おにいちゃんといっしょ・12



   その日、ブルーの様子は少しおかしかった。
   マリアと一緒に夕食作りの手伝いをしているものの、どこか心ここに在らず……といった風だった。
  「ブルーちゃん、何か心配事でもあるの?」
  「え?」
  「なんだか考えこんでいるようだから」
   包丁で野菜を切る手を止めたマリアは、隣に立つブルーの瞳を覗き込んだ。
   ブルーは紅い瞳をぱちぱちと瞬かせ、そして野菜を洗っていた水道の水を止めた。
  「僕、明日どうしようかと思って……」
  「明日? 明日って……ああ、ホワイトデー?」
  「うん」
   明日は3月14日、いわゆるホワイトデーだ。
   バレンタインデーに貰ったチョコのお返しを贈る日だ。
   一ヶ月前のバレンタインデーのその日、ブルーはシンにチョコレート博覧会を開催しているテーマパークへ連れて行って
  もらった。
   チョコレートフォンデュを味わい、テーマパークで遊び、とても楽しい一日を過ごした。
   そして帰る時にシンは、おみやげにとたくさんのチョコレートケーキを買ってくれた。
   それを持って帰宅すると、ブルーが甘い物を食べ過ぎるのが心配なフレイアはちょっとだけ渋い顔をした。
   けれどシンが買ってきてくれた手前、食べてはダメとは言わなかった。
   おかげでブルーも、フレイアとマリアと一緒にケーキを食べる事が出来た。
   様々なチョコレートケーキが味わえて、とても嬉しかった。
   その一ヶ月後、ホワイトデーを前にして、しかしブルーは考え込んでしまった。
   シンへのお返しはどうすればいいのだろうか。
   ホワイトデーのお返しは一般的にはお菓子だ。
   けれどシンは甘い物が嫌いだった。
  「ジョミーは何を贈れば喜んでくれるかなあ」
   考え込むブルーに、マリアは微笑みながら言った。
  「ブルーちゃんがくれるなら、クッキーでもキャンディーでもジョミーは喜ぶと思うわよ」
  「でも、ジョミーの嫌いなものをわざわざ贈れないもの」
  「そうねえ……」
   幼いながら真剣に考え込むブルーに、マリアは口元を綻ばせた。
   本当に、ブルーは優しい子だと思った。
  「ブルーちゃん、後でおばさんと一緒にお菓子の本を調べてみようか?」
  「お菓子の本?」
  「そう、それでジョミーが喜んでくれそうなお菓子がないか、探してみない?」
  「うん!」
   マリアの提案に、ブルーは表情を輝かせた。
  「ありがとう、マリアおばさん!」
  「どういたしまして」
   抱きついてくる小さなブルーに、マリアは微笑んだ。
   もしもブルーが女の子だったら、将来きっとシンのいいお嫁さんになっただろうに───と思いながら。


