ニ分割兄弟綺談・7
「……はあ」
自分の部屋で、啓介は途方に暮れていた───。
口をついて出るのはため息ばかり。昨日から史浩と二人がかりで片付け始めた部屋は、まだ終わりは遠
く見えなかった。
覚えてはいないが我ながら、よくぞここまで散らかせたものだと啓介は半ば感心していた。
唯一の救いは片づけるのが自分だけではなく、史浩も手伝ってくれるという事だけだった。
啓介の兄の───どうやら兄らしい涼介は案の定、涼介は手伝おうとはしなかった。
元から期待も何もしていない。けれどその見かけ通り、やっぱり冷たい奴だった。
「ふん。当てになんかしてねーよ」
そりゃあ涼介自身も記憶喪失で、大変なのかもしれないが……。
思い出すと苛々してしまうので、啓介は涼介の事は極力考えないようにしようと思った。
史浩が来るまでに少しは片づけていようか───。そう思い、啓介は床に落ちていた上着を一枚、無造
作に手にした。
それをクローゼットにしまおうとして、ふとその手を止めた。鉄の釦をいくつも埋め込んだジャンバー
だったが、それにしては妙に重かった。
「…………?」
不思議に思ってポケットを探ると、車のキーとケータイが出てきた。
そういえばこれは事故にあった時に着ていたのだと史浩が言っていたのを、啓介は思い出した。
あの黄色いスポーツカーのものだろうキーを机の上に置き、啓介は二つ折りのケータイを開いた。ケー
タイの使い方はなんとなく覚えていた。
ケータイは充電切れだった。電源キーを押しても画面は真っ黒で、何も写らなかった。
「そっか。充電しなきゃな」
事故から既に二週間は過ぎていた。その間使っていなかったとはいえ、さすがに使えなくなって当然だっ
た。
机の上、そして中を探したが見つからず、仕方なく床の上に積み上げられた本やら車の部品やらを散々
引っ繰り返し───五分ほどしてようやく目当ての充電器が見つかった。
さっそく啓介は充電器にケータイをセットすると、そのコードをコンセントに差し込んだ。
ケータイは充電中の赤い表示を灯し、久しぶりの電気を吸い上げはじめた。
その時、啓介の部屋のドアがノックされた。
「はい?」
「入ってもいいか?」
それは啓介が心待ちにしていた史浩の声だった。
「お、いーぜ」
ケータイを充電器ごと部屋の隅に押しやりながら、啓介は返事をした。
言われてすぐにドアは開いたが、開けた主はすぐには入ってこなかった。
「史浩?」
「ああ、おじゃましま……す」
部屋に入ろうとして一歩踏み出せなかった史浩は、促されてそろそろと部屋に入ってきた。
昨日よりは少しはマシとはいえ、まだまだ凄まじい惨状だった。
「よし、やるか!」
「お、おう……」
手伝いを得て力の湧いた啓介とは対照的に、皿洗いに部屋掃除───俺は本当にこの家に何しに来た
んだろうと、史浩はこっそり考えていた。
午前十時頃、高橋家に一人の女性がやって来た。
優しそうな感じの恰幅のいい中年の女性。もう何年も家政婦として働いてくれているという人だった。
けれど名前を聞いても、やはり啓介には思い出せなかった。
涼介もやはり思い出せないようだった。
それでも特に慌てた様子もなく、彼女と挨拶を交わしていた。
彼女は涼介と啓介がともに記憶を無くした事は聞いてきたらしいが、直に会ってそれを目の当たりにし
て、やはり驚いていた。
しかし取り乱す事もなく、気丈に微笑んでみせた。
「でも、なんていうのかしら……。そんなとこまで一緒なんて、涼介さんも啓介さんもやっぱり仲がいい
のね」
「そ、そうなのか……?」
「そうですよ。そりゃもうお二人ともいつも一緒だったんですから」
啓介は驚いた。覚えてないが両親、そして友人たちから散々聞かされていたが、この人からまたも言わ
れた事に。
咄嗟に視界の隅で涼介の様子を伺った。
涼介は無反応、無表情───聞こえないフリをしていた。
嫌な奴、と啓介は改めて思った。
結局半日がかりで掃除して───啓介の部屋はやっとなんとか整理がついた。床が見えた時は史浩と
二人、手を取り合って喜び合った。
家政婦の彼女は涼介と啓介が退院した事を喜んで、夜には御馳走を作ってくれた。
それを三人で食べた夕食時、会話をするのは啓介と史浩、もしくは涼介と史浩だった。啓介と涼介は一
言も口をきかなかった。正直言って啓介は、史浩がいてくれて心の底から感謝していた。
病院にいた時からそうだが───涼介と二人でいても何を話していいかわからない。緊張するだけで、
正直息が詰まりそうだった。
夕食を終えた後は一人ずつ、それぞれの部屋に引っ込んだ。掃除も終わり、啓介も今夜は自分の部屋
で晴れて休める事となった。
部屋のドアを開けると、きちんと床の見える部屋が啓介を待っていた。壁際にまだいくつかの荷物の山
が残っていたけれど、昨日に比べれば天と地の差だった。
ドアを閉めベッドに横になる。
久しぶりに眠るだろう自分のベッド。覚えてはいないが、枕に顔を埋めるとなんだか懐かしい感じがし
た。
───ふと部屋の片隅を見れば、ケータイの表示が青く変わっていた。充電が終了した証拠だった。
「終わったか」
啓介はそれに歩み寄ると、ヒョイと手に取った。
電源のキーを押せば、今度は待ち受け画面がきちんと現れた。ピッピッと軽やかな音をたてて啓介はキ
ーを操作した。
少しでも昔の自分を探る機会になればいいなと思っての事だった。
そこに、世にも恐ろしいものが残っているなどとは、夢にも思わずに───……。