おにいちゃんといっしょ・4



   秋の陽は日々早足で暮れて行く。
   陽が傾きかけた頃、シンとブルーはそろって帰宅した。
  「ただいま」
  「ただいまぁ!」
  「お帰りなさい。二人とも、今日も頑張ったのね」
   元気に帰って来たシンとブルーを、マリアがにこやかに出迎えた。
   普段はブルーは小学校から帰ると、フレイアが帰ってくるまでシン家で過ごしていた。
   しばらく前からマリアに料理を教わり始め、夕食を作る手伝いをしていた。
   しかし、ここ2週間ほどは違った。
   シンの帰宅を待って、一緒に近所の公園に出かけ、暗くなる前に帰って来ていた。
   理由は明日の土曜日に開催される、小学校の運動会のせいだった。
   徒競争で一等賞をとるべく、ブルーはシンに特訓を受けていた。
   実はブルーは体育があまり得意ではなかった。
   運動神経は悪くないのだが何しろ身体が小さいので、やはり体格のいい同級生にはなかなか敵わなかった。
   運動会の徒競争もいつも四位か五位。けれどそれを悔しがっている風もなかった。
   しかし先日マリアから、シンが今まで一等賞しかとったことがない事をブルーは聞かされた。
   シンは幼い頃からスポーツ万能で、運動会でも体育祭でも一位以外になった事がなかった。
   それを知ったブルーが突然、「僕も一等賞をとる!」と奮起したのだ。
   せっかくのブルーの決意を無下にする事など出来はしない。
   そして二人して毎日、公園で徒競争の特訓となったのだ。
   小さなブルーは小股でパタパタ走るタイプだった。
   そこでシンは腕をしっかり前後に振るように指導した。大きく腕を振れば自然と歩幅も改善される。
   他にもまっすぐ走る方向を見るとか、踵を地面につけないようにと注意したが、細かすぎる事を言っても仕方がない。
   あとは実際に二人で一緒に走った。
   最初はすぐにバテていたブルーも、日を追う毎に体力がつき、シンの目から見ても格段に早く走れるようになってきた。
   そんな二人にマリアは言った。
  「汗かいたでしょう? お風呂沸かしておいたから、入ってらっしゃいな」
  「うん。ジョミーも一緒に入ろ」
   ブルーが無邪気に、隣のシンを見上げて言った。
   そういえば物心ついた時から、シンと一緒にお風呂に入った事はなかった。
   しかしシンの答えはつれないものだった。
  「……僕は後でいいよ」
  「一緒に入ろうよ。僕、ジョミーの背中流してあげる」
  「僕は見たいテレビがあるから、早く一人で入っておいで」
  「つまんないの」
   ブルーはちょっと頬を膨らましながら、一人で浴室へと向かった。
  「はあ……」
   それを見送ったシンは、深々とため息をついた。
   理性はしっかり持っているつもりだが、危険はできるだけ回避したい。
   少しだけ惜しいと思いながら、シンはリビングへ足を向けた。