   土曜日の午後、シンは少々苛立った気持ちで高校から帰宅した。
   本来なら休みであるが、サッカー部の練習試合の助っ人にと頼まれ、それに出かけていたためだった。
   練習試合には快勝した。
   しかしどこから知ったのか、たかが練習試合だというのにたくさんの女生徒がシンの応援にやってきて、グラウンドに大勢
  詰めかけていた。
   応援してくれるのは有り難いが、集まった女生徒たちが何かを期待するような眼差しでシンを見つめてくるのには、正直閉
  口してしまった。
   彼女たちが期待していたのは、ホワイトデーのお返しだろう。
   いちいち確認していないので名前さえも分からないが、バレンタインデーにもらったチョコレートの山の贈り主たち。
   土曜日にシンが学校へやってくる事を知り、もしかしてお返しがもらえるのではないかと応援がてらやって来たのだろう。
   しかしシンはお返しどころか、誰にも一言のお礼も言わなかった。
   頼みもしないのに嫌いなチョコを贈って来て、なぜお礼をしなければいけないのかというのが正直なシンの心情だった。
   好意と期待の入り混じった視線をすべて黙殺し、試合を終えるとシンはさっさと帰宅してしまった。
   しかし帰宅した自宅でも、一騒動が起こっていた。
  「ただいま」
   玄関を開けると、まず香ばしい匂いが漂ってきた。
   不思議に思ったシンがキッチンへ足を向けると、テーブルの上に美味しそうに焼き上がったクッキーがあった。
   紙ナプキンを敷いた小さな籐籠の中に20枚ほど、整然と並べられていた。
   しかし籠の中の隅の一角に、ちょっとしたスペースがあった。
   そしてキッチンには誰の姿もなかった。
  「……?」
   ふと人声を耳にして、シンは階段を上がった。
  「ごめんよ、ブルー。おじさんが悪かったよ」
  「ごめんね、ごめんねブルーちゃん」
  「ブルー、出てきなさい。ウィリアムさんも謝ってくれてるでしょう?」
   二階に上がるとシンの自室の前で、両親とフレイアが必死で何事かを呼びかけていた。
  「どうかしたの?」
  「ジョミー!」
  「ああ、ジョミー……!」
  「ジョミー君」
   シンの帰宅に気がついたウィリアムは慌て、マリアとフレイアは明らかに安堵の表情を見せた。
  「ブルーがどうかしたの?」
   息子に低い声で問われ、マリアとウィリアムとフレイアは顔を見合わせ───説明を始めた。
   事の顛末はこうだ。
   シンへのホワイトデーの贈り物は何にしたらいいか悩むブルーに、マリアも協力した。
   そして二人でお菓子の本を調べ、これならシンの口に合うだろうというお菓子を発見した。
   それが「チーズクッキー」だった。
   レシピにはお酒にもあうという説明があったので、ブルーはマリアとそしてフレイアは一緒にそれを作ることにした。
   ちょうどシンは土曜日の日中は出かけるという事だったので、その間に作って焼きあげて、帰って来たシンに食べてもら
  おうとしたのだ。
   チェダーチーズを削り、バターや卵黄、薄力粉を加えて混ぜ、冷蔵庫で冷やしてから薄く伸ばす。
   型を抜いてつや出し用の溶き卵を塗り、オーブンで焼く。
   チーズクッキーなるものを作るのは初めてだったが、3人はレシピと首っ引きになり、どうにかこうにか焼き上げた。
   完成したクッキーは、チーズの焼けた香ばしい匂いからしてとても美味しそうだった。
   味見をしたがるフレイアとマリアに、ブルーはダメと言った。
   最初はシンに食べてもらいたいのだと言い張った。
   ブルーの意見を尊重し、3人とも食べるのを控えて、冷ましたクッキーを籐籠に並べてシンの帰りを待っていた。
   ブルーはシンの帰りを待ちわびて、何度も何度も玄関とキッチンを往復した。
   そこに帰って来たのは半日の休日出勤を終えて帰宅したウィリアムだった。
   チーズクッキーを目にしたウィリアムは、「美味そうだな」とそれを一枚つまみ取り、止める間もなくパクリと口にしてしまっ
  たのだ。
   驚いたのは3人だった。
   特にブルーは涙目になり、すっかり臍を曲げると、シンの部屋に閉じこもってしまった。
   一通り説明を聞き終えたシンは、冷たい眼差しで父親を見た。
  「父さん……」
  「す、すまない。美味しそうだったからつい……」
   悪気はなかったのだと、ウィリアムは釈明した。
   フレイアもすまなそうに謝った。
  「ごめんなさい、すっかりブルーがお騒がせしちゃって」
  「そんな事ないわ、フレイア」
   なす術なく立ち竦む大人たちの前で、シンの部屋のドアは閉じられたままだった。
   さてどうしようか、とシンは考え込んだ。


