その手を伸ばして
シャングリラの一室で、今日もジョミーはヒルマンの教えを受けていた。
ミュウとして生きようと、ソルジャー・ブルーの後を継ごうと決意してから、ジョミーは様々な事柄を
学ぶ事になったが、それを教えているのは主にヒルマンだった。
ヒルマンはハーレイ達と同じく「長老」と呼ばれる古いミュウの一人で、皆からは「教授」と呼ばれて
いた。外見も、若さを保ちたがるミュウたちの中で珍しく老年期で年齢を止めて、いかにも教授といった
風貌だった。
何よりヒルマンは博識で、見識も深く、教師役としてはもってこいの人物だった。
テ ラ
今日の講義は宗教学だった。地球で、過去の人間が信仰していたという様々な「宗教」と呼ばれるもの
を、ここ数日前からジョミーは学んでいた。
テレパシー
もっとも、その知識自体は思念波で伝達される。
けれど知識だけ頭に詰め込んでも、それを理解していなければ意味はない。ジョミーがきちんと理解し
ているか、ヒルマンの講義の多くの時間は、そちらに重点を置いていた。
「───主に以上が、イスラム教がシーア派とスンニ派に別れた理由です」
ジョミーは少し言葉に詰まりながらも、それでもヒルマンの質問にきちんと答えた。
「よろしい、ジョミー・マーキス・シン。今日はこれで終わりにしよう」
「はい! ありがとうございました!」
さも嬉しそうにジョミーが挨拶をした。
ジョミーは頭はいいし理解力もあるが、どうやら勉強はあまり好きではないらしい。
それでもそんな子供たちをたくさん教えてきたヒルマンは、怒りもせずに教材に使った本や書類を片づ
けて、部屋を出ていこうとした。
「ヒルマン教授」
そんなヒルマンをジョミーが呼び止めた。
いつもは先にジョミーの方が部屋を飛び出して行くのだが、今日は部屋に残り、初めてヒルマンに声を
かけてきた。
珍しい事もあるものだと思いながら、ヒルマンは振り返った。
「どうしたね、ジョミー」
「お願いが、あるんです」
「何だね?」
ジョミーは至極真面目な顔をして、言った。
「思念体を飛ばせるようになりたいんです」
「思念体を?」
「はい、お願いします!」
ジョミーは頭を下げて、ヒルマンに願い出た。
今まで、様々な講義はもちろん、実際にサイオン能力を使った訓練をジョミーはこなしてきたが、未だ
思念体を飛ばす訓練は一度もやった事がなかった。
「出来るようになりたいんです。僕にも早く教えて下さい」
「ふむ……」
ジョミーにそう言われたヒルマンは、意外にも返事を濁した。指を顎にかけて、しばし考え込んだ。
すぐに了承してもらえると思っていたジョミーは、ヒルマンの態度に表情を曇らせた。
「ダメ、なんですか……?」
「いや。そうは言わないが……君にはまだ早いだろう」
ヒルマンの返答はジョミーが欲しいものではなかった。
ジョミーはヒルマンに詰め寄った。
「そんな事は───」
「先日、シャングリラ中の者たちの気持ちを暗く落ち込ませたのは誰だったかな」
「それは……」
ジョミーは何とか反論しようとしたが、続くヒルマンの言葉に返す言葉を失った。
「私なんぞは酒も飲んでいないのに、まるで二日酔いの朝のような気分だったよ」
「……すみません」
「いや、君を責めたい訳じゃあないんだ」
苦笑しながら、ヒルマンは穏やかにジョミーに語りかけた。
「君が努力して自分の力を磨いて、そして素晴らしい早さで成長しているのは私も知っている。だからと
いって、何でもすぐに教えられるものではないんだよ」
「………………」
「君の思念波のコントロールがもっと上達すれば、いずれそう遠くないうちにその時間を設ける事もでき
るだろう」
ヒルマンの言葉をジョミーは俯いて聞いていた。
「思念体をつくる訓練は危険なんだ。もう少しだけ、待ちなさい」
「……はい」
ジョミーの返事に、ヒルマンは安心したように頷いた。
「あーあ、ダメかぁ」
自室に戻ったジョミーは、ごろんとベッドに寝ころがった。
仰向けの視線の先には照明と、無機質な天井が見えるだけだった。
そのままふて寝をしようとしたのだが、部屋の中にいたナキネズミがぴょこんとベッドに上がり、ジョ
ミーの枕元にやってきた。
ペロペロと頬を舐められて、ジョミーは苦笑した。
「くすぐったいよ、やめろってば」
「キューン」
「ダメだったよ。僕にはまだ教えられないってさ……」
落胆した声でつぶやくジョミーの頬を、慰めるようにナキネズミがまたペロペロと舐めた。
「……ブルーはどうしているかな」
