夢の途中
ジョミー・マーキス・シンは、ミュウの船「シャングリラ」の船内を走っていた。
超能力を使えばもっと楽に移動もできるだろうにそんな事は思いつかないのか、それともジョミーにとっ
てはそれが普通なのか、ただ走る。ジョミーの後ろからはナキネズミが、置いていかれまいとやはり走っ
てついてきていた。
ジョミーは何を急いでいるのか全力疾走だ。金髪を揺らし、エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、船内
の廊下を走っていた。
その姿は虚弱体質な者が多いミュウ達の中で、一際輝いていた。
廊下を歩いている者達は、何を言われた訳でもないが、自然とジョミーに道を譲っていた。
それをいい事に、ジョミーは走る速度を早め───そして廊下の角を曲がり際、出合い頭に正面から歩
いてきた女性とぶつかりそうになった。
「きゃ!」
「あ、ごめん!」
間一髪のところでジョミーがよけて、正面衝突は避けられたが、驚いた彼女は持っていた書類の束を床
に落としてしまった。
十数枚の書類が廊下の床に散乱して広がった。
「怪我はない?」
「ええ……ちょっと驚いたけど」
「ごめん、すぐ拾うから」
ジョミーは女性よりも先に膝を床に着き、書類を一枚一枚拾い始めた。ナキネズミは所在無げに、ジョ
ミーの側をちょろちょろと動き回っていた。
女性もジョミーと同じように、落とした書類を拾い始めた。
「いったい何をそんなに急いで……ああ」
ジョミーの側にしゃがみこんだ女性が、急にクスクスと笑いだした。
「なに?」
「構わず行ってくださいな、ジョミー。ソルジャーによろしく」
「…………」
またか、とジョミーは思った。どうやら近づいた拍子に、考えを読まれてしまったようだ。
テレパシー
ジョミーはミュウとして目覚めた今でも思念波を操るのが下手で、近づいた拍子に思考を読まれるなど
は日常茶飯事だった。
もっとも自分では確かめようがないが、ジョミーの思念波は並外れて強く、船の端まで届いてしまうの
だそうから、ジョミーとしてはもうどうにでもしてくれという気分だった。
微かに頬を染めるジョミーに、女性は重ねて促した。
「さあ、ジョミー」
「うん……。ありがとう」
拾っていた数枚の書類を手渡すと、ジョミーはナキネズミを抱き上げて再び走り出した。
目的の部屋までは、まだ距離がある。
ジョミーが急いでいた理由はたった一つ、一秒でも早くソルジャー・ブルーに会うためだった───。
ミュウの一員として、ジョミーがこの船に迎えられて数ヶ月が過ぎようとしていた。 テラ
14歳になったジョミーは成人検査を受け、それまで教えられていた世界の真実───そして地球のシ
ステムの事を知った。
そのまま、すべての者が成人検査でそうされるように、14年間の記憶のすべてを消されるはずだった。
それを、ミュウの長であるソルジャー・ブルーに助けられたのだ。
もっともそう考えられるようになるまで、葛藤や逡巡───様々な出来事があった。
まだミュウとして目覚めたといっても不完全なまま、それまでミュウの存在さえ知らなかったジョミー
は、自分がそうだと言われてもすぐには信じられなかった。
けれど今は、素直に思えるようになった。
自分はミュウなのだと、そしてずっとソルジャー・ブルーに守られていたのだと───……。
そして今、ジョミーは新たなソルジャー候補として、様々な勉強や訓練を受けていた。
ソルジャー・ブルーの部屋は船の中心部にありながら、他のミュウ達の気配もなくひっそりとしていた。
ジョミーは走って部屋の前までやってきたが、さすがにすぐに飛び込むのもためらわれ、立ち止まって
息を整えていた。
「キューン」
腕の抱いていたナキネズミが、ジョミーの様子を伺うように肩口へと上がってきた。
すると部屋の中からジョミーを呼ぶ者があった。
『……ジョミー』
声ではない、ソルジャー・ブルーの思念波だった。
「ブルー……?」
ジョミーはそっと、ブルーの部屋に入った。
照明の光度を落とした暗く静かな部屋で彼は一人、ベッドに横たわっていた。
それまでの勢いが嘘のように、ジョミーは静かな足取りでベッドに近寄った。
そしてベッドの傍ら───横たわるブルーの枕元に立った。
ブルーは全体的に色素が薄い。肌も白く、髪も白みががった銀髪で、そういった身体的特徴を持つ者を
「アルビノ」というのだと、ジョミーはブルーに会って初めて知った。
最近のブルーの顔色は白を通り越して青白く、顔立ちが整っているだけにまるで人形のような錯覚をし
