exceeding thousand nights ・ 7



   シャングリラ船内に鳴り響いていた警報が、ようやく解除された。
  『もう大丈夫なようですね。戻りましょう、ブルー』
  「あ、はい」
   リオに促され、ブルーは避難していた部屋から廊下へと出た。
   警報の原因はアタラクシアから飛来した哨戒機だ。ここのところ頻繁に、人類の哨戒機がシャングリラが隠れる荒野の上空に
  偵察にやって来ていた。
   ブルーが知っているのはこの船に来てからしかなかったが、こんな風に警報が鳴るのは珍しい事ではなかった。
   多い時は週に2、3回。少なくても週に1回は必ず、万が一に備えて避難する事を余儀なくされていた。
   けれどブルーたち一般のミュウには詳細は何も知らされず、警報が鳴る度にすべてを中断し、みな決められた場所へと避難し
  ていた。最初こそ緊張したがいつも何も起こらずに警報は解除され、正直ブルーはそれを訓練のように感じていた。
   リオと共に講義室に戻ろうとしていたブルーは、廊下の曲がり角で誰かとぶつかった。
  「わ!」
  「っと、ごめん……!?」
   ぶつかった拍子に廊下の床に尻もちをついてしまったブルーに、慌ててリオが手を差し伸べた。
  『大丈夫ですか、ブルー』
  「うん、大丈夫。何ともないよ」
   リオに助け起こされながら、顔を上げたブルーの視線の先にいたのは、赤毛の少年だった。
   豊かな巻き毛を肩まで伸ばした、ミュウの少年。ブルーより少しだけ年上に見えた。
   彼の後ろには黒髪の少女と、もう二人の少年がいた。
   赤毛の少年は身長も体格もブルーよりも一回りは大きく、ブルーとぶつかっても平然と立っていた。
   転んだのはブルー一人だったが、それでもブルーは謝ろうと口を開きかけた。
  「あの、ごめ───」
  「邪魔なんだよ、チビ!」
  「なっ……!!」
   ブルーの言葉を遮って、赤毛の少年はいきなり暴言を投げつけてきた。
   驚くブルーに怒ったような視線を向けていた少年は、踵を返すと走りだした。
  「待ってよトォニィ! ……ごめんね、ブルー」
   少年と一緒にいた黒髪を二つに結った少女が短くブルーに謝ると、少女は少年の後を追って行った。
  「行くぞ、タージオン」
  「兄さん」
   二人の少年もそれに続いた。
  「……トォニィ?」
   ブルーは耳にしたばかりの名前をつぶやいてみたが、やはり記憶のどこにもなかった。
   初めて会った少年、そして初めて知る名前だった。
   呆然としたまま、ブルーは彼らが走り去っていくのを見送った。


   その日の予定を終えた夕刻、食堂でリオと一緒に夕食をとりながら、ブルーは浮かない顔をしていた。
  『どうしました、ブルー? あまり食が進まないようですが……』
  「そんな事ないよ。ちゃんと食べてるよ」
   リオに心配されて、ブルーは慌てて食事を再開した。
   ブルーは元々食が細かった。食べる量も、14歳が食べる平均的な量よりもいつも少なめだった。
   日頃からそんな様子なのに、今日のブルーは輪をかけて食事が滞りがちだった。
  『もしかして……トォニィの事が気になっているんですか?』
  「───……」
   ブルーは返事をしなかったが、図星だったのだろう。スプーンを口に運んでいた手が完全に止まった。
   黙りこんだブルーだったが、しばらくしてポツリとつぶやいた。
  「……なんで初めて会ったのに、あんな事言うんだろう」
   シャングリラに居るミュウでブルーが知るのは大人ばかりで、同い年くらいの者に会ったのは今日が初めてだった。
   だから、嬉しかったのに。
   非常時の後だったけれど、話がしてみたかった。できるなら友達になれたら……と思ったのに。
   出会った瞬間生まれた、ブルーのそんな微かな望みは、望んだと同時に打ち砕かれた。
  「なんであんな事……。そりゃあ僕の方が小さかったけど」
   よほどショックだったのか、思い出してブルーはますます表情を曇らせた。
  『トォニィは普段から気が強い質ですけど、あんな事を言う子じゃないんですが……』
  「じゃあ、僕にだけなんだ……」
   リオにそう言われ、余計にブルーは落ち込んでしまった。
   慌てたリオがブルーの前で頭を下げた。
  『すみません、ブルー。トォニィの非礼については僕からも謝ります』
  「そんな、リオは何もしてないよ」 
   リオに心配をかけていると気づいたブルーは、落ち込みかけた気持ちを打ち消して食事を続けた。
   しばらく二人は無言で食事を続けたが、ブルーが何かを思い出したのか口を開いた。
  「そういえば、不思議に思っていた事があるんだ……」
  『何かありましたか?』
  「何か……っていうほどのものじゃないんだけど」
  『気になる事があるのなら、何でも話して下さい』
  「……うん」
   リオに促されたブルーは、ずっと気になっていた事を口にした。
  「……どうしてこの船の人たちは、僕に好意を寄せてくれるんだろう」
  『好意、ですか?』
  「うん」
   例えば日常のふとした折。
   リオに連れられて初めてシャングリラの船内を案内された時もそうだった。
   ブルーの姿を見かけたミュウたちは、一様にブルーに好意的な視線を送ってきた。
   信愛や憧れ、思慕を含んだそれ。
   敢えて言葉にするなら、それは「崇拝」というものが一番近いようにブルーには思えた。
   そもそもブルーがソルジャー・シンに連れられて初めてシャングリラに来た時から、それはあった。
   そして今日出会ったトォニィという少年。
   訳も分からないまま向けられる好意と敵意。
   それがどうしてなのか、ブルーには不思議で仕方がなかった。
  『ブルー……』
   考え込むブルーの目の前に、リオはコップを一つ差し出した。
  「なに?」
  『どうぞ。僕の分の牛乳です』
  「え? どうして?」
   この船では物資はすべて貴重で、食料についてもそうだった。年齢や性別、体調によって様々な考慮はされるが、基本的に
  一人分の食事の量は決められていた。
   それなのに、自分の分の牛乳をリオはブルーに差し出したのだ。
  『ブルーは育ち盛りなんですから、もっと食べないと』
  「僕はちゃんと食べてるよ」
   それに、ブルーはあまり牛乳が好きではなかった。
   好き嫌いは少ない方で、嫌いなのは牛乳と合成トマトくらいだ。それもメニューに出されれば、食べたくないなどと我儘は言わず
  に、我慢して口にしていた。
   けれど嫌いなものを人の分まで食べたいとも思わなかった。
   もう自分の分の牛乳は飲んだし、リオの気遣いは有難かったが、正直遠慮したいというのがブルーの本音だった。
  『いずれ知ると思いますから、今のうちに話しておきますが……』
  「?」
  『トォニィはあなたより年下です。確か今年で12歳になったはずですよ』
  「え……!」
   リオが教えてくれたその事実に、またもブルーは少なからずショックを受けた。
   しばらくブルーは目の前の、なみなみと牛乳が注がれたコップを黙って見つめていた。
  「……じゃあ、いただきます」
  『はい、どうぞ』
   ブルーは悔しそうに、少し涙目になりながら、なんとかそれを飲み干した。
   その様子にリオは苦笑した。


