おにいちゃんといっしょ・14
例年より早く開花した桜が、ようやく咲き誇り見ごろを迎えた。
シン家とフレイア家の二家族もお花見に出かけようという話になった。
その話が出た週の土曜日の午前中、シン家のキッチンは賑やかだった。
マリアとフレイアがそろって花見のためのお弁当作りに勤しむ横で、ブルーも頑張っていた。
すっかり得意になっただし卵焼きを焼きあげ、美味しそうなそれを冷ましてから切り、重箱に詰めた。
「まあブルーちゃん、美味しそうに焼けたわねえ」
ブルーにだし巻き卵の作り方を教えたマリアが、それを見て褒めてくれた。
「私よりも上手になっちゃったかもしれないわね」
「マリあおばさん、後で食べてね」
褒められて満足そうなブルーに、フレイアも声をかけた。
「ブルー、ママは食べちゃダメなの?」
「もちろんママも!」
ブルーは慌てて言い足した。
その素直な様子に、母親たちはクスクスと笑った。
賑やかなキッチンを横眼で眺めながら、シンもリビングでお花見に必要なあれこれを用意していた。
だし巻き卵争奪戦には遅れをとるまいと内心決意しながら。
10時半を過ぎてお弁当が完成し、出かける段になってフレイアがブルーを呼びとめた。
「待ってブルー、これを着て」
「?」
「天気はいいけど、まだ風が少し冷たいから」
フレイアがブルーに手渡したのは、桜色のジャケットだった。
真新しいそれは今まで一度も着た事のないものだった。
しかしブルーはすぐには着ようとはしなかった。
「……ピンク……」
ジャケットを手にしたまま、ブルーの顔には不満の色が滲んでいた。
幼い頃から散々女の子に間違われた事のあるブルーは、ピンクや赤の服をあまり着たがらなかった。
そんな色の服を着たら、まず間違いなく女の子と間違われるからだ。
ジャケットを手に立ち竦むブルーに、マリアが声をかけた。
「あら、ブルーちゃん、素敵なジャケットね。ジョミーとお揃いよ」
「ジョミーと?」
驚いたブルーが振り返ると、そこには桜色のジャケットを着込んだシンが立っていた。
「ジョミー!」
「ブルーの服、僕のと同じだね」
背の高いシンは桜色のジャケットを着ても全然女の子らしくはなく、それどころかその色も似あい格好よかった。
シンと一緒ならと、ブルーは自分もジャケットを着込んだ。
「わあブルー、素敵よ」
「ホント。ブルーちゃん、カッコいいわ」
「……そう?」
マリアとフレイアの作戦は見事成功した。
通販の雑誌でブルーに似合いそうな桜色のジャケットを見つけた時、きっとブルーが着たがらない事も二人には簡単に
予想がついた。
そこで思いついたのが、シンの分も頼む事だった。
シンとのお揃いだよとブルーに言えば、きっとブルーも着るだろうとふんでの事だった。
桜色のジャケットを手渡されたシンも当初は難色を示したが、自分が着ればブルーも着るだろうというマリアたちからの提
案にあっさりと頷いた。
マリアやフレイアと同じように、シンもブルーの可愛らしい姿が見たいのだ。
シンは自分の着ている服の事は意識の外において、ブルーの姿に目を細めた。
「よく似合ってるよ、ブルー」
「僕とジョミー、一緒だね」
当初の不機嫌さはどこへやら、嬉しそうにブルーはにこりと笑った。
本当は三人ともブルーを“可愛い”と褒めたかったが、そう言うとブルーが服を脱いでしまうかもしれないので、その言葉だ
けは胸の内に留めていた。
四人はお弁当を持って、家から歩いて10分ほど離れた場所にある川べりの土手に出かけた。
そこには100本以上も植えられた長い桜並木が続いており、例年たくさんの人が花見に出かける場所だった。
天気は快晴。そして桜は華やかに、鮮やかに───今を盛りと咲き誇っていた。
「わあ……!」
ブルーは一本の桜の木の下で足を止めた。
見上げればそこにも美しく咲き誇る桜の姿があった。
こんなに綺麗なものがあるのかと、まるで夢のようだった。
「きれいだね!」
「そうだね」
飽きずに見とれるブルーの隣で、やはり足を止めたシンもつぶやいた。
もっともシンの視線は桜よりもブルーの方に注がれるていた。
桜色の服を着てそうして桜の木の下に立つブルーは、まるで桜の精のようだった。
そんな事を考えるシンも、道行く人の人目を集め、まるで桜の化身のようだ。
立ち止まる二人に気づいたマリアとフレイアが、しばらく先で足を止めて振り返った。
「ジョミー、ブルーちゃんもどうしたの?」
「ウィリアムさんが待ちくたびれているわよ。ブルー、お弁当を食べるんでしょう?」
