おにいちゃんといっしょ
〜こんにちは、赤ちゃん・4〜
襖を開けたシンは、フレイアの傍までやって来ました。
「おねえさん、朝ごはんができたよ。キッチンにこれる?」
「ごめんなさい。いらないわ……」
足が痛むのでもちろんキッチンに行くのは辛かったのですが、それより何よりフレイアは食欲がまったくありませんでした。
腰を上げようとしないフレイアの顔を、シンが覗きこみました。
「足がいたいの?」
「ええ」
幸いにもシンは昨日の怪我だけが原因だと考えてくれたようです。
フレイアはこのまま、この部屋で休もうと思っていました。
食事をする気も、動こうとする気も起きませんでした。
そんなフレイアの気持ちを知る由もないシンは、すぐに明るく言い放ちました。
「じゃあここにごはんをはこんでくるね!」
「えっ……あの、ちょっと待って……」
フレイアが呼びとめた時には、シンの姿はもうありませんでした。
「はい!」
「…………」
約5分後、布団に座ったままのフレイアのすぐ目の前に、シンがお盆にのせて運んで来た朝食がありました。
白米のご飯に豆腐とワカメの味噌汁、納豆オムレツにほうれん草のおひたし、焼き海苔───簡単ではありますが、どれもおいしそうなものばかりでした。
「いっぱい食べてね。足りなかったらおかわりしてもいいよ!」
「え……ええ……」
シンは布団のすぐ脇に座りこみ、にこにこと笑顔でフレイアに食事を勧めました。
相手は子供です。そしてただただ好意で勧められるそれを、フレイアは断る事ができませんでした。
仕方なくフレイアは、シンの手からお盆にのった食事を受け取るとそれを枕元に置きました。
そして箸とご飯茶わんを手にし、ゆっくりとですがご飯を一口だけ口にしました。
もぐもぐと咀嚼すると、口の中に白米の甘さが広がりました。
「おいしい……」
「よかった」
シンが見守る中、フレイアはゆっくりとですが食事を進めて行きました。
気持ちはまるで食欲がなかったのですが、いざ食べ物を口にすると身体はそれを欲していたようです。
味噌汁も納豆オムレツも、おひたしも、どれもおいしく感じられました。
ゆっくりと食事をするフレイアの様子をシンはしばらくじっとして見ていましたが、そのうち飽きたのか口を開きました。
「ねえおねえさん、聞いてもいい?」
「なあに?」
「おねえさんいくつ? 18歳?」
「…いやあねジョミー君。私もう20代よ」
フレイアは食事の手を少し止めて、シンに答えました。
ちょっと戸惑いましたが、実年齢よりも若く見られて、フレイアは悪い気はしませんでした。
「お腹の赤ちゃん、いつ生まれて来るの?」
「…予定日は3月25日よ」
「あと4ヶ月ちょっとぐらい?」
「そうね」
「赤ちゃんの名前、もう決まってるの?」
「いいえ、まだよ」
シンはいろいろな質問をし、フレイアは話せる範囲でそれに答えました。
それを、部屋の外で襖にへばりついて、聞き耳を立てている者がいました。
『いいわよジョミー! その調子でどんどん聞いてちょうだい!』
へばりついていたのはマリアでした。
別にシンにあれこれ探ってなどとは言っていませんが、シンは好奇心旺盛な子供です。
フレイアに色々質問するのではないかと、マリアは期待して部屋の外で中をうかがっていたのです。
そんな部屋の外のマリアの期待にも気づかず、シンとフレイアは会話を続けていました。
「ねえ、赤ちゃんは男の子? 女の子?」
「男の子よ」
「男なんだ!」
それを聞いた途端、シンは笑顔になりました。
そしていきなり立ち上がったかと思うと、小走りに部屋を出て行きました。
襖に貼りついていたマリアは慌てて離れました。さすがに隠れ損ねましたが、シンはマリアにはまったく気を留めずに部屋を出て行き、そのためにフレイアもマリアには気が付きませんでした。
しばらくしてシンはフレイアのいる部屋に戻ってきました。
シンはその手にサッカーボールを持っていました。
「じゃあ僕、赤ちゃんが生まれたらサッカー教えてあげるよ!」
嬉しそうにそう言うシンに、ついついフレイアは笑ってしまいました。
「ありがとう。でも赤ちゃんも生まれてすぐは、まだサッカーはできないなあ……。ジョミー君はサッカーが好きなの?」
「うん、サッカーおもしろいんだよ」
「そっかあ」
クスクスとフレイアは笑い続けました。久しぶりに笑いました。
すると突然それは起こりました。
「あら……?」
「どうしたの?」
「赤ちゃんがお腹を蹴ってるの」
それは胎動というものです。
ここしばらくは生活が激変し、フレイアもお腹の赤ちゃんも緊張していたのか、胎動を感じる事もありませんでした。
けれど久しぶりに、確かにフレイアのお腹の中で、赤ちゃんは動いていました。
「もしかしたらジョミー君に“うん”って返事をしているのかもね」
自らのお腹に手で触れながら、フレイアはそう言いました。
フレイアのお腹を、シンは不思議そうに見つめました。
「おねえさん、僕もちょっとだけさわっていい?」
「いいわよ」
フレイアからOKの返事をもらったので、シンはゆっくりと、すこし膨らんだフレイアのお腹に服の上から手を当ててみました。
すると不思議な、微かな動きがシンの掌に伝わってきました。
「赤ちゃん?」
確かめるように呼び掛けると、お腹の中でまた微かに動くものがありました。
「わあ、動いてる…!」
初めて感じる胎動に、シンはびっくりしました。けれど同時にとても嬉しくなりました。
だからフレイアのお腹に向かって呼び掛けました。
「赤ちゃん、はやく出ておいで。いっしょにあそぼう」
「ジョミー君、あと4ヶ月待ってね」
笑いながら、フレイアは自分の気持ちが少し明るくなって行くのを感じていました。
久しぶりに赤ちゃんが元気に動く様子を感じて、フレイアも元気を分けてもらったような気分でした。
『そうよね……。この子のためにも落ち込んでなんかいられないわよね』
弱気になんかなっている暇はないのです。
フレイアはお腹の事二人で強く生きていかなければいけないのです。
部屋の中ではフレイアとシンがそれぞれ、ほっこりとした気持ちになっていました。
そして部屋の外では、マリアが一人地団太を踏んでいました。
『ジョミーばっかりずるい! 私も触らせてもらいたいのに……!』
しかし結局部屋の中に入るきっかけを見つけられずに、その日はどうする事もできなかったマリアでした。
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