ニ分割兄弟綺談・9



   啓介は悩んでいた。
   大学から自宅への帰り道。乗り込んだタクシーの後部座席で啓介は頭を抱えて唸っていた。
   タクシーの運転手が変な客を乗せちゃったなあと訝っても、それにも気づかないくらい深く悩んでいた。
   今日、啓介は事故後初めて大学へ顔を出した。
   大学で会った誰一人として覚えている顔はなかったが、啓介を知っている者が何人も声をかけてきたり
  して、初日は大きな問題もなく終了した。
   出席した講義は聞いてもよくわからなかったが、しかし以前の自分がとっていたノートを見るとそこに
  はほとんど記入はなく真っ白で、以前も今もそう変わりはないようだった。
   そんな事より啓介には大事な用件があった。
   昨夜知った衝撃的な関係をなんとか否定したくて、啓介は会う人会う人にいろいろ聞いてみた。
   彼女はいなかったのか、恋人はいなかったのか───。
   しかし返ってきた言葉はすべて「NO」ばかり。
   おまけに啓介が大学の友人から聞いたのは、かつての自分のブラコンぶりだった。
   彼女どころか車ばかりで、それもアニキと一緒に走ってばかりいたというのだから、啓介の絶望はいっ
  そう深いものとなった。
   その上、そこらの女なんかよりアニキの方が美人だとか言ったとか言わないとか───そんな事まで冗
  談交じりに言われて、笑いあう友人たちの中で啓介は一人引きつるしかなかった。
   そんな関係だったら言いそうだ。認めたくはないが確かに、涼介はそこいらの女が束になってもかなわ
  ないくらいの美形だった。
   なんとか疑惑を晴らしたい───その一心で大学に行った啓介であったが、逆に疑惑はますます深まり
  悩みも深まるばかりだった。


   家に帰ると、既に史浩が大学から帰ってきていた。啓介がリビングに入ると出迎えてくれた。
  「よお、お帰り」
  「ただいま……」
  「どうした、大学で何かあったのか?」
   ドサリとソファーに腰掛けた啓介に、史浩は心配そうに問いかけた。
   やはり記憶がないという事は不安はもちろん、様々な面で支障があるだろう。
   そんな史浩に、啓介は疲れた表情を見せながらもそれでも笑顔を見せた。
  「いや、何でもねーよ」
   まさか兄弟間恋愛的同性交遊疑惑がますます深まったなどとは言えない。言える訳がなかった。
  「あいつは部屋にいるの?」
  「いや。涼介ならガレージにいると思うぞ」
  「ふーん……」
   そんな会話を交わしながら、史浩は啓介のためにコーヒーを淹れた。
  「ほら」
  「ん、サンキュ」
   差し出されたコーヒーを啓介は素直に受け取った。
  「で、どうだ大学は。何とかなりそうか?」
  「うん。まあ、どうにか」
  「覚えてる奴はいなかったか?」
  「俺は誰も。でも俺を知ってる奴は向こうから声かけてきたぜ。事故の話も知っててさあ、俺の事をドジ
  だって笑いやがんの」
  「そうだな。お前の友達ならそうだろうな」
   なんという事もない会話を交わしながら、啓介はふと思った。
   もしかしたら史浩は何か知っているのだろうか───。
   啓介は覚えてないが、こうして家にまで泊まりにきてくれるほどの仲なのだ。もしかしてこいつなら、
  啓介と涼介があらぬ関係だとしたら───それを知っているかもしれない。
   しかし、ズバリ聞くのもためらわれた。
  「史浩」
  「うん?」
  「俺とあいつって仲がよかったっていうけど、ホントか?」
   遠回しに遠回しに───啓介は真実を確かめようとした。
  「ああ、そうだな……。よく一緒に走りにも行ってたし」
  「仲がいいってさあ……」
  「?」
  「…………どんな風だった?」
  「!!」
   史浩は飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになった。
   改めて啓介を見れば、啓介は真っ直ぐな眼差しで史浩を見つめてきていた。
   マズい───と、咄嗟に史浩は笑顔を作った。コーヒーを吹き出さなかったのはまったくもって奇跡だっ
  た。
  「普通に仲がよかったが、それがどうかしたのか?」
   にっこり笑って、逆に啓介に問いかけた。涼介ほどではないが、史浩もいざという時のポーカーフェイ
  スは得意だった。
  「い、いや……、何でもねーよ。普通ならいいんだ、うん」
   聞いた筈が逆に聞き返されて、啓介はそれ以上言葉が紡げなかった。
   押し黙ってしまった啓介をリビングに残し、史浩はキッチンへと向かった。
   コーヒーをおかわりする風を装いながら、実はその場から逃げ出すためだった。
   史浩の内心は、その穏やかな表情とは裏腹に大慌てに慌てていた。
   何か思い出したのか、それとも何か気づいたのか───。
   そういえば今朝、涼介の顔を見た啓介は、まるで化け物に会ったような悲鳴を上げたと涼介は言ってい
  た。その時は失礼な奴と怒る涼介を、啓介も寝ぼけていたんだろうと諌めたのだが。
   チラリとリビングの啓介の様子を伺えば、ソファーに身を沈めたまま腕組みをして何やら考え込んでい
  た。その表情はどこか消沈していて元気がなかった。
   その様子に、すまん啓介と史浩は心の中で謝った。
   確かに史浩は兄弟の普通でない関係を知っていて、なおかつそれを間近で見せつけられて多大なる精
  神的打撃を受けていたけれど、けれどもその仕返しを今しようと思ってはいなかった。
   真実を告げない事こそが、お前たち二人のためなんだと。
   改めて二人の接触は避けさせなければ───と、史浩は固く決意し、そのためには朝どんなに忙しくと
  も、啓介を起こすのは自分がしようと決めたのだった。


ようやく折り返し地点を過ぎました、やれやれ(−−;)
当初の予定では13話で終わるはずだったのですが、まさしく予定は未定です〜(^^;)