   深夜───リオは青の間を訪れ、ソルジャー・シンに今日一日の報告をしていた。
   ブルーの行動を監視し、何かあった場合は直ちに知らせろと。
   そして毎日必ず報告しろと、リオはシンから命令されていた。
   シンはベッドに腰掛け、リオはその前に立ち、今日一日の出来事を伝えた。
  「そうか……。トォニィとそんな事が」
  『はい、よほどショックだったようです』
  「可愛いものだ」
   リオの報告に、シンはその口元に僅かな笑みを見せた。
  「ブルーの様子はどうだ?」
  『特に変わりはありません』
  「……そうか」
   それでも、ミュウたちがブルーへ向ける崇拝めいた思念に気づかれたのは、シンの想定外だった。
   すべてのミュウたちには、その日が来るまでは何もするなと命令してあった。
   けれどブルーを前にして、湧き上がる思慕までは抑えきれなかったのだろう。
   力に目覚めていなくても、ブルーは利発で聡明だ。何かしら感じ取っていたのだろう。
   ただしシンが望んでいるものは、別のものだった。
  「この船に来れば、触発されてあるいは……と思っていたが」
   そうつぶやいたきり、シンは押し黙った。
   リオはしばらくシンの言葉を待ったが、シンが口を開く様子はなかった。
  『どうされますか?』
  「……できることなら穏やかに事を進めたい」
   リオが訊ねると、シンは床を見つめていた視線を上げた。
  「もうしばらく様子を見る。引き続き監視を続けろ」
  『分かりました』
   報告は終了した。
   いつもならすぐに退室するリオが、今日に限って立ち去らないので、シンは訝しんだ。
  「……なんだ?」
   問えば、リオが思案しながらもシンに問いかけてきた。
  『いえ……少々意外でした』
  「何がだ?」
  『ソルジャーがです。ブルーをこの船に迎えたら、ソルジャーはもっと毎日でもブルーに会われるかと思っていました』
  「───……」
   リオの言葉に、シンは途端に視線を険しくした。
   過ごした時間の長さ故に、そんなシンの視線にもリオはたじろがなかったが、きっと他の者なら怯えてしまっていただろう。
  「下がれ、リオ」
  『はい……』
   命令されるまま、リオは青の間を後にした。
   青の間に残されたのは、静寂と闇と───シン一人のみ。
   その翡翠の瞳は、凍てついた色を滲ませていた。




トォニィたちの登場です。うっかり増えたエピソードの一つが彼らです。
シャングリラがナスカに行っていないので、最初トォニィたちの出番は影も形もありませんでした。
でもちょっとブルーに反発する存在が欲しいなあ、誰かいないかしら…と思った時に、ひょっこり出てきたのがトォニィでした。
それが私の頭の中では意外にしっくりきたので、いいや出しちゃえ〜となりました。
しかしこの話ではナスカで生まれたんじゃないから、ナスチルとは言えないのかしら。
……さしずめアルテメシア・チルドレン?
なんじゃそりゃ〜(−−)
まあ冗談はともかく、アニテラを見てからトォニィやアルテラたちにぐっと思い入れがでてきたので、少し書けたらいいなと思います。
あ、もちろんメインはシン×子ブルですよv



2008.04.17





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