気を抜くとつい、ジョミーはブルーの事を想ってしまった。
結局、ブルーの元へはあれから行ってない。
彼と会わなくなってもう10日が経つ。ジョミーからすると会えない───という方が正確だった。
落ち込んだ気持ちはリオに励まされて少しは上向いたが、だからといってどんな顔をしてブルーに会え
ばいいか、見当もつかなかった。
それでもやはり、ブルーがどうしているか気になった。
気になるが会えない───会いに行けない。
そんな悶々とした日々を過ごす中、ジョミーはふと思念体を作れるようになりたいと思いついた。
基本的にジョミーはブルーに近づきたいのだ。
ブルーが出来る事なら出来るようになりたい。彼が思念体を飛ばせるのならジョミーも飛ばせるようよ
うになりたい。
「やってみるか───」
教えてもらえないのなら、自分でやってみるしかない。
ジョミーはベッドの上に身体を起こしてきちんと座り直し、意識を集中し始めた。
ナキネズミもジョミーに習うように、ジョミーの隣にちょこんと座った。
そしてそのまま───小一時間が過ぎた頃。
「あーっ、出来ないーっ!!」
部屋にジョミーの叫び声が響いた。
「難しい……」
ジョミーはぐったりと疲れ果てて、またもベッドに倒れ込んだ。
思念体を作ろう、飛ばそうと意識を集中しはしたのだが、どうすればそれが出来るのか雲を掴むようだっ
た。
ナキネズミが心配そうに、ジョミーを伺うように擦り寄ってきた。
「キュウーン」
「お前が教えてくれたらいいのにな」
ナキネズミの頭を、ジョミーは優しく撫でた。
そしてベッドに突っ伏したまま、いつの間にか眠ってしまった───。
ジョミーは夢を見ていた。
ジョミーがいる場所は自分の部屋で、ベッドで眠っていた。まるで眠る前の続きのようだった。
視線をベッドの隅に向ければ、ナキネズミがそこにいた。
さっきまでジョミーのすぐ隣にいたはずのナキネズミは、ベッドの隅で小首を傾げていた。
『じょみー』
「え?」
初めて出会った時に聞いた、可愛らしい声がジョミーの頭の中に響いた。
『じょみー、コッチダヨ』
「お前……?」
『コッチコッチ』
ナキネズミは何度もジョミーを呼んだ。
呼ばれたジョミーは起き上がろうとしたが、自分の夢だというのに、どうした事か自由に身体が動かな
い。
「おかしいな、この───」
ジョミーは意識を集中して、なんとか身体を動かそうとした。
『コッチダヨ、じょみー。ガンバッテ』
ナキネズミに励まされ、ジョミーは右手を伸ばした。
けれどその手は届かない。身体も動かない。ジョミーとナキネズミの間の距離はせいぜい1メートルだ
というのに、その距離がどうしても縮まらない。
ジョミーは必死で、伸ばした指先に意識を集中した。
触れたい、触れたい、動け───と念じ続けた。
「───!!」
するりと、突然身体が動いた。
ジョミーの右手がナキネズミに触れたかと思うと、その手はナキネズミの身体を突き抜けた。
「え?」
不思議に思ったジョミーが振り返ると、ベッドの上にはナキネズミと、なんと眠ったままのジョミー自
身がそこにいた。
「うわっ!?」
驚いたジョミーはベッドから飛び起きた。
「あれ、僕は……」
今のは夢だったのだろうか。
目覚めたジョミーがキョロキョロと回りを見回すと、自分はやはりベッドの上におり、その端にはナキ
ネズミがちょこんと座ったままだった。
夢とまったく同じ───しかしそれにしては、サイオンを使った後の疲労感が身体に残っていた。
「もしかして……できたのか?」
「キューン」
ナキネズミが肯定するように、ぱたぱたと尻尾を振った。
「……僕はできたんだ!」
ジョミーは喜んで、勢いよく立ち上がった。
ナキネズミを抱き上げると、胸に抱きしめたままぐるぐると部屋中を走り回った。
「キュウン!!」
「あ、ごめんごめん」
嬉しさのあまり強く抱きしめすぎて、ナキネズミが苦痛の声を上げた。
力を緩めて感謝の気持ちを込めて、ジョミーはもう一度ナキネズミを抱きしめ直した。
「……よし、何だかやり方が分かった気がするぞ!」
それから連日、ジョミーは一人でこっそりと思念体を飛ばす訓練を続けた───。
こうして小説を書いていると、ジョミーったら早くナキネズミに名前をつけてあげてよと思いました。
でもナキネズミに名前がつけられるのは、これからさらに10年以上後……(^^;)
次はブルー側からの話です。
2007.08.19
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