おにいちゃんといっしょ
〜こんにちは、赤ちゃん・5〜
それから数カ月が経ち、フレイアの足の捻挫もすっかり良くなりました。
今では足を引きずって歩く事もありません。
フレイアは時々病院に行く以外は、朝から晩まで一人でアパートで過ごしているようでした。どうやら仕事もしていないようでした。
なのでマリアは毎日フレイアをお茶に誘いました。
声をかけられればフレイアもほぼ毎日シン家にやって来ました。
折りしも今日は日曜日。シン家のリビングで、マリアとマリアの夫ウィリアムとシンと、そしてフレイアの四人でお茶をしていました。
フレイアの出産予定日は一週間も前でした。
けれど陣痛が来る気配はまだ少しもありません。
「予定日って、こんなに遅れるものなのかしら……?」
リビングのソファーに座り、大きくなったお腹を自分の手でさすりながら、フレイアがぽつりとつぶやきました。
お茶のおかわりを淹れていたマリアが、それに応じました。
「人それぞれだと思うけど、初めての出産は予定よりもよく遅れるって言うわね」
「マリアさんの時はどうでしたか?」
「私がジョミーを産んだ時は、予定日の翌日には陣痛がきたわね」
「そうですか」
そう聞いたフレイアでしたが、どことなく不安そうでした。
マリアはシンを出産した経験があるので、知り合ってからフレイアからの出産に対する色々な質問に答えていました。
「でも大丈夫よ。焦らなくてもきっともうすぐ陣痛がくるから」
「そうね、そうよね……」
けれど時折、フレイアはお茶をしていても不意に口を噤んだり、考え込んでしまう時がありました。
このところのフレイアの沈んだ様子に、マリアもウィリアムも口には出しませんが心配していました。
フレイアがトイレに立ったところで、マリアはウィリアムに声をかけました。
「どうしたのかしらフレイアさん。もしかしてマタニティ・ブルーかしらね?」
「僕はよくは分からないけれど、そういう事もあるのかもしれないね」
ウィリアムは頷きました。
一人シンだけが首を傾げました。
「またにてぃ……?」
シンには聞き慣れない言葉でした。
マリアはシンに教えてあげました。
「マタニティ・ブルーよ。赤ちゃんを産んだ後の女性はよく気持ちが不安定になるんだけど、妊娠中もなくはないのよ。妊婦さんはデリケートだからね」
「ふうん……。ママもなった?」
「ママはならなかったわ。だってパパがいたからね」
マリアがそう言うと、ウィリアムは照れたように咳払いをしました。
そこへフレイアが戻って来ました。
帰って来たフレイアに、シンは聞きました。
「ねえおねえさん」
「なあに?」
「おねえさんってマタニティ・ブルーなの?」
「ジョミー!」
慌てたのはマリアとウィリアムでした。
フレイアは一瞬固まりましたが、すぐに困ったように笑いながら答えてくれました。
「違うわ」
「なんだ。そうなんだ」
シンはちょっと残念そうな口ぶりでした。
「じゃあマタニティ・ブルーってどんな色?」
「ジョミー君、マタニティ・ブルーはブルーって言っても、色じゃないの」
「そうなの? なぁんだ。どんな青い色かと思ったのに」
シンはがっかりしたのか、子供らしく少し唇を尖らせました。
マリアが説明した筈でしたが、シンはよく分かってはおらず、どうやら青い色の種類だと思ってしまっていたようでした。
「どうしてそんなに残念なの?」
「僕、色ではブルーがいちばん好きなんだ。だって空の色や海の色できれいなんだもん」
「そうなんだ」
「知ってる? 空の色はおひさまの光がさんらんして青く見えるんだって。その空の色を海がはんしゃしてるんだって」
シンは目を輝かせてフレイアに話しました。
小学生なのに難しい事を知っているシンに、フレイアは感心しました。
「ジョミー君、そんな事よく知ってるわね」
「学校の先生がおしえてくれたよ」
先ほどまでのぎこちない雰囲気はどこへやら、楽しそうにシンとおしゃべりするフレイアの様子にマリアとウィリアムは胸を撫で下ろしました。
シンのせいでどうなる事かと思いましたが、同じくシンのおかげでリビングには穏やかな空気が流れ始めました。
───と、その時、いきなりフレイアが顔をしかめました。
「っ……!」
「どうしたの?」
「お腹が……痛い……」
フレイアの周りで、シン達三人が慌てました。 「おねえさん!」
「フレイアさん、大丈夫かい?」
「もしかして……!」
三人に返事も出来ず、お腹を抱えて顔をしかめたフレイアですが、すぐにその表情は和らぎました。
「……あ、消えたわ」
1分ほどで痛みが治まり、その場の緊張感も和らぎました。
しかしその30分後、再びフレイアがお腹をおさえて声を上げました。
「いたたた……!」
痛みがまた訪れたかと思うと、1分ほどしてまたすぐに治まりました。
どうやらフレイヤにやっと陣痛がきたようです。
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