おにいちゃんといっしょ・32



   父の日の今日、例年通りシン家の夕食は手巻き寿司パーティーの予定だった。
   もちろんブルーとフレイアも、一緒に食べる予定だ。
   ウィリアムはいつも特にプレゼントは欲しがらず、寿司を肴に一杯呑めればいいと言っていた。
   そのためにブルーとシンは揃って買い出しに出かけた。
   まぐろや鮭などといった様々な魚介類のパックとともに、卵1パックときゅうりを2袋も買い物かごに入れた。
  「帰ったら僕がきゅうりを切るね。それから厚焼き卵もいっぱい焼くね」
  「ブルー、張り切り過ぎて怪我しないようにね」
  「大丈夫だよ」
   久しぶりの手巻き寿司パーティーに張り切るブルーに、シンは相槌を打った。
   レジで精算を済ませ、二人して買った商品を家から持ってきたバッグに詰め込んだ。
   その途中でブルーの瞳はふと、ある物に釘づけになった。
  「ブルー、どうかした?」
   手の止まったブルーを訝しんでシンが声をかけたが、ブルーの返事はない。
   シンがブルーの視線の先を追うと、そこにはたくさんの絵が飾られていた。
   スーパーの店内のガラス壁に大きな紙が貼られており、そこに幼い子供たちのの絵が30枚ほど飾られていた。
   父の日の前にスーパーが用紙を配り、それに応えた子供たちが自らの父親を描いたものだった。
   クレヨンや色鉛筆を使い描かれたそれはお世辞にも上手な出来とは言い難かったが、子供たちが父親の顔を一生懸命描いた、
  それぞれが世界でたった一枚の絵だ。
   たくさんの絵を眺めながら、不思議そうにブルーはつぶやいた。
  「僕の絵、どこにいっちゃったのかな……」
  「そういえば……」
   思い出した昔の出来事に、シンは不愉快そうに眉を顰めた。


  「これなあに?」
   フレイアとマリア、そしてシンと一緒にスーパーに買い物に来ていたブルーは、特設コーナーに置かれていた紙の一枚をひょいと
  手に取った。
  「ああ……それは父の日の絵を描くための紙だよ」
   5歳のブルーに、中学一年生のシンが教えてくれた。
   きょとんとしたブルーはシンを見上げた。初めて聞いた言葉があったからだ。
  「ちちのひ?」
  「お父さんに感謝する日だよ。それにお父さんの絵を描けば、お店の中に飾ってくれるんだよ」
  「ふうん」
   ブルーに父親はいない。
   ブルーが生まれた時には、フレイアと二人きりの母子家庭だった。
   でもその事についてフレイアに何も聞いた事はなかった。
   フレイアもブルーには何も話さなかったし、きっと離婚したのだと、幼いながらにブルーは思っていた。
   今もフレイアはマリアと一緒に、子供たちの会話を聞いてはいたが、けれど何も言わなかった。
  「ジョミー、おじさんのえをかく?」
   ブルーが言うおじさんというのは、シンの父親のウィリアムの事だ。
   ウィリアムはもう一人の息子のようにブルーを可愛がり、ブルーもウィリアムになついていた。
   ブルーは当然の事のようにシンに聞いたが、シンの返事は素っ気ないものだった。
  「僕は描かないよ」
  「なんで?」
  「なんでって……」
   中学生にもなって父親の絵を描くだなんて恥ずかしい、とはさすがに言えずに、シンは困ったように言葉を濁した。
   そんなシンにブルーは無邪気におねだりした。
  「ジョミー、かいてよ」
  「ええ?」
  「ちちのひのえ、かいて」
  「ブルー……」
   ブルーは瞳を輝かせながら、シンにおねだりを続けた。
   その様子から、絵が描きたいのはブルー本人なのだとシンは察しがついた。
  「……じゃあ、ブルーが僕の代わりに父さんの絵を描いてよ」
  「ぼく?」
  「そう、ブルーが」
   シンにそう言われて、ブルーは一瞬笑顔を見せたが、すぐに首を傾げた。
  「でも……ウィリアムおじさん、ぼくのパパじゃないよ」
  「そうだけど、そんなのいいよ。ブルーが絵を描いてくれたら、きっと父さんも喜ぶよ。ねえ、いいでしょう? 母さんたち」
   シンがマリアとフレイアに問いかけると、フレイアは少し考えた後に頷いた。
  「ジョミー君がそう言ってくれるなら、ブルー、描かせてもらいましょう」
   マリアは伺うように隣のフレイアを見ていたが、その言葉を聞いて笑顔を見せた。
  「ブルーちゃんが描いてくれたら、きっとおじさんも喜ぶわ」
  「ね、ブルー」
   シンに頭を撫でられたブルーは、にっこりと笑顔になった。
  「じゃあぼく、おじさんのえをかくね!」
   手にしていた父の日用のお絵かき用紙を頭上にかざして、元気よくブルーは言った。


