そら

アルテメシアの宙で



   惑星アルテメシアの遥か遠く、虚空の宇宙に太陽が輝いているのが見えた───。
   こうして夜明けを見るのは何度めのことだろう。ジョミーには分らなかった。
   ジョミーの思念体はたった一人、惑星アルテメシアの遥か上空───成層圏をさ迷っていた。
   もうどれだけの時間、何日こうしているのかも分らない。
   ブルーの心を知ったジョミーは、激情のままシャングリラを飛び出した。
   ショックだった。ブルーに受け入れられるどころか、ジョミーの気持ちは信じられてもいなかったのだ。
   動揺したままシャングリラから離れたジョミーは、気がつけば自分が今どこにいるのかさえ分からなくなっ
  ていた。
   帰りたくはなくても、結局はシャングリラに戻るしかない。
   けれどあちこちを彷徨い、どれほど探しても、ジョミーの瞳はシャングリラの白亜の船体を見つけることは
  出来なかった。
   ヒルマンが思念体を操るのには危険が伴うと言っていたのはこういう事だったのかと、ジョミーは身をもっ
  て思い知っていた。
   どうすればシャングリラへ───自分の身体へ戻れるのかさえも分らない。
   ジョミーの意識はもう既に霞みがちだ。
   もしもこのまま眠ったら、再び目覚めることができるのだろうか。
   その恐怖からジョミーはずっと意識を保ち続けていたけれど、それもそろそろ限界だった。
   こうして自分の形を保っているのも、辛くなってきていた。
  『眠い……』
   遠く眼下にアルテメシアを覆う白い雲海が見えるが、いったいそれのどこにシャングリラは居るのだろうか。
   膝を抱え、まるで胎児のように身体を丸め───ジョミーは目を閉じた。