   ブルーがお風呂から上がって着替えてリビングに行くと、シンはソファーに座ってテレビのニュースを見ていた。
   テレビ画面には日本列島の絵が映っていた。どうやら天気予報らしい。
  「ジョミー、ニュースが見たかったの?」
  「そうだよ」
   ブルーはソファーにちょこんと座ると、隣のシンにことんと頭を寄りかからせた。
  「ゆっくり温まった?」
  「うん……」
   運動してすぐ入浴して、きっと疲れたのだろう。ブルーは少しぼんやりとしていた。
   桜色に染まった肌、髪からはシャンプーのいい香りがした。
   シンに寄り添いながらしばらくぼんやりしていたブルーだったが、天気予報を聞くとはなしに聞いているうちに、顔色を曇
  らせた。
  「明日、お天気悪いの?」
  「そうみたいだね。曇りのち雨だって」
  「ええぇ!」
   明日の運動会には母親であるフレイアはもちろん、マリアも、何よりシンも見にきてくれるというから、ブルーは張り切っ
  ていたのだ。
   絶対に一位をとって、それをシンに見てもらいたいのだ。
  「明日、運動会できるかなあ……」
   不安そうにブルーはつぶやいた。
   運動会の開催もしくは中止は、当日の朝に決定される。そして中止の場合のみ各家庭に連絡がくる筈だった。
   リビングの窓辺に走り寄り、ブルーは心配そうに夜空を見上げた。
   ガラス越しに見える暗い空はすでに曇っており、星の輝く様子はなかった。
   シンは窓辺のブルーの隣に近づくと、つぶやいた。
  「ブルー、てるてる坊主を作ろうか?」
  「てるてる坊主?」
  「明日、晴れますようにっていうおまじないだよ」
  「うん、作る!!」
   シンの提案にブルーは顔を輝かせた。
   そしてハンカチ二枚と紐とペンを使って、シンとブルーはてるてる坊主を作った。
  「……と、これでよし」
  「わあ……!」
   出来あがったてるてる坊主を、シンが軒先に吊るしてくれた。
  「これで明日は晴れるよね」
  「ああ、きっと運動会もできるよ」
   正直いえばてるてる坊主など、シンはおまじないというより気休めだと思っていた。
   けれどこれでブルーが今夜安心して眠ってくれるならと、シンなりに本気で願った。
   もちろんブルーは純粋にてるてる坊主に、明日の快晴を祈っていた。
   二人して窓辺に立ちながら、一緒にてるてる坊主を見つめた。


   そして、翌日の朝───。
   天気予報は悪い方に外れ、なんと朝から土砂降りの雨だった。
   運動会はもちろん中止になった。
   ブルーはフレイアと一緒にシン家にお邪魔していた。
   外が雨でもフレイアとマリアは、キッチンで楽しくおしゃべりをしていた。いつものよくある光景だった。
   しかし、ブルーの様子だけがいつもと違っていた。
   リビングのソファーに座るシンの膝の上で、すっかり気落ちし元気をなくしていた。
  「せっかく作ったのに……」
   ブルーは時折悲しそうに、窓越しにてるてる坊主と雨空を見上げていた。
   その顔は今にも泣き出してしまいそうだった。
   シンがブルーの髪を優しく撫でても、今日のブルーは気落ちしたままだった。
   そんな様子を見て、隣のキッチンからマリアが心配そうに声をかけてきた。
  「ブルーちゃんはいい子なのに、どうして雨が降っちゃったのかしらねえ」
  「───……」
   そう言われても、ブルーには何とも答えようがない。 
   それをブルーと一緒に聞いていたシンは、内心耳が痛かった。
   日頃の行いについては、大雨に降られるような覚えがあれもこれもあったからだ。
   と、今度はフレイアが息子に声をかけてきた。 
  「ブルー、火曜日の運動会、ママぜったい行くからね」
  「あらフレイア、お休みとれるの?」
  「とるわよ! ブルーのためにとらないで、いつとるの」
   力強く意気込んでフレイアがつぶやいた。
   可愛い一人息子の運動会と仕事。どちらも大切だが、やはり運動会が重要だった。
   土曜日に運動会ができなかった場合は、翌週の火曜日に開催される予定になっていた。
   日曜日にしないのは、既に運動会の開催する予定がある近隣の地区があるからだった。参加者が重ならないようにと
  の配慮だった。
  「ブルーちゃん、おばさんも絶対応援に行くからね」
   マリアもブルーに声をかけたが、シンの膝に手をついて顔をうずめたブルーからは返事はなかった。
   よほど今日できなかったのが悲しいらしい。
   その様子に、シンも運動会に行くからと声をかけようとした。
   口を開きかけたその時、キッチンからマリアが声をかけてきた。
  「そうそう。ジョミー、あなたはダメよ!」
  「母さん……」
   さすが母親、シンの考えている事もすっかりお見通しだったようだ。
  「あなたは学校があるんですからね。サボったりしたら母さん、承知しないから」
  「分かってるよ」
   口ではそうは言いながらその実、シンはもう運動会に行く気だった。
   しかしそれさえも、マリアは予想していたらしい。
  「ジョミー、もしもあなたをブルーちゃんの学校で見かけたりしたら、罰として───」
  「罰として……?」
  「一週間、ブルーちゃんと接見禁止の刑よ」
  「───」
   さすがにそれにはシンも押し黙った。
   五日間の修学旅行もきつかったが、それが一週間───。
   良くも悪くも自分が目立つ事をシン自身も自覚していたので、行ったが最後見つからないでいられる可能性はまずな
  かった。
   シンとマリアがそんな会話を交わしていても、ブルーはまったくの無反応だった。
   シンがブルーの顔を覗きこめば、いつの間にかブルーは眠ってしまっていた。
  「ブルー……眠ったの?」
   声をかけても、ブルーは瞼を開かなかった。
   眠るブルーの表情は悲しそうなままだった。
  「あら、この子ったら……」
   シンの言葉を聞きつけて、フレイアがリビングにやってきた。
  「どうしようかしら。一度連れて帰って───」
  「大丈夫です」
   シンはフレイアを制して、ブルーを起こさないようにそっと抱き上げた。
  「僕の部屋に寝かせてきます。運動会前に風邪でもひいたら大変だし」
  「ありがとう、ジョミー君」
   シンはブルーを抱き上げたまま、二階の自室へと上がった。
   そして自室のベッドにブルーを寝かせた。
   眠るブルーに目覚める様子はない。
   けれどその表情は先ほどまでとは違い、どことなく嬉しそうなものに変わっていた。
  『楽しい夢でもみているのかな?』
   微笑むブルーの寝顔を見ていると、シンも嬉しくなった。
   運動会はぜひとも行きたいが、だからといって一週間、ブルーと会えないのには耐えられそうもなかった。
  「仕方ないか……」
   不本意ながら運動会を諦めたシンは、眠るブルーの頬にキスをした。
   ブルーは泣くのをこらえていたけれど、ほんのりと涙の味がした。


