恋スル気持チ
ジョミーは一人、考え込んでいた───。
訓練の合間の休憩時間。シャングリラの船内には所々に休憩するためのスペースがある。そこに備えつ
けられた長椅子に、心なしか俯きがちに座っていた。
足元にじゃれついてくるナキネズミにも構ってやらず、ジョミーの視線は床を見つめていた。
と、ジョミーの目の前に立つ者があった。
『お疲れのようですね、ジョミー。訓練はきついですか?』
「リオ……」
顔を上げると視線の先には、一人の青年が立っていた。
リオはミュウの青年だ。ソルジャー・ブルーの命令で、アタラクシアからジョミーが逃げる際に手助け
をしてくれた。 テレパシー
生まれつき話すことが出来ないリオは、思念波で話しかけてきた。
『隣、いいですか?』
「……ああ」
長椅子には充分なスペースがあったが、ジョミーは少しだけ腰を上げて横にずれた。
リオはジョミーの横に座ると、両手に持っていたコーヒーの一つをジョミーに差し出した。
『どうぞ』
「ありがとう」
紙コップに入ったそれは、掌に温かい。
ジョミーのコーヒーにはミルクと砂糖をたっぷりと、リオのはブラックだった。
二人は並んで、しばらく無言でコーヒーを飲んだ。
「キューン」
ジョミーに構ってもらえないナキネズミが、リオにじゃれついてきた。
リオはナキネズミを抱き上げると、片手で頭を撫でた。ナキネズミは気持ちがいいのか、リオの膝の上
で尻尾をふるふると振った。
そうして紙コップの中のコーヒーが半分ほどに減った頃───ようやくリオが口を開いた。
『……何か悩み事でもあるんですか?』
「どうして───」
ガード
思考は防壁しているはずだった。
もしかしてこいつのせいかとジョミーはナキネズミを見たが、リオはそれを否定した。
『そんな沈んだ顔をしていたら、心を読まなくても誰にでも分かりますよ』
「───」
不機嫌そうに眉をよせて考え込む様子は、天気でいえば台風の近づく前の曇り空。
ジョミーの周りだけ暗雲が立ち込めているようだった。
「そうか、そのせいか」
先程から何人かの者たちが明らかに休憩のためにここへやって来たのだが、ジョミーの顔を見るとなぜ
かそそくさと立ち去って行った。
よほどジョミーが近寄りがたい顔と雰囲気をしていたからに違いなかった。
「……気になる事があるんだ───」
ポツリとつぶやいたジョミーを、リオは黙って見つめた。
「ある人の事が気になって、頭から離れないんだ」
それはジョミーにとって初めての経験だった。
顔を見られれば───言葉を交わせば心が浮き立つ。
会えない時でも不意に、どうしているだろうかと考えてしまう。
特定の誰か、たった一人をそんな風に想うなんて、今までなかった事だった。
『その人の事が好きなんですね、ジョミー』
リオに言われて、ジョミーはエメラルドグリーンの瞳を見開いた。
「好き───なのかな」
『僕にはそうにしか見えません』
「………………」
きっと好きなのだという自覚は、自分でもあった。でもそれはあり得ない事だった。
だからジョミーは自分の気持ちが何なのか、掴みかねていた。
「リオは……好きな人はいるのかい?」
『はい』
「えっ、誰?」
何気なく聞いた一言に思わぬ言葉が返ってきて、ジョミーは驚いてリオの方を向いた。
その慌てようがおかしくて、リオは笑いながら返事をした。
『正確には、いました。幼なじみの女の子でした』
「その子はどうしているの?」
ジョミーの言葉に、リオはふと遠い目をした。
『さあ……。僕はミュウとして処分されるところを助けられて、この船にやって来て───それっきりで
す』
けれどすぐに視線をジョミーに戻すと、リオは微笑んだ。
『でも、きっとどこかで元気に暮らしてると思います』
「そうか……」
そう信じるリオの気持ちを、ジョミーは少し理解できる気がした。
『ジョミーには幼なじみはいなかったんですか?』
「いたよ。サムって奴と、スウェナって女の子」
二人とも学校で親しくしていた幼なじみだった。
サムとは何かにつけて張り合い、スウェナはそれを呆れながら見守っていた。
13歳の最後の日に、一緒に学校から帰ったのもこの二人とだった。
『そのスウェナって女の子を、好きになったりはしなかったんですか?』
「好きだよ。好きだけど……」
幼なじみの少女。
一緒にいると楽しかったし、もう会えなくなった時は寂しいとも思ったが、それとは違うのだ。
言ってしまえばスウェナに対する気持ちとサムに対する気持ちに、ほとんど差異はない。
『彼女とは違うんですか?』
「うん……。多分」
そうは言いながらも、いつものジョミーらしくなく歯切れが悪かった。
ジョミーが何をそんなに悩み、迷っているのか、リオには測りかねた。
けれど、思念波でジョミーの気持ちを覗き見るのも、ナキネズミの力を借りる事もリオはしなかった。
ショミーがそれを嫌がるだろう事は、簡単に想像できたからだ。
『ジョミー、誰かを好きになるなんて、素晴らしい事じゃないですか。なのにあなたは何をそんな難しい
顔をしてるんですか』
「……きっと迷惑だろうから」
その言葉で、ジョミーはその相手にまだ気持ちを告げてはいないらしい事が分かった。
伝える気があるのなら、ミュウは思念波で一瞬で意志や気持ちを伝えられる。
ただでさえジョミーの思念は強い。それを伝えていないのは、やはりジョミー自身に躊躇いがあるから
なのだろう。
『あなたに好かれて迷惑に思う者などいるものですか』
「そうかな───」
リオの励ましも、なかなかジョミーの心までには届かない。
