おにいちゃんといっしょ・3



   ある日突然、学校から帰って来たブルーがマリアに頼み込んできた。
  「マリアおばさん、僕に料理教えて」
  「え? そりゃあもちろんいいけど……突然どうしたの?」
   おやつも食べないうちにそう言いだしたブルーに、マリアは驚いた。
   ブルーはマリアからお皿に切り分けたおやつの林檎を受け取りながら言った。
  「この間、ママが言ってたでしょ。帰って来てごはんがあると嬉しいって」
   言っていた。残業で遅くなったブルーの母フレイアは、シン家で夕食をご馳走になった時、確かにそう言っていた。
   小さなブルーはそれをしっかりと覚えていたのだ。
  「だから僕、料理ができるようになりたい」
  「ブルーちゃんは優しい子ねえ……」
  「わあ!」
    感激したマリアは、ブルーをぎゅうっと抱き締めた。
   おかげでブルーは林檎ののったお皿を落としそうになってしまった。


   そして日曜日の午前、シン家のキッチンにはブルーとマリアの姿があった。
   もちろん料理を教わるためだ。
   そんな二人の姿を、テーブルの自分の席に座り、シンが見つめていた。
  『大丈夫かな』
   ブルーが包丁で指を切りやしないか、コンロで火傷をしないか、シンは内心ひどく心配していた。
   しかしブルーはシンのそんな心配をよそに、マリアから料理を教わっていた。
   今日の昼食のメニューは料理の基本の卵料理、だし巻き卵を作る事になった。
   はちまきならぬ持参のエプロンを身に付けて、ブルーは一生懸命だった。
   マリアに教わりながら、ボウルに卵を割り入れてかき混ぜていた。
  「こんな感じ?」
  「そうそう。“こ”の字を書くように、あんまりかき混ぜすぎないでね」
   そして卵液と冷ました出汁をあわせて、またかき混ぜた。
   小学生ながらブルーの様子は真剣そのものだった。
   シンがじっと見つめていても、まったく気がつかないほどだ。
  『……いつか僕だけために料理を作ってくれないかな』
   マリアとともに料理にいそしむブルーを見ながら、シンは不埒にもそんな事を考えていた。
   そこへ、自分の家の洗濯と掃除を終えたフレイアがやってきた。
  「こんにちは。ブルー、どう?」
  「あ、ママ」
   フレイアにブルーが嬉しそうに振り返った。
   仕事をしているフレイアにとって、日曜はたまった家事を片付ける大事な日だった。
   本当は我が子に料理を教えるのは自分でありたいが、どうにも時間がとれそうもないため、泣く泣く諦めたのだった。
  「マリア、日曜日までごめんなさい」
  「謝る事なんかないわよ。とっても楽しいわ」
   フレイアはマリアに謝ったが、マリアはひどく嬉しそうだった。
  「それにブルーちゃんとこうしていると、なんだか自分の娘と二人で料理しているような気分になって、嬉しいわ」
  「僕、女の子じゃないよ」
  「あらあら、ごめんなさい。そう思っちゃうくらい楽しいってことよ」
   頬を膨らませるブルーに、マリアが笑いながら釈明した。
   それから、マリアがまず最初に見本にと、卵焼き器でだし巻き卵を一本焼きあげた。