  『……ミ……』
   意識を失いかけていたジョミーは、誰かに呼ばれたような気がした。
   こんな宇宙空間で誰が居るはずもないのに。
  『……ジョミー……』
   やはり再び呼ばれた気がして、ジョミーは瞼を開けた。
   けれど周囲を見回しても誰もいない。
   いぶかしむジョミーだったが、不意に目の前の空間が揺らめいた。
   淡い影が浮かび上がったかと思うと、それはすぐに人の形を成した。
   優しくジョミーを見つめる真紅の瞳、銀色の姿。
   目の前に現われたのはジョミーが一番大切に想っていて───そして誰より会いたくない、ブルーその人
  の思念体だった。
  『捜したよ、ジョミー』
  『ブルー……!』
   驚くジョミーに、ブルーはその右手を差し伸べた。
  『迎えに来たんだ。さあ、一緒にシャングリラに帰ろう』
   けれどジョミーはその手を取ろうとはしなかった。
   それどころかブルーを避けるように、後ずさる。
  『ジョミー?』
  『……嫌だ』
   ブルーが首を傾げたけれど、ジョミーの手はブルーに向かっては差し出されなかった。
   その手をとればシャングリラへ、自分の身体に戻れるだろう事は分っていたけれど、ジョミーはブルーの
  手を取りたくなかった。
   それどころか平然としたブルーの態度が癪に障って、ジョミーは叫んだ。
  『僕の事なんか放っておけばいいだろ!』
   ブルーもジョミーの様子がおかしい事に気づいて、僅かに顔色を変えた。
  『ジョミー、君は衰弱している。このままでいると君の命にも関わるだろう。だから早く戻らないと───』
  『それでも……嫌だ』
  『ジョミー!』
  『うるさい!!』
   なんとかジョミーを連れ戻そうとするブルーを、ジョミーは拒んだ。
  『僕の気持ちなんかどうでもいいくせに、なんで迎えになんか来るんだ!』
  『……ジョミー』
  『迷惑だったならそう言えばよかったんだ。それなのにただ聞き流して、それどころか信じもしないで
  ───』
  『───』
   怒りの感情を露わにしたジョミーに、ブルーは返す言葉がなかった。
   確かにブルーはジョミーの気持ちを、その告白を受け流していた。
   精一杯何気なさを装っていたけれど、けれどジョミーの言葉が本気であるのだという事を本当は分かっ
  ていた。
   けれどその気持ちに応えてはいけないと思っていた。
   例えブルー自身の気持ちがどうあろうとも。。
   けれど今、ジョミーを怒らせ、また悲しませているのは他ならぬブルー自身だ。
   これが本当にジョミーのためになったのか、ブルーには分らなくなってしまった。
   かける言葉もなく立ちすくむブルーに、ジョミーは厳しい視線を向けた。
  『ブルーなんか……。ブルーなんか───』
   きっとジョミーから投げつけられるのは拒絶の言葉だとブルーは覚悟した。
   もう好きじゃないと、大嫌いだと。
   それでいいと理性は思ったが、どうしたことかブルーの胸はさらに痛んだ。
   けれどもう遅い。
   何もかもがもう、遅い。
  『……それでも、僕は───』
   ジョミーの言葉を待つブルーの目の前で、ジョミーは瞳を何度か瞬かせた。
   それが涙が滲んできたせいだとは、ジョミー自身は気付かなかった。
   俯いていたジョミーは、顔を上げて言った。
  『僕は、ブルーが好きだから!』
   ジョミーは翡翠色の瞳に涙を滲ませながら、ブルーを真っ直ぐ見つめて叫んだ。
  『貴方が信じてくれなくても、いつか心変わりするって思われててもそれでも、僕はブルーが好きだから
  な!!』
  『ジョミー……!』
   それは一方的な物言いではあったけれど、それでもジョミーの真摯な気持ちは充分伝わってきた。
   ブルーが好きだと。
   信じてもらえなくてもそれでもと、それがジョミーの偽りない気持ちだった。
   ジョミーはなんて強いのだろうと、今更ながらにブルーは思った。
   自分の気持ちを素直に表すのを恥じない。傷つくことも恐れない。
   ブルーは問うた。
   誰にともなく、そして自分自身に問うた。
   自分もジョミーのようにそうあってもいいのだろうかと───。
   そして───ブルーはジョミーを抱きしめた。
  『ブルー……!?』
  『すまなかった、ジョミー』
   突然のブルーの行為にジョミーはうろたえたが、今度は逃げはしなかった。
   身体を固くしながらも、大人しくブルーの抱擁を享受していた。
   お互い思念体であるから、ぬくもりなどは感じられない。
   けれどジョミーの顔は真っ赤に染まっていた。
   ジョミーの肩口に顔を寄せて、ブルーはつぶやいた。
  『君の気持を信じなかった訳じゃないんだ……』
   これから先、ジョミーが歩んでいくために、少しでも憂いをなくしたかった。
   ジョミーの行く手の重荷にならないため、その行く道が少しでも安寧であるように、それが他ならぬジョミー
  のためになるのだと思っていた。
   そのためには、ブルーは自分の気持ちも殺そうと思った。
   例えどんなにジョミーの気持ちを嬉しく思っても───応えたいと思っても。
   けれどジョミーの言葉に、改めてブルーは自分の気持ちを思い知った。
   ジョミーはよほど驚いたのか、大人しいままだ。
   ブルーは身体を僅かに離すと、ジョミーの肩に手を添えたまま微笑んだ。
  『……君を、こうして迎えに来るのは二度目だね』
   一度目は数ヶ月前。
   人間に捕えられたジョミーはその力を爆発させて、成層圏まで飛翔した。
   それを連れ戻しにブルーもジョミーを追ってやってきた。
   あの時と同じ宙に二人───違うのはお互い生身の身体ではなく、思念体だというだけだった。
   その事に気付いたジョミーは、身じろいだ。
  『ブルー、貴方の身体が……!』
  『君を連れ戻すのが何よりも優先事項だよ』
  『でも……!』
   さらに言い募ろうとするジョミーを、ブルーは自らの唇の前に人差し指を一本立てる事で、やんわりと黙ら
  せた。
  『ジョミー、自分の身体がどこにあるのか分るかい?』
  『……分りません』
   分ったら一人でとっくに帰っている。
   恥ずかしさのためぶっきらぼうな口調になったが、ジョミーは正直に口にした。
   再び頬を染めたジョミーに苦笑しながら、ブルーは静かに語りかけた。
                                        テ ラ
  『僕たちは一人一人、同じ存在は二つとない。ミュウも人間も、地球も……この宇宙に存在する星々も、一
  つとして同じものはないんだ』
   そしてすべての存在が、それぞれの輝きを放っている。
   そう語るブルーの真紅の瞳は、真っ直ぐジョミーを見つめていた。
  『君もたった一人、この宇宙で唯一の存在だ。それが感じられるかい?』
  『え……っと、待ってください……』                テレパシー
   ブルーに促され、ジョミーは瞼を閉じた。心を落ち着かせ、思念波を飛ばすのではなく広げた。
   しばらくそうしていたジョミーは、遠くに輝く光を感じた。
   初めて感じる───けれどよく知ったような感覚。
   目を見開いたジョミーは、左手を上げて、惑星アルテメシアの雲海の一部分を指差した。
  『……あっち、かな』
  『そうだ。分ったんだね、ジョミー』
   ジョミーの指差した方向は、確かにシャングリラが居る方向だった。
   嬉しそうにブルーは微笑んだ。
  『帰ろう、ジョミー。シャングリラへ』
  『───』
   ブルーの言葉に、けれど咄嗟にジョミーは頷けなかった。
   まだジョミーの心にはわだかまりがあったからだ。
   またも俯いてしまったジョミーに、ブルーは切り出した。
  『帰ったら僕は、君に話したい事がある』
  『え?』
   思いがけないブルーの言葉に、ジョミーは顔を上げてブルーを見た。
  『話って……何ですか?』
  『───……』
   ジョミーの問いにブルーは答えなかった。
   ただ無言のままジョミーに近づくと、ブルーはジョミーの頬にキスを一つおとした。
  『……!!』
   お互いぬくもりなど感じない思念体のはずなのに、ジョミーはブルーの唇の柔らかさを感じたような気が
  した。
   驚きのあまり声もでないジョミーから、微笑んだままブルーは不意に身体を離した。
  『……ブルー!!』
   ジョミーは咄嗟に、ブルーに向かって手を伸ばした。