   帰宅してすぐ、ブルーはお絵かきに取りかかった。
   ウィリアムは仕事で帰宅が遅かったので、ウィリアムの顔を思い出しながらクレヨンを手に紙に向かった。
   シンもブルーの傍らに座り、その様子を見守った。
   そして翌朝、朝食の席でウィリアムにブルーは描き上げた絵を披露した。
  「おじさんみて!」
   クレヨンで描かれたそれは、子供特有の大胆なタッチで、しかしウィリアムの特徴をよく掴んでいた。
   そして顔の絵の下には、律義に“うぃりあむおじさん”と名前まで書かれていた。
  「おお、これはよく描けているね」
   笑顔のウィリアムはブルーを膝に抱き上げた。
   実の息子であるシンは、中学生になってすっかりスキンシップを避けるようになっていた。
  「ブルー、この絵、おじさんにくれないかい?」
  「いいけど、ちょっとだけまってて」
  「ダメなのかい?」
   残念そうにウィリアムが言うと、ブルーはふるふると首を横に振った。
  「あのね、せっかくだからおみせにだすんだって」
  「スーパーが店内に飾ってくれるんだって。ブルーの絵、上手に描けたから、せっかくだからお店に飾ってもらおうって母さんたちと
 話したんだ」
   ブルーが伝えきれなかった事を、シンがフォローしてウィリアムに伝えた。
  「かざりおわったら、そしたらおじさんにプレゼントするね!」
  「ありがとう、ブルー」
   ウィリアムは大きな手で、わしゃわしゃとブルーの頭を撫でた。
   まるで父親に撫でられてるようで、ブルーは声を上げて笑った。


   しかしブルーの絵をウィリアムにプレゼントする日は結局やって来なかった。
   なんとスーパーで盗難事件が起きたのだ。
   スーパーの店内には、子供たちが描いた何十枚もの絵が一ヶ所に集められて展示されていた。
   けれどその何十枚かの絵の中で、なぜだかブルーが描いた絵だけがなくなってしまったのだ。
   店内に監視カメラはあったのだが、生憎絵を貼り出していた壁はカメラの真下───つまり死角で、誰がどうやって盗んだのか映っ
  てはいなかった。
   ブルーの家にはスーパーの店長が菓子折を持ってお詫びにやって来た。
   しかしなぜブルーの絵だけがなくなったのか、スーパーの店主も、もちろんブルーもシンもフレイアもマリアも、まったく見当がつかな
  かった。
   そして絵がなくなって一番残念がったのは、ウィリアムだった。
   なくなった絵は結局見つからなかった。
   残念がるウィリアムに、ブルーはその後もう一枚ウィリアムの絵を描いた。
   それをプレゼントするとウィリアムは大層喜んでくれた。
   ブルーが5歳の時の、不思議な出来事だった。


  「結局あれって何だったのかな……?」
  「きっとブルーの絵があんまり上手だったから、欲しくなってしまった人がいたんだよ」
  「上手って……」
  「僕だって欲しいと思ったもの」
   幼いブルーが「おじさんにあげるね」と言ったから諦めたが、できればシンがその絵を欲しかった。
   真顔で言うシンに、ブルーは少々面映ゆい気持ちになった。
   その夜の手巻き寿司パーティーで、ブルーはウィリアムのためにたくさんのかっぱ巻きを作った。
   酔いも手伝って上機嫌なウィリアムは、ブルーの巻いたかっぱ巻きに舌鼓を打った。
   シンはブルーがウィリアムにかかりきりなので少々不機嫌だったが、ブルー手作りの厚焼き卵を一人で半分以上食べて腹立ちをお
  さめた。


   シン家とブルーとフレイアが楽しい時を過ごす一方、父の日のこの日、どん底の気分を味わっている者が一人いた。
  「どうしてウィリアム・シンが、父の日にブルーに祝われるんだ……!」
  「ルキシュ様は毎年同じ事をおっしゃいますねぇ」
  「うるさい!」
   某ビルの社長室で、相変わらず秘書を困らせているルキシュの姿があった。
   その手にはブルーと名付けた猫と、そして一枚の絵があった。
   それは数年前にスーパーからなくなった、ブルーがウィリアムを描いた絵だ。
   ブルーが描いた絵がスーパーに飾られていると知っていてもたってもいられずに、こっそりルキシュが剥がして持ってきてしまったもの
  だった。
   後になって秘書に散々に怒られたが、返す訳にもいかずに、それはルキシュの宝物の一つとなった。
   自分が描かれていないのが腹立たしくて破り捨ててやりたいが、ブルーが描いたものだと思うと捨てられず、今でも大切に保管してい
  るものだった。
  「ブルー……」
   世間ではやり手の実業家で通っているルキシュだったが、その切れ長の眼に涙を滲ませ、切なくブルーの描いたウィリアムの絵を見
  つめていた。




父の日更新、間に合いました〜!


2011.6.19




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