   マリアの手つきは鮮やかで手早かった。
   そして焼き上がっただし巻き卵は少しも形が崩れておらず、きれいな焼き色のついた美味しそうなものだった。
  「じゃあ次はブルーちゃんね」
  「うん!」
   マリアにコンロ前を譲らてれ、いざブルーはだし巻き卵を焼き始めた。
   卵焼き機に油をひいて、少しずつ卵を流し込む。
   半熟状態になったら卵をくるくると巻いて端に寄せて、再び油をひいて卵を流し込む。その繰り返しだ。
  「えっと……ここで、まいて……あーっ!」
   キッチンに卵と悪戦苦闘するブルーの声が響いた。
  「あ〜あ……」
   そしてなんとかだし巻き卵が焼き上がった。
   ブルーが生まれて初めて焼き上げたそれは、所々が焦げ付き、見るも無残に崩れた代物だった。
  「むずかしいなあ……」
   今までただ美味しく、当たり前に食べていただし巻き卵だったけれど、いざ作ってみるととても大変だった。
   しょげるブルーに、マリアは優しく言った。 
  「誰でも最初はそうよ。そのうちすっごく上手になるから」
  「ホントに?」
  「ええ。そのためにはとにかく何度も繰り返すことね。さあ、もう一回焼いてみましょう」
   マリアがブルーを促した。
  「頑張って、ブルー」
  「ぜったい上手く出来るわよ、ブルー」
  「うん!」
   シンとフレイアからも励まされ、ブルーは奮い立った。
   そしてブルーはそれから、だし巻き卵を二本焼きあげた。
   マリアの言うとおり段々コツがつかめてきたのか、多少焦げ目がついたが二本目は一本目よりはるかに手早く、そして三
  本目はとてもきれいに焼き上がった。
   先生役のマリアも、ブルーの呑み込みの早さに驚いた。
  「すごいじゃない、ブルーちゃん」
  「ありがとう、おばさん」
  「将来はきっと料理上手になれるわよ。ブルーちゃんが女の子だったら、ジョミーのお嫁さんにしたいわ」
  「えっ」
   驚いたブルーは言葉を詰まらせた。
   まだ小学生のブルーは、大人のたわいない軽口にも咄嗟に何も返せないのだ。
  「あら、ジョミー君になら喜んで」
   母親のフレイアが面白がってそれに答えた。
   困ってしまったブルーは助けを求めるようにシンを見たが、シンに微笑まれて頬を真っ赤に染めた。
  「この子ったら真っ赤になっちゃって〜」
  「だって……」
   フレイアに指摘されて、ブルーはますます顔が熱くなっていくのを感じていた。
  「どうする、ブルー? ジョミー君のお嫁さんになる?」
  「───」
   たたみかけるようにフレイアに言われて、ブルーはもう居たたまれなかった。
   無言でエプロンを外すと、ブルーはキッチンから出て行ってしまった。
  「あら、あの子ったら」
  「おばさんも母さんも、ブルーをからかわないで」
  「ごめんなさいね。だってブルーちゃんがあんまり可愛いから……」
  「ついからかいたくなっちゃうのよね」
   シンがたしなめると、マリアもフレイアも悪びれず答えた。
   キッチンから飛び出したブルーの足音は、シン家の二階へと消えた。
  「僕が呼んでくるよ」
   シンは席を立つと、そのままブルーの後を追った。