「うん。でも、もうちょっと……」
呼ばれてもブルーの足は動かなかった。
「じゃあ私たちだけで食べちゃおうかな。ね、マリア」
「あ〜っ、ダメ!」
フレイアの一言に、慌ててブルーは視線を桜から引き戻した。
ブルーの気が済むのを待っていたシンは、ようやくブルーを促した。
「さあ、行こう」
「うん」
二人は連れ立って再び歩き始めた。
土手の斜面のあちこちには、既に花見の場所取りのシートが広げられていた。
その上に座っているのは、男性ばかり。
各家庭の主たちが、朝から花見の場所取りにやって来ていた。
それはシン家も同じで、シンやブルーたち四人が桜並木の中を歩いて行くと突然声がかかった。
「おーいみんな、こっちこっち!」
見ればシートの上に立ちあがったウィリアムが手を振っていた。
土手の中央近く、見晴らしのいい絶好の場所にシートを広げていた。
四人は早速ウィリアムの元へ向かった。
「ありがとうございます、ウィリアムさん。いい場所ですね」
「待ってましたよ」
朝の6時から今まで、長い時間一人で過ごしていた筈のウィリアムの顔はほんのり赤らんでいた。
見ればシートの上には缶ビールと、おつまみのパックが残っていた。
「あらあなた、もう飲んでるの?」
「いやあ、暇なものでつい……お隣の方と意気投合してね」
見れば隣のシートの一人の男性が、ぺこりと会釈をしてきた。
ウィリアムと同じように場所取りにやって来ていたのだろう。
そちらの方が一足早く家族が来て、お花見が始まっていた。
「待ちくたびれてしまったよ。さあ、早く始めよう」
「はいはい」
ウィリアムに催促されて、すぐにシートの上にお弁当が広げられた。
お花見の始まりだ。
ウィリアムはビールを飲みながら、シンやマリアたちはウーロン茶を飲みながら、お弁当を食べ始めた。
一番人気のおかずはブルーが焼いただし巻き卵で、あっという間になくなってしまった。
「ブルー、前から美味しかったけど、また上手になったね」
「ホント?」
「美味しいわよ、ブルー」
シンやフレイアに口々に褒められて、ブルーは上機嫌だ。
ブルー自身はフレイアが握ったおにぎりを嬉しそうに口にした。
「あの、よかったらこちらもどうぞ」
「おや、よろしいんですか」
ウィリアムに声をかけてきたのは、朝から一緒に過ごした隣のシートの主人だった。
そのうち隣の家族とも話しが始まり、賑やかな時間はしばらく続いた。
シンの横にちょこんと座り、楽しそうに過ごしていたブルーにも声をかけてくる者があった。
「ねえ、よかったら食べない?」
隣のシートの主人の妻らしき女性が、タッパーに入れた切り分けたリンゴを差し出した。
「わあ、ありがとう!」
ブルーは喜々としてリンゴをいただいた。
うさぎを模したうさぎリンゴをかじるブルーはことのほか可愛らしかった。
「お嬢ちゃんはいくつ───」
女性がそう問いかけようとした時、突然シンがブルーを抱き締めた。
「わあっ!?」
驚いたブルーはもがいたが、シンは離してくれなかった。
正確にはシンは、腕でブルーの耳を塞いでいた。
そしてその間に、シンは女性に笑顔で訂正した。
「この子は男の子です」
「ああ、そうだったの。可愛いからてっきり……」
ごめんなさいと女性は苦笑した。
シンの腕の中でもがいていたブルーは、シンが緩めてくれた腕の中からようやく顔を上げた。
「ジョミー、どうしたの?」
「何でもないよ、ブルー」
「変なの」
ブルーは首を傾げたが、幸い今の会話は聞こえなかったようだった。
女の子に間違われでもしたら、ブルーはきっとジャケットを脱いでしまうだろう。
ブルーに桜色のジャケットを着せておきたい、シンの望みはとりあえずは保たれた。
宴もたけなわだったが、そろそろ持ってきた食べ物が心許なくなってきた。
「ちょっと足りなかったかしらね」
「桜並木の端に屋台が出ていたわよ。焼きそばとか売っているんじゃないかしら」
フレイアとあれこれ話していたマリアは、息子に声をかけた。
「ねえジョミー、何か買ってきてくれない?」
「はいはい」
マリアの遠慮のない要求に、シンはすぐに腰を上げた。
シンに続いてブルーも立ち上がろうとした。
「僕も行く」
「いいよ、ブルーはここで待ってて」
「どうして?」
「迷子になるといけないから」
「僕、もう小学4年生だよ。迷子になんかならないよ!」
頬を膨らますブルーにシンは笑った。
4月1日生まれのブルーはつい数日前に誕生日を迎えた。
誕生日パーティーでシンたちに祝われ、とても嬉しそうにしていた。
