exceeding thousand nights ・ 10
ブルーは今日、週に一度の休日を過ごしていた。講義もサイオンの訓練もない、一日自由に過ごせる日だ。
今までの休日はリオが常に一緒だった。
それは有難かったけれど、結局リオはブルーに付き添っているため、完全な休みをとっていない。
それが心苦しくて、ブルーはヒルマンから教えられた講義の内容を復習したいと言って、一日一人で過ごすからとリオに
話した。
リオは戸惑ったような顔をしていたが、ブルーが無理に押しきった。
そんな訳でブルーは自室でのんびりと───といえば聞こえはいいが、怠惰に過ごしていた。
リオにそうは言ったが、ヒルマンから教えられた事は毎日復習していたし、正直する事がなかった。
シャングリラ船内を探検してみようかとも思ったが、奇異の視線に晒されそうで、それもためらわれた。
青の間に───と一瞬思ったが、迷惑だろうと思い、すぐにそれは脳裏で打ち消した。
いっそ資料室にでも行って、何か興味を引く物を探してみようかとブルーが思いかけた時、それは届いた。
『……るー』
「え……?」
誰かに呼ばれた様な気がして、ブルーは部屋の中を見回した。
けれど部屋の中にいるのはブルー一人で、他には誰の姿もない。
気のせいかと思いかけた時、再び呼ばれた。
『ぶるー……』
「誰……?」
それは微かな、思念波だった。
ソルジャー・シンのものでもリオのものでもない、聞き覚えのない思念波。
ブルーが問いかけても、誰なのか答えない。
『ぶるー、アイタイ』
その代わり、小さな「声」が繰り返し、ブルーの脳裏に響いた。
『アイタイノ。ココヲアケテ』
「……?」
そう言われて耳を澄ませば、部屋の外に何者かの気配があった。
カリカリと扉を引っかく様な音もした。
不思議に思いながら、ブルーは乞われるままに扉を開いた。
すると扉が開くと同時に、何かが腕の中に飛び込んできた。
「うわ!」
『ぶるー!』
ブルーに飛びついて来たのは、小さな動物だった。
「君は───」
その小動物には見覚えがあった。
ブルーがこのシャングリラに初めてやって来た日に、やはり腕の中に飛び込んできた可愛らしい小動物だった。
けれど会ったのはあの日だけで、ブルーはあれから一度も会った事はなかった。
何度かその小さな存在を思い出しはしたが、忙しさに紛れて忘れてしまっていた。
「やっぱりこの船にいたんだね」
小動物は嬉しそうに、ブルーの頬を舐めた。
『アイタカッタ、ぶるー』
「くすぐったいってば」
ブルーは笑いながら、腕の中にその小さな存在を抱き締め直した。
「君が僕を呼んでいたの?」
「キュウン」
小さな生き物はそうだと言う様に、ブルーの腕の中で可愛らしい声で鳴いた。
『ぶるー、イッショニキテ』
「え?」
小動物はそう言うと、ブルーの腕の中から床に飛び降り、扉を抜けて廊下へ出た。
そして小さな足を止めて、ブルーを振り返った。
『コッチニキテ』
「ついて来いっていうの……?」
何があるのか。どこへ連れて行こうというのか。
不思議に思いながらも、その小さな存在からは悪意めいたものは感じられず、ブルーは呼ばれるままに部屋を出た。
シャングリラ船内を10分ほど歩き続けただろうか。
小動物に導かれるようにたどり着いた部屋は、明らかに他とは違う雰囲気の場所だった。
静かで荘厳な、神秘的な雰囲気がその部屋には満ちていた。
広い広い部屋。天井までの距離は高く、部屋の中には巨大な望遠鏡らしきものさえあった。
優美な曲線を描いている階段も作りつけられており、その先には椅子とテーブル───占い用のターフルが置かれてい
た。小動物の後を追って階段を登り終えると、そこに一人の女性が立っていた。
「ようこそ、ブルー」
その女性は細く優しい声でブルーに呼びかけた。
床につくほどの長い長い豊かな金髪。神話の世界を思わせるような優美な服を着ていた。
そしてその顔立ちは美しかった。
彼女はブルーを真っ直ぐに見つめていたが、その両の瞼は閉じられていた。
『この人は───』
ブルーは目の前の女性に見覚えがあった。
シャングリラに初めてやって来たあの日、なぜか喜びに沸き立つ人たちの中で、一人泣き崩れていた女性がいた。
目の前にいるのは確かに、あの時泣いていた女性だった。
どうして泣いていたのか問おうとしても、ブルーは目の前の彼女の名前も知らない事に気づいた。
「あの……、あなたは……?」
「私はフィシス。貴方を待っていました、ブルー」
「フィシス……様」 ソーシャラー
