ツキ  アカリ
月 光



   荒涼とした大地を、夜空に浮かぶ月が静かに照らしていた。
   人類発祥の地。                
テ ラ
   ミュウが求め続けた安息の地───……地球。
   長きに渡り求め続け、戦い、やっと辿り着いたその星。
   しかし憧れ続けたこの星に、青い美しさはどこにもなく、S・D体制が施行されてから500年以上が過ぎているというの
  に、未だ生物の生存は到底不可能な状態だった。
   ミュウと人類との戦いに停戦が結ばれ、ミュウの長であるソルジャー・シンは一部の者を連れて、地球へと降り立った。
   かつての繁栄の跡を忍ばせる廃墟群の中に、地球の再生を担うリボーン総本部、ユグドラシルは存在した。
   翌日、ここでミュウと人類の会談が開かれるのを、シンはただ静かに待っていた。


   真夜中───シンは一人、夜空を見上げていた。
   部屋の窓ガラスに映るのは、まるで王者の冠を思わせるような金色の髪。
   整った顔立ちは、喜怒哀楽をなくしたかのようにただ冷たい。
   他のミュウたちとは異なる、金糸を施した服と鮮やかな緋色のマントを纏うその姿は凛としていた。
   そして耳には先代の長の形見の、補聴器を付けていた。
   初めて訪れたここユグドラシルで、ミュウたちはそれぞれ用意された部屋で休んでいた。
   中にはなかなか寝付けない者もいたようだが、深夜になり皆一様に寝入ったようだった。
   けれどシンには睡魔も訪れない。翌日の会談に対する緊張も興奮もないのに、なぜか眠れなかった。
   部屋の壁はほぼ一面が強化ガラスで覆われ、外の風景がよく見て取れた。
   シンは何をするでもなくその前に立ち、飽きることなくただ外を見つめていた。
   そこに広がるのは、汚染された大気と荒廃した大地。
   放射能に汚染され、砂漠化した大地。それらを覆う澱んだ大気。
   シンのその深い、翡翠色の瞳に映るものは、あまりにも無残な光景だった。
   冷たい眼差しのシンを、荒廃した地球を、月の光は優しく照らしていた。
   大気汚染のために濁った大気を介して見える、月の輪郭は朧げだ。
   それでも美しい。
   美しいあの月は、それ以上に美しかった地球を知っているだろうに───。
   地球の姿を目にして、シンの胸に湧き上がってくるのはただ失望だけだ。
   ……こんな星を欲していたのではない。
   こんな星を彼に見せたかった訳ではなかった。
   もしも彼がこの星を目にしていたら、泣いただろうか。シンと同じようにやはり絶望しただろうか。
   彼はそれこそシンなど足元にも及ばないくらい強く、地球に焦がれていた。
   その彼がこんな醜く汚れきった地球を見ずに済んだのは、僥倖だったのだろうか。
   未だに癒えない彼を亡くした傷を抱えながら、埒もなくそんな事を考えてしまうほど、地球の姿は想像を絶していた。
   ミュウと人類の未来がどうなるのか。
   和解か、それとも決裂か。
   仮に和解できたとしても、共に歩むにはまだ長い時間が必要だろう。
   ミュウが受けた長い迫害の歴史。
   そしてS・D体制に浸りきった人類の傲慢。
   それがある限り、両者は容易には分かりあえないだろう。
   けれど、終わりにしなくてはならない。
   この歪みきった世界を───S・D体制を。
   そのためには何があってもグランド・マザーを破壊する。
   それさえ叶うなら、この命などどうなっても構わない───。
   満月を見上げながら、そうシンが考えた時───不意に頬に何かが触れた。
  「…………?」
   突然の、異質な感触に頬に手をやると、指が濡れた。
   それは涙だった。
   シンの瞳から、透明な涙が流れていた。
   けれどシンに、自らが泣いている意識はなかった。
  「どうして……」
   なぜ、涙など。
   シンは戸惑った。
   自分は泣きたいほど、この地球の姿が悲しいのか。
   ……答えは否だった。
   確かに悲しいけれど、それ以上に感じるのは絶望だった。激しい怒りさえ感じるほどの。
   それに彼を亡くした時に、涙はもう流すだけ流して枯れてしまった。泣くような優しい心など、シンはとうに失くしていた。
   まるで、誰かがシンの身体を借りて泣いているような感覚だった。
   戸惑うその間に、月がその姿をたなびく雲の影に消した。
   陰りゆく儚い光に、部屋一面に張られたガラスがまるで鏡のように反射した。
   そこに映った人影に───シンは目を見張った。
   映っていたのは自分の姿ではなかった。


