おにいちゃんといっしょ・36



   二月のある土曜日の夜、その日もいつも通りブルーとフレイアはシン家を訪れて、皆で賑やかな夕食をとっていた。
   ブルーは甲斐甲斐しくマリアとフレイアの手伝いをしていた。
  「ブルー、お茶碗に皆のご飯をお願い」
  「はーい!」
   フレイアに元気よく返事をしたブルーは、炊飯器の蓋を開き、皆の茶碗にご飯をよそい、テーブルに並べた。
  「ブルーちゃん、このサラダも持って行ってくれる?」
  「う、うん……」
   次はマリアがサラダが入った皿を差し出した。
   それをブルーは受け取ったが、その表情はどこか曇っていた。
  「どうかした、ブルーちゃん?」
  「……なんでもない」
   明らかにブルーの様子はいきなり元気がなくなったが、別に体調が悪いという訳でもないらしい。
   足取りは重くなく、美味しそうなサラダが盛られた皿もテーブルの中央に並べた。
   その姿をキッチンから見ながら、マリアは心配そうにつぶやいた。
  「どうかしたのかしら……」
  「え?」
  「最近、ブルーちゃんの元気がないのよ」
  「そんな事ないわよ。気のせいよ」
   マリアの言葉を、フレイアが明るく否定した。
   実際ブルーは真冬だというのに元気で、今年は風邪もひいていない。
  「心配してくれてありがとう、でもマリアの気にし過ぎよ」
  「ならいいんだけど……」
   フレイアにはそうは言われたが、どこか引っかかるものを感じるマリアだった。


   翌日、マリアに買い物を頼まれたシンとブルーは、揃って近所のスーパーまで歩いて出かけた。
  「ジョミーが食べられるチョコ、今年は売ってるかな」
  「どうだろうね。でもチョコじゃなくても僕はいいんだけど」
  「それってどんなの? お煎餅とか?」
  「それでもいいけどね」
   いっそキスでも強請ってしまおうか、そしたらブルーはどんな顔をするだろうなどと───思いながら、シンは話を変えた。
   それはマリアから、ちょっと聞いてみてと頼まれていた事であった。
  「ブルー、何か心配事があるの?」
  「え?」
   突然シンからそう切り出されたブルーは、きょとんとした顔でシンを見上げてきた。
  「時々、何か考え込んでいるみたいだから」
  「……!」
   思い当たる事があるのか、すぐにブルーは表情を強張らせた。
  「どうかしたの、ブルー?」
  「…………」
   シンの問いかけに、しかしブルーは口を閉ざしたままだった。
  「僕にも話せない事?」
  「そうじゃないけど……」
  「じゃあ話してよ。ブルーが嫌なら他の誰にも言わないから」
  「ホント?」
  「うん、約束する」
   シンが右手の小指だけ立てて差し出すと、ブルーはしばらくその手を見つめてから、自らの右手の小指を絡めた。
   指切りげんまんをしてから、ようやくブルーは重い口を開いた。
  「あのね……マリアおばさんがね……」
  「母さんが何かした?」
   ブルーを猫可愛がりしているマリアは、何かにつけてブルーを構いたがった。
   もしやシンのいない間に、嫌がるブルーにコスプレでもさせたかと、シンは表情を険しくした。
  「ううん! 何もないよ」
   シンの内心までには気づく由もなかったが、ブルーは慌てて否定した。
  「そうじゃないんだけど……マリアおばさんが“ブルーちゃん”って呼ぶのが、ちょっとやだな、って……」
  「そうなの?」
  「だって僕、もうすぐ中学生になるんだよ」
   小学六年生のブルーは来月には小学校を卒業する。
   そして4月には中学校に入学予定だ。
  「中学生になってまで、“ちゃん”付けなんて……」
   ブルーは微かに頬を膨らませて、不本意そうにそう言った。
   普段から「可愛い」よりも「格好良い」と呼ばれたがるブルーだから、成長してきて「ブルーちゃん」と呼ばれるのに抵抗が出て
  きたらしい。
   シンにとっては些細な事だが、ブルーはきっとずっと我慢していたのだろう。
   シンはブルーの髪を優しく撫でた。
  「分かった。母さんには僕からそれとなく言っておくよ」
  「でも、おばさんが嫌な気持ちになるかもしれないし……」
  「大丈夫。母さんは気を悪くしたりしないよ。それよりブルーが元気がない方が、母さんは気にしちゃうよ」
  「ホント?」
  「ああ」
   シンの言葉に、ブルーはぱっと表情を明るくした。
  「それでブルーはなんて呼ばれたいの?」
  「“ブルー”って呼びすてがいい!」
   嬉しそうに、元気よくブルーはそう答えた。
  「分かった。じゃあそう話しておくね」
  「ありがとう、ジョミー!」
   悩み事が晴れたのか、ブルーはそれは極上の笑顔を見せた。
   そして足取りも軽く、ブルーはシンと一緒にスーパーで買い物をすませた。


