おにいちゃんといっしょ・7
師走に入り冬も深まり、特に朝夕はすっかり冷え込むようになった。
そんな折も折、シンが風邪をひいて寝込んでしまった。
今まで風邪らしい風邪をひいたことのないシンだったが、金曜日にいきなり39度の熱を出して高校を早退してきたのだ。
まさに鬼の霍乱だった。
学校帰りにそのまま病院に寄ったのだが、検査の結果はインフルエンザではなく風邪だった。
インフルエンザでなかったのは不幸中の幸いだったが、医者曰く「かなりたちの悪い風邪」との事だった。
そのために、自室で寝込んでしまったシンに、その日からブルーは会えなくなってしまった。
風邪がブルーにうつったらいけないと、マリアが止めたからだ。
そしてシンが寝込んでから3日め。
日曜日のお昼、シン家にお邪魔したブルーは、キッチンでマリアに聞いた。
「ねえマリアおばさん。ジョミーはどんな具合?」
「ええ、少しは下がってきたんだけど……。さっき熱を測ったらまだ37度あったわ」
「そう……」
「ごめんなさいね、ブルーちゃん」
マリアの言葉に、しゅんとブルーは項垂れた。
シンが寝込んでしまってからというもの、すっかりブルーも元気をなくしていた。
今日もせっかくの日曜日なのだからフレイアが遊びに出かけようと誘っても、シンが寝込んでいるからとブルーは行かな
いと言った。
シンが寝込んでいるのに、とても遊ぶ気にはなれなかったからだ。
シンが風邪をひいたせいで、ブルーもすっかり元気を失くして寂しそうに過ごしていた。
そんなブルーを見かねて、マリアは一ついい事を思いついた。
「ブルーちゃん」
「なあに?」
「これからおばさん、ジョミーの昼食を作ろうと思ってるの」
「うん」
お邪魔していてはいけないかな、帰った方がいいのかなとブルーは心配になった。
けれどブルーの心配は杞憂で、それどころかマリアが素敵な提案をしてくれた。
「ブルーちゃんも一緒に作らない?」
「うん、作る……!」
マリアに言われて、ブルーは元気よく答えた。
久しぶりに笑顔を見せたブルーだった。
マリアもようやくブルーの笑顔が見れて、安心した。
それからキッチンで、ブルーはマリアと一緒に雑炊を作った。
シンの熱が早く下がりますように、早く元気になりますようにと願いを込めて。
程なくして熱々の美味しそうな卵雑炊が出来上がった。
「美味しそうにできたわねえ」
「ジョミー、食べてくれるかな?」
「もちろんよ」
マリアはトレイにその雑炊といくつかのおかずを載せて、両手で持った。
「じゃあ、ジョミーに持っていくわね」
「僕も行っちゃダメ?」
ブルーはマリアにお願いしてみた。
シンが寝込んでしまうなど、ブルーが知る限り初めてで心配だった。
それに何よりもうすっとシンに会っていないのだ。
ちょっとだけでいいから、ブルーはシンに会いたかった。
けれどマリアはやんわりとそれを断った。
「ごめんね。ブルーちゃんに風邪がうつったらいけないから、もう少し我慢してね」
本当はマリアもブルーをシンに会わせてあげたかった。
でももしも風邪がうつってブルーが寝込んでしまったら大変だし、フレイアにも申し訳なかった。
「ジョミーにはブルーちゃんが心配してるってちゃんと伝えるから」
「うん……」
「じゃあ、届けてくるわね」
マリアはブルーをキッチンに残し、二階のシンの部屋へと一人向かった。
マリアが息子の部屋に入ると、シンはベッドの中で目覚めていた。
「あらジョミー、起きていたの」
「うん……」
「具合はどう? お昼、食べられる?」
「食べるよ」
ベッドの上で上半身を起こしたシンは、やはり辛そうだった。
シンの膝の上にトレイを置いたマリアは、その肩に上着をはおらせた。
マリアがシンの額に手をやると、まだ熱は下がりきっていなかった。
「まったく、ジョミーが風邪をひくなんて、幼稚園の頃以来かしら……」
シンは子供の頃から健康で、熱を出したり風邪をひいたりする事など、ほとんどなかった。
インフルエンザの流行で何度か学級閉鎖になった時でも、学校が休みなのをいい事に、元気で遊び回っていたほどだ。
それが風邪をひくなんて、こんな風な様子の我が子を目にするのは、マリアにとっても珍しい事だった。
シンはレンゲを手に取ると、のろのろとした動作で雑炊を口に運んだ。
「どう、美味しい?」
「うん」
「うふふふ」
思ったままを素直に口にしたシンに、マリアは含み笑いをした。
訝しげに視線を上げたシンに、マリアはあのねと切り出した。
「それ、ブルーちゃんが作ったのよ」
「ブルーが……?」
「早く元気になってね、だって。一生懸命作ったのよ」
「ブルーはどうしてる?」
「ジョミーの事を心配しているわよ。とっても寂しがってるわ」
「…………」
「じゃあ、ゆっくり食べてね。後で食器を取りに来るから」
そう言うとマリアは、シンの部屋を出て行った。
雑炊を前に、シンはしばし考え込んでしまった。
