ニ分割兄弟綺談・5
涼介と啓介にとっては久しぶりの帰宅。けれどそれはおかしなものだった。
「ここがリビング。こっちがキッチン───」
家の中を説明して回っているのは、この家の住人ではない史浩だった。
幾度となく訪れ勝手知ったる高橋家ではあったが、自分の家でもないのになんで俺が案内しているんだ
ろうと、史浩は妙な気分だった。
しかし涼介と啓介はそれを不思議に思うでもなく、案内された部屋を珍しそうに見ていた。
「二階にそれぞれお前たちの部屋があるぞ。行ってみるか」
「ああ」
史浩が先頭になって階段を上がった。高橋家の二階は廊下を挟んで左右それぞれに二部屋ずつ、合計
四部屋があった。その片側───日当たりのいい二部屋が兄弟の自室だった。
「手前が涼介、奥が啓介の部屋だ」
「そうか」
そう教えられて涼介は、自分の部屋だというドアの前に立つとそこを開けた。
入った中は広い部屋だった。机と椅子、そしてパソコン。壁一面の本棚───そしてベッド。主に目に
つくのはそれぐらいの、シンプル極まりない部屋だった。
「…………」
しかし懐かしさも何も感じない。ただ、ここが自分の部屋なのだと認識しただけだった。
そんな冷静すぎる涼介とは対照的なのが啓介だった。
「なっ、なっ……なんだこの部屋ーっ!!」
廊下の奥から大きな悲鳴が上がった。叫んだのはもちろん啓介だ。
涼介と同じように自室のドアを開いたはいいが、そこから中へ一歩も踏み込めずにいた。
啓介の部屋は酷い惨状だった。床は一面に物が散らばっていた。車の部品や雑誌、灰皿など───足
の踏み場もない有り様だった。机やベッドなどの家具もあったが、かろうじて使えるのはベッドだけで、机
の上は床と同じ状態だった。空気さえ淀んでるように感じられるのは気のせいだろうか。
「なにって、お前の部屋だぞ」
「信じられねぇ! こんなの人間の部屋じゃねーよ!」
怒って叫ぶ啓介だったが、その台詞を記憶を無くす前のお前自身に聞かせてやりたいと史浩はしみじみ
思った。
今までも誰に何度部屋を片づけろと言われても、生返事だけで実行しなかった啓介であった。
自分で片づけるのが面倒なら家政婦に頼めばいいのにそれもしなかった。どうやら自分以外の者が部
屋に入るのは嫌なようだった。
啓介が部屋に入るのを唯一許したのは兄の涼介であったが、その涼介はこの部屋を心底嫌がってい
た。片づけるのはもちろん、足を踏み入れる事もしなかった。それを史浩は知っていた。
「何度言っても片づけないから、お前はこういう部屋が好きなのかと思ってたが……」
「嘘つくんじゃねーよ!」
「嘘なもんか」
押し問答がしばらく続き、その騒ぎに涼介もその部屋を覗き込んだ。
「──────」
予想外、というか想像外だったのであろう、涼介のその眉は思いっきりしかめられていた。
「……すごい部屋だな」
「だろう?」
ようやく一言だけ口に出した涼介の感想の言葉に、すかさず史浩も同意した。
それにムッとした啓介は、お返しとばかりに涼介の部屋を覗きに行った。
「…………」
しかし啓介は啓介で固まってしまった。
しすぎるくらい整然とした涼介の部屋───。あの散らかり放題の部屋を見た後だと、こちらの部屋は
砂漠のオアシスか天国のように感じられた。
「……俺の部屋、こっちなんじゃねーの」
「おい啓介」
いきなり言いだした啓介に史浩は慌てた。あの部屋が自分の部屋と認めたくない気持ちは分からなくも
ないが、それは事実に反する事だ。
しかし史浩がそれを否定する前に、啓介に反論する者がいた。
「違う、こっちは俺の部屋だ」
他ならぬ部屋の主───涼介だった。
断言したその言葉に、わずかに啓介が苛ついた表情をした。
「何だよ、あんた覚えてんのかよ?」
「記憶はないが断言できる。あんな部屋じゃ俺は一分足りとも過ごせそうにないからな」
「俺だってねーよ!」
「やめろって二人とも!!」
史浩が知るかぎり初めてまともに会話した二人だったが、なぜか一触即発の状態になってしまった。
慌てて史浩は対峙する二人の間に割って入った。
しばらく睨み合っていた二人だったが、涼介はさっさと自分の部屋に入りドアを閉めてしまった。
「なっ、なんだよあいつ〜!」
音高く閉じられたドアの前で、取り残された啓介と史浩はしばし成す術なく立ち尽くすしかなかった。
結局、その晩啓介は史浩と一緒に一階の客間で寝た。
啓介は自分の部屋を嫌がり、しかし涼介も自分の部屋を譲らず───結果、史浩は啓介の部屋の片付
けの手伝いをする事となってしまった。
しかし片付け始めたはいいがあの人外魔境を綺麗にするには時間が足りなく、結局掃除は明日に持ち
越し。ちなみに涼介は自分の部屋から出てこなかった。
疲れたのか、啓介は布団に入ってからも不満を口にしていた。
「ちぇっ。家に帰って真っ先に掃除する羽目になるとは思わなかったぜ」
「それは俺の台詞だ……」
さすがの史浩も疲れ果て、布団にもぐり込みながらそうつぶやいた。身体は疲労しきり、今すぐにでも
眠れそうだった。
しかし半分瞼を閉じかけた史浩の耳に、隣から思わぬ言葉が聞こえてきた。
「……あいつって冷たいよな」
「啓介?」
思いがけない台詞に、眠りかけた史浩の意識が引き戻された。
身体を起こして隣を見れば、啓介は布団の中でうつ伏せになり頬杖をついていた。
「あいつって涼介の事か?」
「──────」
啓介は答えない。けれど答えないその事実が史浩の言葉を肯定していた。
その態度に、史浩はある事を問いただした。
「この間から気になってたんだが……お前もしかして涼介の事、嫌いなのか?」
言い当てられたのか、啓介は驚いて史浩の方を向いた。
しばらく気まずそうに史浩を見ていたが、やがて観念したのかため息をついて枕に顔をうずめた。
「だって、しゃべる事もねーし……」
ためらいがちに、けれど重い口調で啓介は話し始めた。
「冷たいしいつも無表情でさ、何考えてるのか分かんねーし……」
「け、啓介……?」
史浩は耳を疑った。まさか啓介の口からそんな台詞が出てくるとは夢にも思っていなかったからだ。
「親にも見舞いに来た奴らにも、俺とあいつは仲のいい兄弟だって言われたけど───そんなの信じられ
ねーよ」
思いがけない告白だった。
確かに涼介は冷たいし、何を考えてるのか史浩にも図りかねるところがあったが、今までの啓介はそれ
を否定していた。あまりの仲の良さに、少しは仲違いしてくれと思っていたほどの二人だったのだ。
記憶がないというのは、相手に対する印象をこうも変えるのか───。
ふと気づけば啓介はすでに眠りについていた。言いたい事を言って気が楽になったのか、その寝顔は穏
やかだった。
しかし史浩の方は、驚きにすっかり目が覚めてしまった。
事故から今日まで安眠できた事など一日もなかったが、今夜も史浩に安らかな眠りは訪れそうになかっ
た───。
ようやく話が書きたいところまで進みました。でも、実は予定ではここまでで3話の筈でした。
いざ書いたら長くなっちゃって。あれれ? って感じです(^^;)