   翌日の日曜日、ブルーが恐る恐るシン家に顔を出すと、いつも通り笑顔のマリアが迎えてくれた。
  「あら。おはよう、ブルー」
  「!」
   初めてマリアからちゃん付けでなく名前を呼ばれて、ブルーは驚き、そして嬉しくなった。
  「おはよう、マリアおばさん!」
   昨夜、シンからブルーの気持ちを聞いたマリアは、多少残念がりはしたがそれを理解した。
   一抹の寂しさは感じたが、目の前のブルーの笑顔を見て、これでよかったのだと思った。
   しかし事はここで終わらなかった───。


  「ブルーちゃ……じゃない、ブルー」
  「ブルーちゃん! あ、ごめんね、ブルー」
  「ブルーちゃ───……ブルー」
   その日からブルーを呼ぶ度に、マリアは呼び方を訂正する事が続いた。
   何しろブルーが生まれてから10年以上、「ブルーちゃん」と呼び続けてきたのだから、そう簡単に直る筈がない。
   それでも努力を続けていたのだが、とうとう一週間目に音を上げた。
  「ああもう、ダメだわ……!」
   リビングのテーブルに顔を伏せ、マリアが意気消沈した様子で言った。
  「母さん?」
  「おばさん?」
  「ごめんね。おばさん、ずーっとちゃん付けで呼んでたから、なかなか抜けなくて……」
   傍にいたシンとブルーが心配そうに声をかけても、なかなか顔を上げないでいた。
  「ブルーちゃ……ブルーの事、自分の子供みたいに思ってたから……ごめんね」
   実はこっそり、自分の娘のようだと思っていたのだが、さすがにそれは口にしないでおいた。
  「マリアおばさん……」
   ブルーが力なく呼ぶと、ようやくマリアは顔を上げた。
   マリアは泣き笑いのような顔をしていた。
  「でもおばさん、頑張るから。ぜったいちゃん付けしないようにするからね」
  「……もういいよ」
  「え?」
   ブルーのために、マリアが大変な思いをし続けるのは嫌だった。
  「おばさんだけなら……“ブルーちゃん”って呼んでもいいよ……」
   ブルーのその一言に、マリアの顔に喜色が滲んだ。
  「いいの? 本当にいいの?」
  「うん」
  「ありがとう、ブルーちゃん!」
   喜んだマリアは両腕で、ブルーをしっかりと抱き締めた。
   マリアに抱き締められながら、ブルーは必死で叫んだ。
  「でもマリアおばさんだけだからね! ジョミーもママも、ウィリアムおじさんも“ブルーちゃん”って呼んじゃダメだからね!」
  「分かったよ、ブルー」
   やはりマリアには勝てなかったかと、苦笑しながらシンはその様子を見つめた。




実は私、マリアが子ブルを「ブルーちゃん」と呼ぶのが大好きですv
なんかこう、小さい子に対する呼び方だなあとv
しかしこれで子ブルは、マリアにだけはずーっと「ブルーちゃん」と呼ばれる事決定です(^^;)



2012.1.29



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