シンもブルーの事は気になっていた。
毎日一緒に過ごしていたのだ。
本当なら顔が見たいけれど、風邪をうつしてしまってはいけないと我慢していた。
『まったく……傍にいるのに会えないなんて』
旅行のように物理的に離れているならともかく、こんな理由で会えない事もあるだなんて。
一日でも早く熱を下げるべく、シンは雑炊をせっせと口に運んだ。
ブルーが作ってくれたそれはもちろん美味しく、シンに力を与えてくれるようだった。
マリアが階下に降りると、ブルーの姿はなかった。
「ブルーちゃん?」
呼んでも、キッチンからも隣のリビングからも返事はなかった。
「お家に帰ったのかしら……」
そうつぶやくマリアは、足音を忍ばせてこっそりと階段を上がる気配に気がつかなかった。
マリアの目を避けて二階に上がったブルーは、シンの部屋の前に立った。
『ジョミー……』
ドアの向こうにはシンがいるのだ。
ちょっとだけ、一目だけでもいいから会いたくて、ブルーはドアノブに手をかけた。
けれどドアを開く前に、部屋の中からシンが咳をする様子がした。
それに、ブルーの手が止まった。
風邪なんかうつってもいいからシンに会いたい。
けれどブルーが風邪をひいて寝込んだりしたら、フレイアが大変になるだろう。
今までも何度かブルーが風邪をひいた時に、フレイアは会社を早退したり休んでくれたりした。
それにマリアにも、もしかしたらシンにも迷惑をかけてしまうかもしれない。
それを考えると、ブルーはドアを開けられなかった。
『ジョミー、早く元気になってくれないかな……』
ブルーはドアの前にそっと座り込んだ。
そしてシンが元気になってくれるように、一生懸命願った。
食事の後、食器をトレイごと机の上に置いたシンは、ベッドで再び眠った。
不思議なもので体調が悪いせいか、何時間でも眠る事が出来た。
すると不意に、ベランダのガラス戸がカラカラと開いた。
「……?」
もしやブルーが来たのかと思い、シンが目を開くと、そこにいたのはマリアだった。
「母さん……何でそんなところから?」
シンがつぶやくと、マリアは唇の前で人差し指を立てた。
そして小声で囁いた。
「ジョミー、ちょっと起きられる?」
「なに?」
シンも小声でマリアに返事をした。
「いいもの見せてあげる」
シンはマリアに促されるまま、ベッドから起き上がった。
再び上着をはおり、マリアに手招きされるまま、部屋からベランダに出た。
身体は熱で重かったが、何だろうと思ってマリアについて行った。
どこに行くのかと思えば、マリアが入ったのは隣の部屋だった。
そして部屋の内側から、音をたてないようにそおっとドアを開いた。
「……ほおら、見て」
マリアが指さしたのはシンの部屋の前だった。
シンがドアの隙間から見ると、そこにはブルーがいた。
シンの部屋のドアの前に座り込み、ドアに背を預けて眠り込んでいた。
「二階に上がってきたら、ブルーちゃんがいたの」
数分前、マリアは食器を取りに来たのだが、シンの部屋の前で帰ったと思っていたブルーを見つけたのだ。
ドアの前に座り込んでいるうちに、いつの間にか眠り込んでしまったようだ。
マリアもドアの隙間からブルーの様子を見つめながら、そうっとつぶやいた。
「ブルーちゃん、よっぽどジョミーの傍にいたいのねえ」
「……!」
シンは部屋を飛び出したかった。
ブルーが愛おしくて、すぐに抱き締めたかった。
けれど風邪をひいた身ではそれは憚られ───シンはやっとの思いで留まった。
「……母さん、早くブルーを起こして」
家の中とはいえ12月の廊下だ。
ずっといたら身体が冷え切って、それこそブルーまで風邪をひいてしまうだろう。
「下に連れて行って、温かくしてあげて」
「ええ。ジョミーも早く元気にならなきゃね」
マリアは部屋を出ると、ブルーを起こしにかかった。
「ブルーちゃん、起きて」
「ん……あ、おばさん」
肩を揺すられて名前を呼ばれたブルーは、すぐに目覚めた。
「こんな所で寝ちゃったら、ブルーちゃんも風邪をひいちゃうわ。さあ、下に行きましょう」
「……うん……」
ブルーはまだシンの部屋の前に居たそうだったが、マリアに手をひかれて立ち上がり、階下に連れられて行った。
その様子を部屋の中で聞きながら、シンはすぐに元気になってやると心の中で固く誓っていた。
そして───気力で熱を下げたシンは、翌日には元気になりベッドから起き出した。
昨日まで風邪をひいていたとは思えないほど、驚異的な回復力だった。
マリアもフレイヤも喜んだが、もちろんそれを一番喜んだのは、他ならぬブルーだった。
病は気から、愛の力で熱も下げるシンでした。
これからいよいよ冬本番ですので、皆さんも風邪にはどうぞお気をつけください。
2008.12.07
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