   ブルーはシンの部屋に閉じこもり、ベッドに突っ伏していた。
   部屋のドアの鍵はかけたままだ。
   先ほどまでフレイアたちが口々に呼びかけて来ていたが、今はもう静かだった。
   すると不意に耳元で声がした。
  「……ブルー」
  「!?」
   それはシンの声だった。
   驚いたブルーが飛び起きると、ベッドの傍らにシンが立っていた。
  「ジョミー!」
   驚くブルーに構わず、シンはゆったりとベッドに腰を下ろした。
  「どうして? どうやって入って来れたの?」
  「あそこから」
   笑いながらシンが指さしたのは、ベランダに面したガラス戸だった。
   ガラス戸の鍵を閉めていなかったのを思い出したシンは、ブルーに気づかれないようこっそり部屋に入って来たのだ。
  「それにここは僕の部屋だよ」
  「ごめんなさい……」
   結果的にシンまで締め出してしまっていたブルーは、しゅんとして謝った。
  「いいよ、怒ってないよ」
   シンは微笑みながら、ブルーの髪を撫でた。
   そして、後ろ手に持っていたあるものを差し出した。
  「ブルー、これ、僕のために焼いてくれたんだね」
  「あ、それ……!」
   シンがブルーの目の前に差し出したのは、籐籠に入ったチーズクッキーだった。
  「ありがとう、食べてもいい?」
  「いいけど……」
   シンに答えるブルーの声は歯切れ悪く、元気がなかった。
  「どうしたの?」
  「……ウィリアムおじさんが先に食べちゃったから」
   もちろんブルーだってシン一人にだけあげようと思っていた訳ではなかった。
   フレイアやマリア、そしてウィリアムにだってちゃんとおすそ分けしようと思っていた。
   けれどやはりシンのために焼いたクッキーだったから───。
  「ジョミーに最初に食べてほしかったのに……」
  「ブルー……」
   ブルーはベッドの上に座り込み、瞳を潤ませた。
   泣きこそはしていなかったが、今にも泣き出しそうだった。
   シンはブルーの隣でクッキーをつまむと、それを口にした。
   ブルーはその様子をじっと見つめた。
  「うん……香ばしくてすごく美味しいよ」
  「ホント?」
   シンの言葉にブルーは笑顔を見せた。
  「ああ。甘くなくてとっても美味しい。全部食べたいくらいだよ」
  「あ、でも……ママとフレイアおばさんと……ウィリアムおじさんにもちょっとだけあげてもいい?」
  「ブルーは優しいね」
   シンはブルーに微笑んだ。
   あんなに怒っていたのに、それでもやっぱり皆の事をブルーは考えるのだ。
   シンは自らの額をブルーの額にコツンと合わせた。
  「僕も怒っていないから、ブルーももう怒らないで」
  「うん……」
   ブルーは目の前のシンの顔になぜかドキドキしながら、頷いた。
   不思議な事に、悲しかった気持ちも怒っていた気持ちも、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。


   すっかり機嫌を直したブルーを連れて、シンは部屋のドアを開けた。
   けれど不意にシンは振り返った。
  「ブルー」
  「なあに?」
   マリアたちが待つ階下に降りる前に、シンはブルーに約束した。
  「来年はもっとたくさんのチョコレートをブルーに贈るよ」
  「わあ……!」
   ブルーは途端に満面の笑顔を見せた。
  「じゃあ僕も、来年はもっとたくさんのクッキーを焼くね」
  「楽しみにしてるよ」
   笑顔で約束するブルーに、シンも笑顔を返した。




ちょうど一ヶ月ぶりに書いた、ラブラブなシン子ブルです。
こちらの二人は書いてて恥ずかしくもありますが、同時に楽しくもあります。
「exceeding thousand nights」の二人がすったもんだしている今なんか尚更です(^^;)
甘々な妄想で脳内リフレ〜ッシュ!!


2009.3.14



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