってしまうのか。もしや存続の危機
か───とまで史浩は心配していたのだ。
けれど二人の言葉を聞いて、少しだけ希望をもった史浩だった。