その名前には聞き覚えがあった。ソルジャー・シンが言っていた、予知能力を持つミュウの占い師。
まるで女神のような、彼女の纏う神秘的な雰囲気に、ブルーは自然と彼女をそう呼んだ。
それにフィシスはその美しい顔をわずかに曇らせた。
「私の事は“フィシス”と呼んで下さいな、ブルー」
「え? でも───」
ブルーはそれに素直に頷けなかった。
自分のような新参者が、呼び捨てにしていいような人だとはとても思えなかったからだ。
「どうかお願いです、ブルー」
けれどフィシスに重ねて懇願されて、ブルーは戸惑いながらも頷いた。
「はい……」
「ありがとうございます」
フィシスは嬉しそうにブルーに微笑みかけた。
そんなフィシスに、小動物が話しかけた。
『ふぃしす、ぶるーヲツレテキタヨ』
「ありがとう、レイン」
フィシスはレインを抱き上げた。その言葉で、ようやくブルーはその生き物の名前を知った。
「その子はレインっていうんですか?」
「そうです」
「珍しい生き物ですよね。僕は初めて見ました」
「この子は“ナキネズミ”という種で、ミュウが開発した新種の生き物なのですよ」
「ナキネズミ……」
フィシスは抱き上げたナキネズミの背中を優しく撫でた。
「貴方がこの船にいらしてから、お会いできる日を待っていましたの。なのにソルジャーにお願いしてもなかなか聞いて下さ
らなくて。だからレインに頼んで、貴方を連れて来てもらったのです」
ナキネズミはフィシスに撫でられて気持ちがいいのか、その小さな身体をふるりと震わせた。
「ありがとう、レイン」
『ふぃしすガウレシイナラ、れいんモウレシイ』
レインの思念波は、フィシスに向けられているためにブルーには聞こえなかった。
けれど先ほどの事もあったし、フィシスとナキネズミが何かを話しているだろう事は、ブルーにも分かった。
「レインは話せるんですか」
「ええ。ナキネズミは微弱ですけど思念波を扱えますから」
「すごいんですね……」
ブルーは感嘆の思いでしばらくナキネズミを見つめていたが、疑問を思い出してフィシスに視線を向けた。
「あの、……フィシス……?」
呼び辛そうにブルーはフィシスの名前を口にした。
フィシスはとても嬉しそうに微笑んだ。
「はい、何でしょうブルー」
「僕がシャングリラに初めて来たあの日、泣いていませんでしたか?」
ブルーに問われて、フィシスは苦笑しながら、恥ずかしそうに答えた。
「気がつかれていたのですね。すみませんでした、取り乱してしまって」
「そんな事はないですけど……。どうして泣いていらしたんですか?」
「嬉しかったからですわ」
「嬉しい?」
フィシスの言葉を、ブルーは理解できなかった。
どうして会った事もないブルーのために、フィシスが泣くのか分からなかった。
けれどフィシスはさも当然だという風に答えた。
「貴方をこの船に迎える事ができて、嬉しかったからです」
「どうしてですか……?」
「私は……私たちは貴方が生まれる前から、貴方を待っていたのですよ、ブルー」
「僕を……? どうして?」
フィシスは閉じたままの瞳で、それでもブルーを真っ直ぐに見詰めながら言った。
「占いに現れたのです。貴方の誕生と、それを迎える我らミュウの希望への道が」
フィシスが口にした言葉は真実だった。
ソルジャー・シンに頼まれるまま占い、示されたその兆し。それをシンもフィシスも、ミュウ全員がどれだけ喜んだことだろう。
けれどもう半分の真実は、フィシスはその言の葉にはのせなかった。
「僕は、そんな……」
ブルーはそれを否定しかけたが、フィシスに失礼だと気付いて、途中で口を閉ざした。
そんなブルーの様子を、フィシスは穏やかに見つめていた。
フィシスに勧められるまま椅子に座り、ブルーはお茶をご馳走になった。
盲目だというフィシスは、それが嘘のように優美な手つきで、ブルーのために紅茶を淹れてくれた。
テーブルを挟んでフィシスも椅子に座り、二人は向かい合いながら話をした。
レインはフィシスの膝の上で、丸まっていた。
「ここは、フィシス……のお部屋ですか?」
「そういう訳ではないのですが……そうですね。私が独占してしまっているようなものですね」
わずかに苦笑しながら、フィシスはブルーにそう答えた。その表情はどこまでも優しい。
ブルーもフィシスに微笑み返しながら、不思議な感覚を味わっていた。
この場所から───何より目の前のフィシスから感じる安らぎ。
懐かしささえ感じるような心地よいそれが、ブルーは不思議だった。
