おにいちゃんといっしょ・16
六月の第三日曜日は父の日だ。
母の日に比べて多少マイナーな感はあるが、シン家では毎年毎年、家長のウィリアム・シンのために手巻き寿司パーティ
ーが開かれていた。
理由は簡単、ウィリアムが寿司が大好物だったからだ。
だったら寿司店へ行けばいいのに……と思われがちだが、シン家ではそうではないのだ。
理由はどんな名店にも引けを取らない、名寿司職人がいたからだった。
今年の父の日の昼食も、シン家では手巻き寿司パーティーが開かれていた。
テーブルの上には海苔や酢飯、そしてマグロ、イカ、サーモン、甘エビ、イクラ、ウニ、きゅうり、納豆、玉子焼き……といった
様々なネタが、いっぱいに用意されていた。
そのテーブルには主役のウィリアム、妻のマリアと息子のシン、そして隣家のフレイアとブルーも一緒に同席していた。
フレイアとブルーも一緒に過ごすのは、ブルーがまだ幼い頃からの恒例となっていた。
そして去年からマリアに料理を教わり始めたブルーは、今年は手巻き寿司のネタの仕込みも手伝った。
マリアと一緒に酢飯を作り、得意な玉子焼きを作り───ブルーはとても嬉しそうに頑張った。
いざ支度ができて昼になりパーティーが始まると、ブルーは甲斐甲斐しくウィリアムのために手巻き寿司を巻いた。
マリアとフレイアはそれを見守りながら、それぞれ自分の好物の手巻き寿司を作って食べた。
「はい、ウィリアムおじさん」
「ありがとう、ブルー」
ブルーから好物のきゅうりの手巻き寿司を受け取ったウィリアムは、嬉しそうにそれにかぶりついた。
パリパリと小気味よい音を立てて寿司を食べたウィリアムはブルーに言った。
「美味しいよ、ブルー」
「ホント? よかったあ」
笑顔で言うウィリアムに、ブルーもにっこりと笑顔を返した。
父の日のお祝いがお店で行われないのはこのためだ。
どんな腕のいい寿司職人のふるまいよりも、ブルーの無邪気な笑顔が嬉しいからだった。
「おじさん、今度は何がいい? マグロ? イクラ?」
「イクラがいいなあ」
「はーい!」
ブルーはさっそく海苔を一枚手に取ると、酢飯とイクラとわさびを乗せて、くるくると巻いた。
ブルーが幼い頃に巻いてくれた寿司は少々形もいびつだったが、段々と上達し、今では整った形の寿司を作っれるようになっ
ていた。
「はい、おじさん」
「ありがとう」
もっとも形に少々難があったとしても、そこに込められた感謝の気持ちは変わらない。
ブルーの作った手巻き寿司を肴に、今年もウィリアムはビールをいただき上機嫌だった。
母の日のような花束のプレゼントはなかったが、食べ物だけでウィリアムは満足なようだった。
ウィリアムの実の息子のシンはというと、ウィリアムの向かいの席でその様子を複雑な眼差しで見つめていた。
さすがに父親をとられたと思う年齢でもない。
それどころか、どちらかといえばブルーをとられてしまった……という心境だった。
けれど今日は父の日であるし、何よりブルーが嬉しそうなので、黙って自分で作った玉子焼きの寿司を食べていた。
ふと気づけば、ウィリアムの手元の醤油皿の中身が減っていた。
「はい父さん、醤油」
「おお、ありがとうジョミー」
小皿に醤油を注いでくれた息子に、ウィリアムは嬉しそうに礼を言った。
「ブルーも早く食べよう。なくなっちゃうよ」
「うん」
放っておくといつまでもウィリアムにかかりきりになっていそうなブルーに、シンは寿司を食べるように勧めた。
「ブルー、どれをいただきましょうか?」
「玉子焼き!」
フレイアが聞くと、ブルーは真っ先に好きな寿司ネタを口にした。
幼い頃からブルーが一番大好きな寿司は玉子だった。
今年の玉子焼きは、これまたブルーが焼いたものだった。
あらかじめ細長く切り分けておいた玉子で、ブルーは手巻き寿司を作って食べた。
「美味しいね、ブルー」
「うん、おいしい」
先にしっかり玉子焼きの手巻き寿司を食べていたシンに、ブルーも頷いた。
寿司屋の玉子焼きとは違うけれど、我ながら美味しくブルーも満足だった。
シンとブルーのやり取りを聞いていた大人たちも、こぞって反応した。
「あら。じゃあ私もいただこうかしら」