嬉しそうにケーキを頬張る様子は、まだまだ子供っぽかった。
「すぐに戻ってくるから、ここにいて」
シンはそう言うと、結局ブルーをおいて一人で行ってしまった。
ブルーはつまらなそうにそれを見送った。
しばらくしてウィリアムも腰を上げた。
「ちょっとビールを買ってくるよ」
「あらあなた、まだ飲むの?」
マリアが驚いた顔をしたが、ウィリアムは悪びれずに笑った。
「いいじゃないか、せっかくの花見だし。ブルー、一緒に行くかい? 何か欲しい物があったら買ってあげるよ」
「連れてってくれるの?」
ウィリアムに呼ばれて、ブルーは喜んで立ち上がった。
「ダメよ、ブルー」
「いいんですよ、フレイアさん。ほらブルー、行こう」
「うん!」
フレイアは遠慮したがウィリアムはそれを笑顔で押し留めた。
ブルーはウィリアムと一緒に、土手を登り道に出た。
土手もそうだが桜並木の間の道も、たくさんの人出があった。
「ブルー、はぐれないでくれよ」
「うん、おじさん」
ブルーはウィリアムの後ろをついて行った。
けれどウィリアムは酔っているとはいえ足が速く、ブルーはついて行くのに大変だった。
その時、桜の花びらが一枚、ブルーの目の前でひらりと風に舞った。
「あ……!」
一瞬ブルーはそれに視線を奪われ、足を止めてしまった。
すぐに視線を戻したが、ウィリアムの姿は人混みに紛れてしまっていた。
「おじさん?」
ブルーは慌てて追いかけたが、ウィリアムの姿は見つけられなかった。
仕方なくブルーはウィリアムを探すのを諦めて、フレイア達のところへ戻ろうとした。
しかししばらく歩いても、土手には数多くのシートが広げられており、フレイア達がいるシートがどこにあるのか分からなかっ
た。
困ったブルーは行き交う人たちの中で立ち竦んでしまった。
『どうしよう……』
なす術なく立ち竦むブルーは段々と心細くなってしまった。
このまま帰れなかったらどうしようという不安に押しつぶされそうになった時、人混みの中から突然声がかけられた。
「ブルー?」
それはブルーがよく知る声だった。
声のした方を見上げると、そこにはシンがいた。
買い出しを終えたのだろう、手には幾つかのパックが入ったビニール袋を提げていた。
ブルーは急いでシンの元へ駆け寄った。
「ジョミー!」
「こんなところでどうしたの?」
「……おじさんと、はぐれたの……」
迷子になったなんて言うのは恥ずかしかったけれど、ブルーは正直に言った。
けれどシンはブルーをからかいもせず、笑顔を見せてくれた。
「ブルーを放って父さんも仕方ないなあ。じゃあ僕と一緒に戻ろう」
「うん」
ブルーは安心して、シンの横を歩き出した。
「ジョミー、何を買ったの?」
「焼きそばとタコ焼きだよ。それと……」
ジャケットのポケットに片手を入れたシンは、何かを取り出した。
「ほら、ブルー」
「わあ……!」
シンがブルーに差し出したのは、一本のリンゴ飴だった。
「ちょうど屋台が出ていたから、ブルーに買ってきたんだ」
「ありがとう、ジョミー」
ブルーはそれをシンの手から受け取った。
生のリンゴも好きだが、リンゴ飴も大好きだった。
手の中のリンゴ飴がとても嬉しくて、気を取られたブルーはまた歩くのが遅くなってしまった。
『あ』
先ほどウィリアムとはぐれたブルーは、慌てて隣を見た。
けれどシンはちゃんとブルーの横にいた。
先に行ったりせず、ブルーに歩調を合わせてくれていた。
ブルーは安心するとともに、初めてその事実に気がついた。
今までシンと一緒に歩いていて、追いつくのが大変だった事など一度もなかった事に。
『ジョミーはいつも、僕にあわせて歩いてくれてたんだ……』
ずっと一緒に過ごしていたのに、シンのそんな思いやりにブルーは今日初めて気がついた。
『ジョミー、大好き』
言葉でそう伝える代わりに、ブルーはシンの開いている方の片手をそっと握った。
「どうかした、ブルー?」
「ううん、何でもない」
突然ブルーが手を握ってきたのでシンは驚いたが、決して振りほどきはしない。
それどころか嬉しくて、シンもブルーの手を握り返した。
二人は桜並木の下、仲良く歩いて行った───。
すずかさんとお花見をネタに妄想をやりとりしていたら、すっかり書きたくなってしまいました。
ウィリアムはブルーを捜しながらそれでもビールを買って戻り、シンにたくさん怒られた事でしょう。
そしてそろそろ二人を進級させなくては。
早く子ブルを成長させないと、シンが待ちくたびれてしまいますからね。
2009.4.4
小説のページに戻る 次に進む