てしまいそうだった。
微かに感じる不安をできるだけ意識しないようにして、ジョミーは努めて明るくブルーに問いかけた。
「ブルー、体調はどうですか?」
『調子はいいよ、ジョミー』
「よかった……」
ブルーの返事に、ジョミーは安堵のため息をついた。
と、ジョミーの肩に乗っていたナキネズミがベッドのシーツの上にぴょんと飛び下りた。
そのままブルーの頬をペロペロと舐めた。
「おい、こらっ」
『構わないよ』
ブルーの身体は動きはしなかったけれど、微かに微笑んだようだった。
こんな風に毎日、講義や訓練が終わった後、自室に戻る前に必ずジョミーはこの部屋に寄るようにして
いた。
その日一日の報告をするためだった。
長老たちはジョミーのその行動を苦々しく思っているようだった。
ソルジャー・ブルーに少しでも負担をかけないようにと、報告したい事があるのなら、自分たちのよう
に思念波を送って済ませればいい。
けれどもブルー本人が、ジョミーのその行動を容認しているので、長老たちも表立って文句を言っては
こなかった。
確かに報告だけならば、思念波でもよかった。
けれどジョミーは直接会って顔を見て、思念波ではなく自分の言葉で、ブルーと話をしたかった。
それがどうしてなのかは、自分でも分からないけれど───……。
『今日はどうだった?』
「今日は地球の歴史の講義と、思念波をコントロールする訓練でした。歴史はほぼ理解できたけど、思念
波の訓練は集中力が足りないって……」
『そうか……。疲れただろう?』
「まさか! 僕は体力だけはあるから」
『頼もしいな、ジョミーは』
ジョミーに穏やかに語りかけるブルーの瞼は開かれない。長い睫毛で彩られた瞼は閉じられたまま、ジョ
ミーの問いかけに対しても、返事は思念波で答えるだけだった。
けれどその思念波はいつも、ジョミーを包み込むように優しかった。
『君ならすぐに思念波も自由に操れるようになるさ』
「そう……かな」
『ああ、君なら大丈夫だ』
ミュウの指導者として皆を導いてきたソルジャー・ブルーの代わりに、そう簡単になれるとはジョミー
も思ってはいなかった。
それでもあまりに訓練が上手くいかないと、やたらと苛ついたり、不安に駆られたりする事も度々だっ
た。
ブルーを安心させるためにも、早く一人前にならなくてはいけない───けれど物事はすぐには上手く
運んではいかない。
そんなジョミーを、ブルーは常に励ましてくれていた。
もしかしたら自分はただ甘えているのかもしれないと、ジョミーは思った。
けれどこうしてブルーの部屋で一緒に過ごす一時が、ジョミーには何より心休まる一時となっていた。
ミュウの中で最も長い時を生きてきたソルジャー・ブルー。
その命はもうすぐ尽きようとしていた───……。
いずれ訪れるだろうその時を想像すると、いつもジョミーの胸には暗く深い闇が広がった。
ブルーの代わりにミュウ達を導かなければいけない不安。たった一人でその責任を負わなければいけな
い、どこか恐怖にも似た感情。
広大な宇宙に、ジョミーはたった一人ぼっちだった。
そして───遠い遠い、地球への道のり。地球の姿はかけらも、暗い宇宙のどこにも見えなかった。
これは夢だとジョミーは分かった。
自分は眠っていて、あまりよくない夢を見ているのだと。
『……ジョミー』
不安と焦りに押し潰されそうになっているジョミーの前に、不意にブルーが現れた。
それは実体ではなく、陽炎のようにゆらめく幻だった。朧げな輪郭だったが、それがブルーだとジョミ
ーには分かった。
ブルーはジョミーに向かって語りかけてきた。
『君には力がある。他のミュウの誰も持っていない、希望と生気を君は持っている。……君でなくてはダ
メなんだ───』
自分で自分を信じるなんて、どこか自惚れにも似た感じがぬぐえない。
けれどそう言ってくれるブルーを信じることならできる。
『君なら、大丈夫だ。僕はそう信じている───』
ブルーの手が伸ばされ、ジョミーの髪をそっと撫でてくれた。
「……ありがとう、ブルー」
ジョミーは両手を伸ばし、ブルーの幻を抱きしめた。
するとブルーの幻は実体となり、ジョミーの腕の中にはブルーの身体の温もりが感じられた。
細く折れそうな、すぐにでも消えてしまいそうな細身の身体だった。
それでも今、彼はこうして生きている───確かに生きている。
それが何より嬉しかった。
意識が覚醒したジョミーは、瞼を閉じたまま夢の余韻を味わっていた。
温かい───……。