   シンが自室のドアを開けると案の定、そこにブルーはいた。
   シンのベッドの布団の上掛けがこんもりと丸まっていた。
  「ブルー?」
   呼びかけてもブルーからの返事はない。
  「早く食べないと、せっかく作ってくれただし巻き卵が冷めちゃうよ」
  「…………」
  「怒ってるの?」
  「…………」
   やはりブルーからの返事はない。
   シンはベッドに腰かけると、ブルーを布団ごと抱き締めた。
   そして布団の上から、そっと囁いた。
  「ブルーは僕のお嫁さんになるのそんなに嫌? 僕が嫌い?」
  「ええっ!」 
   シンの言葉に、布団の中から驚いた声がした。
   そしてがばっと跳ね起きたブルーが、ようやく布団から顔を出した。
  「やっと出てきてくれた」
  「ジョミー……」
   まだ頬の赤いブルーに、シンは微笑みかけた。
   ブルーの乱れた髪を優しく梳いた。
   シンにそんな風にされるととても気持ちがよくて、ブルーは熱くなった頬が落ち着いていくのを感じた。
   二人してベッドに座っていると、シンがブルーに問いかけてきた。
  「ブルー」
  「なに?」
  「大きくなったら僕のお嫁さんになってくれる?」
   シンはあくまで軽い口調で、でも内心本気で言っていた。ブルーがうんと言ってくれる事を確信して。
   しかしブルーの返事は、シンが思ってもいなかったものだった。
  「……やだ」
  「───!!」
   ぽつりとつぶやかれた、けれど確かな否定の言葉に、シンは表面上こそ平静だったが、深いショックを味わっていた。
   いちいち数えてはいないが、今まで十数人の彼女と付き合い、すべて別れていたシンだった。
   その時々の彼女と別れた時でも、まったくショックなど受けた事などなかったのだが、ブルーのこの一言には本気で衝撃
  を受けていた。
  「ブルーは僕が嫌いだったんだ……」
   僕のどこがいけなかったんだろうか。ブルーが眠っているのをいいことに、頬にキスしまくっていたのがばれていたのか。
   もしくは抱きついてくるブルーに、時々煩悩を煽られていたのがまずかったのか。
   頭の中であれこれ反問するシンに、ブルーは慌てて言った。
  「違うよ! ジョミーは好きだけど……」
  「本当に?」
  「うん」
  「よかった……」
   嫌いじゃない、好きだと言われてシンは安堵した。
  「じゃあ、なんで嫌なの?」
   シンが改めて問うと、ブルーは気まずそうにつぶやいた。
  「僕、男の子だからウェディングドレスなんか着ないもん」
  「ああ……そういうことか」
   ブルーは可愛らしく、赤ちゃんの頃からよく女の子に間違われていた。
   それは小学生になった今でもそうで、「女の子みたい」というのはブルーにとってはコンプレックスなのだ。
   もっともフレイアやマリアはそれを楽しんで、逆にブルーにそう言う事が度々あった。
   シンにとっては「お嫁さん」=「結婚」なのだが、ブルーにとっては「お嫁さん」=「ウェディングドレス」=「女の子」なのだろ
  う。
   ささやかではあるが、でもブルーにとっては重大な、男としてのプライドに引っかかるのだ。
   ブルーが嫌がる理由がようやく分かって、シンは心の底から安堵した。
  「じゃあ、僕がお嫁さんになればいい?」
  「ジョミーがドレス着るの?」
   心底意外そうに、きょとんとしてブルーはシンを見上げた。
  「ドレスを着なくたって、お嫁さんにはなれるんだよ」
   別にシンにも女装趣味はない。
   大事なのはブルーと一緒にいる事だから。
   それでもやはりシンとしては、ブルーをお嫁さんにしたいというのが本音だった、
  「僕としては、ドレスなんか着なくていいから、ブルーに僕のお嫁さんになってほしいんだけど」
   ブルーと視線を合わせて精一杯優しく、シンはその望みを口にした。
   するとブルーはしばらく考え込んでいたが、意を決したのかシンに答えた。
  「……ドレス着ないでいいなら、いい」
  「本当に?」
  「うん」
  「ありがとう、ブルー」
   嬉しくてシンがブルーを抱き締めると、ブルーもその小さな手をシンの背中にまわした。
  「でもママたちには言わないでね」
   シンの腕の中で、慌てたようにブルーが言った。
   シンのお嫁さんになってもいいなんて言ったのが知られたら、先ほどの調子じゃどれだけからかわれるか分からないと心
  配になったのだろう。
  「もちろんだよ」
   そんな事を言ってブルーに前言撤回されてはたまらない。
   ブルーを抱きしめながらシンは言った。
  「僕も誰にも言わないから、約束だよブルー」
  「うん」
   ひとしきりそうして過ごした後、シンがブルーを抱き締めたまま立ち上がった。
   小さなブルーの体重は、成長に伴い去年より少し重くなっていた。
   もっともまだまだ、抱き上げるのに苦もない重さだったが。
  「さ、お昼を食べよう。ブルーが焼いてくれただし巻き卵、楽しみだな」
  「おいしいか分かんないよ」
  「ブルーが作ってくれたんだから、きっと美味しいよ」
   そう言って微笑むシンの笑顔を見ながら、いつかシンの好物も作れるようになりたいと思うブルーだった。


   ブルーが初めて焼いただし巻き卵は大人気で、特に最初の一本目はシンとフレイアが半分ずつ食べてしまった。
   形も崩れて焦げ付いていたが、それでもとても美味しかった。
  「おいしい……?」
   恐る恐る、ブルーが問いかけてきた。
  「とっても美味しいよ、ブルー」
  「ほんとに美味しいわ。今度また作ってね」
  「うん……!」
   シンとフレイアから口々に言われて、ブルーはとても嬉しそうに笑った。




ちゃっかりしっかりと、結婚の約束をとりつけるワルイムシン。
いつか料理上手のお嫁さんをもらえるといいですね。
そしてシンが本当の「大好物」にありつける日はいつになる事やら…(^^;)

2008.09.21



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