「私も」
「ブルー、おじさんにも作ってくれないかい?」
「うん、いいよ」
あっという間になくなりそうな勢いの玉子焼きだった。
最初に自分の手元に玉子焼きを3本確保しておいたシンは、それを眺めつつゆっくりとブルーの玉子焼きの寿司を味わっ
た。
食事も中盤に差しかかった頃、ふとブルーの視線は斜め向かいのシンの手元にくぎ付けになった。
シンは本来の一番の好物であるマグロをネタに、手巻き寿司を作っていた。
海苔の上には酢飯と紫蘇と新鮮そうなマグロの切り身、そしてわさびが乗せられ、くるりと手際よく巻かれた、
それを見つめていたブルーは、あるものに興味を持った。
「……僕も、わさび入れて食べてみようかなあ」
ブルーが食べる寿司はいつもさび抜きだった。
幼い頃から疑問にも思わず、ずっとそうして食べてきた。
でもシンもウィリアムもマリアも、母親のフレイアだってさび抜きではなかった。
寿司を食べようとしていたシンは、手を止めてブルーに言った。
「やめておいた方がいいと思うよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
そんなのは問われるまでもない。
辛口のカレーもいまだに苦手なブルーに、わさびが大丈夫だとはとても思えなかった。
しかしブルーは俄然わさびに興味を持ったようだった。
「わさびを入れた方がおいしいんでしょう?」
「そりゃあ、僕たちは大人だから……」
「僕だってもう子供じゃないもん」
ブルーは頬を膨らませた。
そんなところも年齢も、充分に子供だと思うのだが。
二人の会話を耳にして、ウィリアムが口を挟んできた。
「ジョミー、ブルーをいじめたらダメじゃないか」
「いじめてなんかないよ」
すっかり出来上がったウィリアムは、赤い顔をしてシンを叱った。
酔っ払いに絡まれてはたまらないと、シンはウィリアムに視線をやった。
その、シンが手元から目を離した隙に、ブルーはシンの寿司を奪うとそれにぱくりとかぶりついた。
「やったあ!」
「あ!」
わさび入りの寿司を食べられたブルーは満足そうで、驚くシンの目の前で、笑顔のままもぐもぐと咀嚼した。
「ブルー……?」
「えへへ………っ!?」
大丈夫なのかとシンが思いかけた次の瞬間、ブルーはいきなりポロポロと涙をこぼした。
「ブルー!」
「ブルーちゃん!」
言葉もなく、大粒の涙を流すブルーに、シンもマリアも皆が慌てた。
咄嗟に隣の席のフレイアが水を差し出した。
「ブルー、はいお水よ」
「……!」
ブルーは差し出されたコップを両手で受け取ると、こくこくと水を飲み干した。
「はあ……」
水を飲み干したブルーはようやく一息つけたのか、大きなため息をついた。
「大丈夫? ブルー」
「つーんとした……」
シンが問うと、ブルーはまだ瞳に涙を滲ませたまま、呆然とつぶやいた。
わさびのショックがまだ残っているようだった。
「……ジョミー、ホントにそんなのおいしいの?」
「美味しいよ。やっぱりお寿司にはわさびがなくっちゃ」
「おじさんも?」
「ああ、おじさんも大好きだよ」
笑顔で答えるシンとウィリアムに、ブルーは口をつぐんだ。
ブルーが一口だけ食べた寿司をシンは取り戻し、今度こそ食べようとして、不意に思いついた。
「ブルー、もう一口食べるかい?」
「……いらない!」
大慌てでふるふると首を横に振るブルーに、皆が大笑いした。
ブルーがわさび入りの寿司を食べられるようになるのは、まだ当分先のようだった。
こうして今年の父の日も、シンとブルーは皆と一緒に楽しく過ごした。
遠くの街で、涙にくれながら1人手巻き寿司を頬張る者の存在も知らずに───。
父の日の更新を目指してましたが、一日遅れてしまいました。
でも幸せな子ブルを描けるのは本当に楽しいですv
最後の一文については、オフ本を読んでいただいた方にしか分からないかなとは思うのですが、どうしても入れたくて…。
いるんですよ、子ブルとフレイアと一緒に過ごすこともできず、秘書に手を焼かせている人が……(^^;)
2009.6.22
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