最初は最悪な夢だったが、最後はとてもいい夢だった。
しばらく動かずにまどろんでいたがジョミーだったが、ふと夢から覚めたのに腕の中にやけに現実的な
感触が残っていた。
不思議に思ったジョミーはうっすらと目を開いた。
すると───目の前にはブルーの顔があった。
真紅の澄んだ瞳が見開かれて、真っ直ぐにジョミーを見ていた。
その紅い色を目にしたのは、いったい何日ぶりだろうと、ジョミーは嬉しくなった。
と、同時に、なぜブルーの顔がこんな目の前にあるのか、腕の中に温かな感触があるのか───ジョミ
ーは不思議に思い、次の瞬間、自分がブルーのベッドで眠って、ブルーを抱きしめているのだということ
に気がついた。
「うわああぁーっ!!」
驚いたジョミーはベッドから飛び起きて、勢い余ってベッドから転がり落ちた。その拍子に床で肩を打
ちつけて、思わずジョミーは唸った。
「いっ……てぇ」
「キュウン!」
ブルーの枕元にいたナキネズミも驚いて、ベッドの上で毛を逆立てた。
『大丈夫か? ジョミー』
ベッドから上半身だけを起こしたブルーは、その瞳を見開いていた。
肌も髪も白い印象のあるブルーだったが、なのに瞳だけが真紅の色をして、相対する者を引きつける。
その紅い瞳はただ驚いていた。
『ジョミー、急にどうしたんだ?』
「どうしたって……それは僕の方が聞きたいっ! なんで僕は貴方のベッドにいるんですかっ!?」
一緒に寝ているだけでなく、あまつさえ抱きしめてしまったなんて、自分は何をしたのだろう。
混乱した頭で、ジョミーはブルーに聞くのがやっとだった。
対するブルーはジョミーの慌てようには驚いてはいたが、思考は平静だった。
『話しているうちに君が眠ってしまったから、ベッドに移動させて───そしたら君がうなされ始めたか
ら、悪いとは思ったが君の夢を覗かせてもらったんだ』
以前、眠っている間にブルーがジョミーの記憶を読んだ事を、ジョミー自身はとても不快に感じていた。
それからブルーは意識してジョミーの思念波は読まないようにしていた。
もっとも今日はナキネズミが、ジョミーの夢を伝えてきてくれたのだけれど。
つまりはジョミーはブルーと話しているうちに、自分で思っているよりも疲れていたのか、ベッドに上
半身を突っ伏すようにして、眠ってしまったらしい。
それをブルーが超能力を使いベッドに寝せてくれ、それどころかあまりよくない夢を見ていたジョミー
を、夢の中でまでブルーは励ましてくれたらしい。
それをブルー自身だとまでは気づかず、ジョミーは抱きしめてしまった───らしかった。
すべてを理解したジョミーは、居たたまれずに床から立ち上がった。
「ごっ、ごめんなさいっ!!」
『ジョミー?』
「失礼しました!!」
ブルーが訝しんでいるのも構わず、ジョミーは部屋を飛び出していた。
このままブルーと見つめ合っていたら、なんだかおかしな事を考えてしまいそうだった。そうしたら絶
対にブルーに伝わってしまうだろう。
もう少し、もう一時だけでも目覚めるのが遅かったらよかったのに───なんて。
思念波の扱いの不器用さだけには、絶対の自信を持っているジョミーだった。
自室へ走りながら、とにかく明日はもっと身を入れて、思念波の訓練をしようと心に誓うジョミーだっ
た。
残されたのはブルーと、忘れられ置いていかれたナキネズミだけ。
『ジョミーは急にどうしたんだろう……?』
「──────」
ブルーの問いかけにナキネズミは何も答えなかった。
まさか次期ソルジャー候補が不埒な物思いに陥りそうになっただなんて、ネズミの身とはいえ伝えても
いい事とよくない事の判断はさすがについたのだった。
一人と一匹はそうして、しばらく見つめ合っていた。
こんな感じで、初めての「地球へ…」小説です。
楽しかったけど、こんな感じでおかしくないかしらと考えながら書きました。マイ設定も勝手に作っちゃったりして(^^;)
でもソルジャー・ブルーの髪は、もしかしたらもしかして白髪なのかしら。(300歳いってるし)
ほのぼのになってしまいましたが、原作やアニメが超シリアスだし、同人ではコメディっぽいのもまあいいかな、なんて。
実は最初に小説を書き上げた時、ジョミーがブルーの部屋に入った時点で、なきネズミの存在をすっぱり忘れてしまいました。
次の日に読み返して、あれれれと慌てて修正。
やっぱり慣れないジャンルは緊張します(^^;)>
2007.07.07
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