こんな感覚は前にも一度、青の間を訪れた時に味わっていた。
そんなブルーの物思いは、フィシスの言葉に中断された。
「ここは皆からは“天体の間”と呼ばれています。私は昔からここが好きなのです」
「天体の間……」
それはこの部屋にぴったりの名前だとブルーは思った。
けれど一つだけ残念な事があった。
「でもこんな地の底じゃ、星空も見えないですよね」
ブルーは星を見るのが好きだった。
けれどもう二ヶ月以上、このシャングリラにやって来てから、星の瞬き一つ見てはいなかった。
このシャングリラでの生活に不満などないが、強いて一つだけ挙げるのならそれが残念な事だった。
でもそんな子供っぽい事を、ブルーは今まで口に出した事はなかった。
そんなブルーの気持ちを察したのか、フィシスはブルーに言った。
「見えるのですよ」
「え?」
「私には卵子提供者である母親の記憶───宇宙の記憶があるのです」
「宇宙……?」
ブルーは驚いた。
S・D体制下の人工受精においてそんな事があり得るなど、ブルーは初めて知った。
驚くブルーに、フィシスはさらに言葉を重ねた。
「よろしければ貴方もご覧になりますか?」
「そんな事ができるんですか?」
「ええ。思念波で私の記憶を覘けばいいのです」
フィシスが話す事は、ミュウとしたら簡単な事なのだろう。
けれどブルーはためらった。
「でも僕は、まだ思念波を扱えなくて───」
尻ごみするブルーに、フィシスは安心させるように優しく微笑みかけた。
「大丈夫。私が貴方の思念に同調します。貴方は私に心さえ開いてくれればいいのです」
ミュウとして目覚めていないブルーに驚く様子もなく、フィシスはそうブルーに話した。
それはフィシスの優しさ故か、もしくは誰かからそう聞いていたのかもしれなかった。
「さあ、ブルー」
フィシスはその細い手を、ブルーに差し出した。
初めて会う人なのに、いきなり心を開けと言われても───と思いはした。
この船で一番親しいリオに対してでさえ、ブルーは自分から触れるのに二ヶ月の時間を要したのだ。
けれど何かに誘われるように、ブルーはその手に自らの手を差し出した。
ほんの少し近寄ると、フィシスからは花の香りがした。
『あ……ママみたいだ』
ブルーの母親もいつも花の香りがしていた。ブルーはそれが大好きだった。
「目を閉じて……。私に心を委ねて……」
触れあう細い手と、小さな手。
フィシスに促されるまま、ブルーは瞼を閉じた。
その途端、宇宙の映像がブルーの脳裏に広がった。
『あ……!』
広大な宇宙。
果てしないその宇宙に浮かぶ、銀河系。
『これがフィシスの記憶……?』
『怖がらないで、ブルー』
近づいてくる───もしくはこちらが近づいているのか、迫る銀河系の映像とともに、ブルーの脳裏にフィシスの涼やかな
声が響いた。
ブルーの意識は、数多の星々の輝きに圧倒されていた。
『すごい……!』
喜びに満たされていた意識は、けれど映像が銀河系のある一点に向うにつれて、その色を変えた。
フィシスの記憶の銀河系の奥には、───燃え盛る灼熱の星があった。
今まで見たことなどない、初めて見る星だった。
けれどそれを感じた瞬間、ブルーの心臓は高鳴った。
『だめ』
本能的に感じたのは、戸惑いと恐れ。
『だめだ、見たくない……』
銀河系の中で、一際眩しく輝く太陽。
そしてその先に連なる星々。
『あれは僕の───』
心臓は鼓動を激しくする一方だった。
そして太陽の向こう───ブルーの脳裏に小さく青い星が映った瞬間、その動揺は頂点に達した。
『僕の、罪だ……!!』
その瞬間、ブルーはフィシスの手を振りほどいた。
「───っ!!」
「ブルー!?」
フィシスの悲鳴がどこか遠くに聞こえた。
ブルーはフィシスの手を離したと同時に、天体の間の床に倒れ伏した───。
ミュウの女神とナキネズミの登場で〜す。
しかしまたまたシンが書けなかったのが残念です。
本当は出てくる筈だったけど、フィシスとのシーンが長くなってしまったので。
次は……次こそは必ず出てくる筈!
シンと子ブルだけしか出てこない話を思いつければよかったんですが、なんだか登場人物だけはやたらと多くて〜(−−)
トォニィたちみたく予定よりも増えたりしてるし、まだ長老たちも出てないし。
でももう少し書き進めれば二人のシーンがいろいろ書ける筈v
そう自分で自分を励ましながら書いています。
2008.04.26
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