  「ブルー!!」
   ジョミーは、自ら叫んだ声で目覚めた。
   途端に歓声がジョミーを包んだ。
  「な、なに……?」
   驚くジョミーは周囲を見回した。
   ジョミーはベッドに寝かされていた。見上げた天井はジョミーの部屋のものではない。
   そしてジョミーのベッドの周りには、ドクター・ノルディやリオ、ハーレイを始めとする長老たち、そしてフィ
  シスの姿があった。
  『よかった、ジョミー!』
  「まったく心配かけおって……」
  「戻ってきてくれたのですね、ジョミー」
   皆が口々にジョミーに言葉をかけてきた。
   しかしいまいち状況を把握しきれていないジョミーは、目を白黒させるばかりだった。
   そんなジョミーにドクターが問いかけてきた。
  「気分はどうだね、ジョミー」
  「ドクター、ここは……?」
  「ここは医務室だよ。君は意識を失ったまま、三日も目覚めなかったんだ」
  「三日……」
   ジョミーは記憶を辿った。
   つい先ほどまでジョミーの思念体は遥か遠くにあったこと。
   ブルーが迎えに来てくれたこと。
   そして───……。
   自らの頬に指で触れたジョミーは、いきなり飛び起きた。
  「ジョミー!」
   驚いたドクターが止める間もなく、ベッドから飛び出そうとし───ジョミーは派手な音とともに床に転がり
  落ちた。
  「いててて……」
   よく見ればジョミーの腕や身体には、点滴の管やらたくさんのコードが繋げられていた。
   しかし何よりも身体自体が、ジョミーの思い通りに動いてくれなかったのだ。
  「どうしたんだ僕は、身体が……」
  「急に動いてはだめだ、ジョミー」
   ドクターが慌ててジョミーに言った。
  「君は三日意識を失っていた。その間は身体を動かしていなかったんだから、その分の筋肉が衰えてし
  まっているんだ」
   ドクターやリオが駆け寄り、ジョミーを助け起こそうとしてくれたが、それに構わずジョミーは叫んだ。
  「それよりドクター、青の間へ───」
   三日ぶりに声を出した喉は痛んだが、構わずに叫んだ。
  「早く青の間へ行ってください!!」









やっとやっと轆轤首ジョミーが書けました。作中では3日ですが、実際は一ヶ月以上経っての更新です。
小さい頃、怪談で轆轤首の話(首を伸ばしている間に体を隠されて首が体に戻れなくなるという)を聞いて、つな
がってるのにおバカだなあ…と思ってました。
まさかそれを何十年後かにネタにできるとは夢にも思っていませんでした(^^;)
やっと少しジョミ×ブルっぽいシーンを!と頑張ったのに、どことなく逆っぽくも見えなくないような…?
いやいや、どんなにジョミーが子供っぽかろうと、書いてる私がジョミ×ブルのつもりで書いてるんだから、これ
はジョミ×ブルですとも!

予定より長くなってしまいましたが、次がラストです。


2007.10.17





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