しばし考え、リオは質問を変えた。
『では、あなたはどうしたいんですか?』
「どうって?」
『そうですね……。例えば、その人と結婚したいとか?」
「結婚!? まさか!!」
ジョミーのきょとんとしていた表情が、一瞬で驚きに変わった。心なしか微かに頬が赤く染まっていた。
スペリオルドミネーション
結婚───特殊政府体制以後、子供は婚姻によってつくられる事はなくなった。
機械による精子卵子の交配、人工子宮による試験管ベビーの誕生。
エデュケイショナルタウン
その子らの健全な育成のために、アタラクシアを始めとする育英都市にて、厳選された保父、保母が子
供一人につき一組選ばれた。
子供たちは健全な生活、必要な教育を受け、悪いものいっさいから隔離され、純潔な子供として育成さ
れた。
そして14歳の「目覚めの日」以降に成人検査を受け、それまでの記憶を消され、それぞれの能力に合
わせて社会の中に散っていく。
優秀な子供はさらに教育を受け、残りは健全な市民となって社会を構成する。
テ ラ
───それが今の地球のシステムだった。
超能力を持っているというだけで、人間社会から排除されたミュウたちだが、その社会通念は人間であっ
た時の教育が色濃く残っている。
結婚もその一つ。子供をつくらず、また養育しない以上、敢えてする必要もない。
生き延びるのに必死だったミュウたちの多くは、ただ「仲間」として生きてきた。
ただし、結婚しないまでも異性と交際する事は多々あった。
そんな場合も、よりよい社会の構築するための「健全な教育」により、同性に気持ちが向くなどありえ
なかった。
ジョミーもそれが普通だと思っていた。
けれど気持ちは彼に向かっていく───真っ直ぐに。彼だけに。
そんな自分の気持ちが、ジョミーにはどうしても理解できなかった。
「結婚なんて考えてもないよ」
『では、どうしたいんですか?』
「───……」
ジョミー自身はいったいどうしたいのか。
自分の気持ちにばかり気をとられて、ジョミーは初めてそこまで考えた。
考え込むジョミーに優しく、リオは言った。
『僕は、好きになってはいけない人などいないと思います』
それがミュウでも人間でも、区別などないはずだった。
「そうかな……?」
『ええ』
リオにそう言われて、少しだけジョミーの表情が動いた。
『気持ちを伝えてみないんですか?』
「伝える……」
考えてもみなかった。
もしも気持ちを伝えて、同じような気持ちが返ってきたら、それはどんなにか嬉しいことだろう。
けれど、それよりも───。
「……それよりも、地球へ行きたい。あの人を連れて行きたいんだ───」
彼の望みをかなえたい。
そのために全力を尽くす───だからジョミーはここにいるのだ。
自分の気持ちばかりに気を取られて、大切なその事を忘れていた。
ジョミーはコーヒーを飲み干すと、長椅子から立ち上がった。
「サンキュー、リオ。なんかすっきりした」
ジョミーにようやく笑顔が戻った。
この少年はふさぎ込んでいるよりも、明るい笑顔が何より似合う。リオもようやく安堵した。
ジョミーは空になった紙コップをくしゃりと握り潰すと、休憩スペースの隅に設置されたごみ箱に放り
投げた。紙コップはきれいな弧を描いて、ごみ箱の中に落ちた。
「よし! 次の訓練も頑張るぞ!!」
『あ、ジョミー』
ジョミーはリオの腕からナキネズミを抱き上げた。
ナキネズミは嬉しそうに、ジョミーの腕の中から肩に、ぴょんと飛び乗った。
『あなたがそんなに想うのは、いったい誰の事なんですか?』
聞きながら、リオは頭の中でいろんな想像をした。
やっぱりフィシスだろうか。ミュウの男たちの中には、フィシスに憧れている者が多い。
それともまさか、もしかして、長老のエラやブラウか。
年齢は離れているがミュウは何しろ長寿だ。外見の年齢もコントロールできるし、恋愛対象にならない
訳ではないだろう。
もしくはカリナやニナなど、子供たちのうちの誰かだろうか。だったら彼女たちの成長を待って、交際
を始めるのもいいだろう。
そんな事を考えながら残ったコーヒーを口にしたリオに、ジョミーは答えた。
「ブルーだよ」
『ブ……ッ!』
リオは口に含んでいたコーヒーを吹き出した。
ジョミーは身軽にそれを避けると、そのまま駆け出した。
「じゃあね、リオ。コーヒー御馳走様」
『ま、待って下さいジョミー!!』
慌てたリオが口許を拭いながら叫んだが、吹っ切れたジョミーは振り向きもせず、ナキネズミを連れて
通路を走っていった。
一人残されたリオは青ざめた。
まさか、まさか相手がソルジャー・ブルーだったなんて。
まったくこれっぽっちも、リオは想像していなかった。てっきりミュウの女性の誰かだと思い込んで話
をしていたのだ。
ジョミーもそうだが、リオも人間社会の健全な教育を受けた一人だった。
もしかして自分は、ミュウの未来を左右するような重大な事に関わってしまったのだろうか───。
恋心とはどこへ向くのか分からないものだ。
頭を抱え、一人立ちすくむリオだった。
私は「秘めた想い」とか「禁忌の恋」とか大好きです。
でも、ミュウの場合、思念波があるから、愛も恋も筒抜けっぽくて難しいです(^^;)
シリーズとかにするつもりじゃないけど、なんとなく続きっぽくなってますね。
次は、久しぶりにジョミーとブルーの話になる予定です。
2007.07.14
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