   その細い身体の背を覆うのは、高貴な紫のマント。
   銀の髪、白皙の肌、真紅の瞳。優しく、そして強い意思を感じさせる理知的な顔立ち。
   亡くしてしまったしまった───死なせてしまった大切な人。
   幻なのだろうか。錯覚なのだろうか。
  「ブルー……!」
   陽炎のように不確かな、朧なその姿はシンの呼びかけには答えなかった。
   ただ……泣いていた。
   彼───ブルーは泣いていた。
   その紅い瞳から涙を流しながら、真っ直ぐシンを見つめていた。
   瞬きさえ忘れて、シンはその姿を見つめた。
   シンが最後に目にしたままの、生きていた頃と変わらぬままの美しい姿のブルーは、けれどひどく悲しそうだった。
   紅い瞳は憂いを滲ませ、涙を流しながらただシンを見ていた。
  「……なぜ、貴方は泣いているの?」
   問いかけてもブルーは答えない。
   それでもシンは再び問うた。
  「こんな地球を……見たくはなかった?」
   つぶやきながら、涙を流し続けるブルーを抱きしめたい衝動に駆られた。
   手を伸ばしたのはどちらが先なのか分からない。
   ジョミーとブルーの手が触れあった。
   ジョミーが触れたのは無機質なガラスであったけれど、確かに彼を感じた。
   その優しい思念を。
  『……ジョミー』
  「ブルー……!」
  『君は生きてくれ、ジョミー……』
   生きて。
   死なないで。
   どんな事があっても生き抜いてくれ。
   ブルーはただ、シンの身を案じていた。
   それにシンは、身震いするほどの喜びを感じた。
  「安心して下さい。……まだ、死にません」
   いまだ涙を流し続けるブルーに、シンは微笑みかけた。
  「僕はまだ死なない。グランド・マザーを破壊するまでは───」
  『ジョミー……!』
   ブルーが悲痛な思念を伝えてきた。
   けれどそれ以上訴える間もなく、月が雲間から再び姿を現した。
   ───ブルーの姿はその微かな光の中、消えていった。
  「ブルー……」
   まるで夢のような邂逅。
   けれど、それが幻ではなかった証のように、シンの頬には確かに涙の跡があった。
   シンは涙を拭いもせず、薄っすらと微笑んだ。
   それはブルーを亡くしてから初めてシンが見せた、ひどく幸せそうな満たされた笑みだった。
   胸の内には抗いがたい、甘美な誘惑が満ちていた。


   すべてを終わらせたら必ず、貴方の傍へいく。
   それをどうか悲しまないでほしい。
   僕の望みは、貴方だけなのだから。
   だから、必ず逢いにいく。
   逢いにいくよ───……。




                                                  <END>




60000を踏んだ方からの申請がありませんでしたので、ご希望のあったさくらさまのリクエストです。
内容は「シン×ブルでシリアス。ラストはハッピーエンド」でした。
しかしいただいたこのお題、意外と難しかったです(^^;)
なんといってもジョミーがシン化(進化?)するには、ブルーの死は必要不可欠なもの。
その上でのハッピーエンドって……か〜な〜り難しい。
でも自分では普段考えないようなお題をいただいてチャレンジするのはけっこう好きなので、頑張って
書いてみました。

初めはブルーがシンの元を訪れる話を考えていました。
イメージとしては某深夜アニメのエンディング曲「ツキアカリ」な感じで。
でもその曲を繰り返し聞いているうちに、なんだか逆に、シンがブルーの元へ…てな感じになってしまい
ました。
私的にはこれも一種のハッピーエンドだと思うのですが……いかがでしょうか。



2008.06.07