   そして待ちに待った火曜日は快晴で、絶好の運動会日和だった。
  「ただいま」
  「あ、おかえりジョミー!」
   夕方になってシンが帰宅すると、家の奥からブルーが小走りに飛び出してきた。
   体操服姿のままのブルーの胸には金色のリボン、そして手にはノートを持っていた。
   嬉しそうにブルーは口を開いた。
  「ジョミー、僕一等賞になったよ!」
   言いながらブルーはシンの腕の中に飛び込んできた。
   それを抱きとめながら、シンは驚いていた。
   確かにブルーは早く走れるようになったから、上位に入れるだろうとは思っていたが、まさか一位になるとまではシンも
  予想してはいなかった。
  「本当に?」
  「うん! 僕、一番でゴールテープ切ったんだよ。これ、一等のリボン」
   ブルーは頬を紅潮させながら、胸に付けられたリボンを誇らしそうにシンに見せた。
   それはシンも何度も胸にした事のある一等賞の証だった。
  「おめでとう、ブルー!」
   シンの祝福の言葉に、ブルーは嬉しそうに笑った。
  「これ、ジョミーにあげる!」
   ブルーは手にしていたノートをシンに差し出した。
   それは透明なフィルムでパックされた五冊のノートセット。一等賞の商品だった。
   けれどシンは首を横に振った。
  「せっかくの一等賞の記念だから、ブルーが使うといいよ」
  「だって僕が一等賞になったのはジョミーのおかげだもん。だからジョミーにあげる」
   ブルーはそう言って、シンにノートを差し出した。
  「ブルー……」
   ブルーが嬉しそうなのが───そしてその気持ちが嬉しくて、シンはブルーを力一杯抱き締めた。
  「ありがとう、ブルー」
  「わあ、ジョミー! 僕じゃなくてノートだよ!」
   シンに抱きしめられて、ブルーは慌てた。
   と、同時にこの間見た夢を思い出した。
   土曜日に見た夢───それは一等でゴールテープを切り、待っていてくれたシンの腕の中に飛び込んだ夢だった。
  『夢がホントになっちゃった』
   シンの腕の中で、ブルーは驚きつつもまた笑顔を零した。




今回の運動会ネタは、すずかさんに聞かせていただいた妄想です。
あんまり子ブルが可愛いので承諾をいただき、そこに私の妄想をちょっとだけ加えさせていただきました。
私もかなりシン子ブル妄想病が進行している身ですが、すずかさんもかなり…?(^^)
てるてる坊主の効果がなかったのは、もちろんシンの日頃の行いが悪いせいです(^^;)


2008.10.10



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