おにいちゃんといっしょ
〜こんにちは、赤ちゃん・2〜



 シンと一緒にマリアが隣のアパートにかけつけると、確かに女性が倒れていました。
 未だに立ち上がってはいませんでしたが、ようやく上半身だけを起こして地面に座り込んでいる状態でした。
「どうしたのあなた、大丈夫!?」
「……!」
 マリアが声をかけても女性は何も返事はしませんでしたが、同時に安心したような表情を見せました。
「階段から落ちたの?」
「いえ……そうじゃないです。階段を下りた処でよろけて、足をくじいてしまって……」
 女性は痛みを堪えながら、自分の右足首にスカートの上から手で触れました。
 女性を見た瞬間、もしや階段から転がり落ちたのではと思ったマリアは、少しだけ安心しました。
「ともかくこんな所に座ったままなのは良くないわ。あなた、立てる? ジョミーも手伝って」
「うん」
「……痛っ!!」
 マリアとシンが手を貸して女性を立ち上がらせようとしましたが、どうやら右足をひどく痛めたらし動けませんでした。
 ならばとマリアは女性を助け起こそうとしましたが、二人の体格は同じくらいだったためなかなかうまくいきません。
「困ったわね……」
「どうするの?」
 シンが聞くと、マリアは考え込みました。
 11月の夕暮れ時、冷え込みはますます厳しくなるばかりです。
 シン家に車はありますが、マリアは運転免許を持っていません。
 夫のウィリアムは今日も休日出勤で出かけたまま、まだ帰って来ていません。
 今から連絡をして急いで帰宅してもらっても、多分一時間はかかるでしょう。 
「仕方ないわ、救急車を呼びましょう」
「救急車!?」
「救急車!」
 女性が驚きの、そしてシンは少々嬉しそうな声を上げました。
「あの……そんな大げさにしていただかなくとも、私なら大丈夫です。……っ!」
 そう言いながら女性は立ち上がろうとしましたが、やはり足の痛みのせいで立ち上がれません。
「いいえ、いつまでもこんな所に座っていたままじゃ身体に良くないわ」
「あ……」
「いいわね?」
「……はい」
 女性からの承諾をとり、マリアは携帯電話から119番に電話をかけました。
「はい、救急です。どうされましたか?」
「女性が転んで倒れたまま、動けないんです。私も助け起こせなくて」
「落ち着いて下さい。女性に意識はありますか?」
 マリアが電話で話している間、シンは女性を見ていました。
 ようやく顔の見る事の出来た女性は、綺麗な人でした。
 年齢は二十代前半ぐらいでしょうか、マリアより少し年下に見えました。
『こんな人がこのアパートにいたっけ?』
 そう思いながらシンは、これから来るだろう救急車の事が気になって仕方がありませんでした。
 救急車を間近で見るのは初めてです。
 救急隊員の人はどんな風にやって来るのだろうか、そう考えるだけでドキドキしました。
 マリアはまだ電話で話し続けていました。
「本人の名前は分かりますか?」
「名前?」
 交換手に聞かれて、そういえばまだ女性の名前を聞いていなかった事をマリアは思い出しました。
「あなたの名前は?」
 問われて、女性は躊躇いがちに答えました。
「……フレイアと申します」
 そこで初めて、シンとマリアは女性の名前を知りました。


 電話から15分ほどして駆け付けた救急車に、フレイアとマリアはもちろん、シンも乗り込みました。
 救急隊員は渋い顔をしましたが、まだシンが小学一年生でもう夜になるのにたった一人で留守番をさせるには心許ないとも思われました。
 シンは年齢の割にはしっかりした子供だったのですが、せっかく救急車に乗れるチャンスを逃したくはありません。
 大人しくしているとの条件で、特別に乗せてもらえる事になりました。
 初めて乗った救急車は案外広く、中には様々な器材が置かれていました。
 シンは言われた通りに静かにしながら、それらを珍しそうに見ていました。
 救急車は同じ市内の病院に行くかと思っていたら、隣の市の病院に向かいました。
 救急隊員の人があちこちに電話をかけていましたが、病院にも受け入れ体制とか、いろんな事情が世の中にはあるみたいです。
 マリアはフレイアを励まし続けていました。
 フレイアの手を自らの手でしっかりと握りしめながら、大きな声で話しかけていました。
「すぐに病院で先生に見てもらえるから、しっかりしてね!」
「は、はい……」
 ただ足を痛めただけなのにと思いながら、マリアの迫力にフレイアは何も言えませんでした。


 病院に着いてすぐ、フレイアはストレッチャーに乗せられたまま、治療を受けるために運ばれて行きました。
 マリアとシンは病院の待合室で待っていました。
「ジョミー、救急車の中でよく静かにしていたわね」
「約束したもの」
「そうね、ありがとうね」
 マリアは話しながら、さて帰りはどうしようかと思いました。
 まさか隣の市まで来る事になるとは思ってもいませんでした。
 タクシーを使うか、もしくはウィリアムが帰宅していたら車で迎えに来てもらうか───などと考えていました。
 30分ほどして、看護士が声をかけてきました。
 顔を上げると、看護士は車いすに乗せられたフレイアと一緒にいました。
「フレイアさん!」
「お…ねえさん!」
 マリアとシンが駆け寄ると、フレイアはぎこちないながらも笑顔を見せました。
「大丈夫? どうだった?」
「右足首の捻挫でしたが、骨にも異常はないそうです。通院はしなきゃですけど、もう今日は帰って大丈夫だそうです」
「そう。よかったわねえ、フレイアさん!」
「ありがとうございます……」
 フレイアはマリアとシンに深々と頭を下げました。
 その様子を見ていた看護士が、背後から声をかけてきました。
「お腹の赤ちゃんに影響はありませんでしたから、お姉さんも安心して下さいね」
「はい。……は?」
「お腹の赤ちゃん、大丈夫でしたから」
「妊婦さんだったんですか!」
「ええっ!」
 フレイアは確かにゆったりとしたスカートを身につけていましたが、すっきりとした細身の体格で、彼女が妊婦だとはマリアは気が付きませんでした。
 もちろんシンもです。
 マリアとシンの反応に、看護士は困ったような顔をしました。
 ちらりとフレイアの様子を伺いましたが、彼女は表情を強張らせていました。
「あ、えっと……」
 てっきり皆知っているかと思ったのですが、どうやらそうではなかったようです。
「で……では、会計は受付の方でお願いします。薬の処方箋もそこで受け取ってくださいね」
 それだけ言うと、看護士はそそくさとその場を後にしてしまいました。
 待合室には微妙な沈黙が訪れましたが、一番最初に立ち直ったのはシンでした。
「ママ」
 シンがマリアの上着をつんつんと引っ張りました。
「あ、そうね」
 呆けていても仕方がないと、マリアは気を取り直しました。
「あの、じゃあフレイアさんのご主人に連絡をしなくちゃね」
「いません」
 マリアの言葉に、フレイアはきっぱりとした声音で答えました。
「そんな人、私にはいません。……この子は」
 お腹を撫でながら、フレイアは決然と言い放ちました。
「この子は、私が一人で育てます」
 待合室に、再び微妙な沈黙が訪れました───




ようやく久しぶりの更新です。
早く子ブルに誕生してもらって、赤ちゃん子ブルを書きたいですv


2012.7.21



           
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