exceeding thousand nights ・11
パシン!───と、天体の間に響いた音とともにフィシスが床に倒れた。
「フィシス様!」
部屋の隅に控えていたアルフレートが、フィシスの傍らに駆け寄り、慌てて彼女を助け起こした。
ナキネズミもその横の床の上で、グルグルと忙しなく動いていた。
ソルジャー・シンはフィシスの前に立ち、そんな様子を冷たい眼差しで見下ろしていた。
手を差し伸べて助け起こす事もなく、それどころかフィシスが倒れた原因を作った。
フィシスの頬を、その手で叩いたのは他ならぬシンだった。
フィシスの身体を支えながら、アルフレートがシンを見上げて抗議した。
「いくらソルジャーとはいえ、フィシス様になんという無礼を……!」
「よいのです、アルフレート」
「しかし……!」
憤るアルフレートをフィシスが制した。そしてフィシスはシンに向かって頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした、ソルジャー」
「僕は君に、ブルーには会うなと言っておいた筈だ」
フィシスに対するシンの声は、その眼差しと同じく冷たかった。
「いずれ時が来たら会わせるからと」
「はい……」
ブルーが倒れて、それがフィシスと会い、彼女が記憶する映像を見たためだと聞いて、シンは激昂した。
フィシスを詰問するまでもなく、会ったと同時に叩いてしまった。
それでも咄嗟に拳ではなく平手を作れたのは、まだ上出来だった。
もしもサイオンを使ってしまっていたら、フィシスの身は無事では済まなかっただろう。
かろうじて理性が押しとどめたのだが、シンの心に湧き上がった怒りはそうしてもおかしくはないほど激しかった。
「申し訳ありません。でも───」
シンの足元で俯いていたフィシスが、その顔を上げた。
「どうしても会いたかったのです、私も」
「フィシス」
シンが制止してもフィシスは言葉を続けた。
常に穏やかなフィシスにしては珍しい、必死な声音だった。
「ブルーを……彼を待っていたのは、ソルジャーだけではないのです」
フィシスは盲目の瞳を、それでも真っ直ぐにシンに向けて訴えた。
けれどその訴えに対する、シンの答えは無常だった。
「……もう二度とブルーには会うな」
「ソルジャー!?」
シンはそう言うと、フィシスに背を向けた。
言い渡された命令に驚いて、アルフレートの手を振り切り、フィシスはよろめきながら立ち上がった。
「待って下さい、ソルジャー・シン!」
フィシスが必死に何度も呼びとめた。
けれどシンはその声に一度も振り向くことなく、天体の間を後にした。
倒れたブルーはメディカル・ルームへと運ばれていた。
意識が戻らないままそこで一通りの検査を終えたが、ドクター・ノルディーは何らかの精神的なショックを受けたせいだろう
と診断した。
人払いをしたメディカル・ルーム内の一室。
シンが訪れてもブルーは未だに意識を失ったまま、ベッドに横たわっていた。
「ブルー……」
ベッドの横に立ち、シンはブルーの名前を呼んだ。それでもブルーの意識は戻らないままだ。
そんなブルーをシンはただ見つめた。
こんな風にしていると、遠い昔を思い出す。
青の間で彼の目覚めを待って、待って───ただひたすらに待っていた頃。
長い時間を生き、眠り続ける事でその寿命を少しでも延ばしていたような彼であったけれど、それでも彼の存在自体ががど
れだけ大切だった事だろう。
なくしたくない、絶対に失えない人だったのに───。
そう思いながらシンが見つめていると、ふとブルーが身じろいだ。
「……っ」
身じろぎ、その睫毛が震え、そして瞼の下から青い瞳が現れた。
瞳と髪の色こそ違えど、彼によく似たその顔立ち。
・ ・ ・
「ブルー……?」
シンが名前を呼んだ。
名前の主はその声に気づき、ベッドに横たわったままシンを見上げてきた。
「……ソルジャー……?」
シンに答えたのは、シンが自らこの船に連れて来た少年だった。
その意識が戻った事に安堵しながら、シンは同時に落胆も味わった。
───まだ、目覚めない。
記憶は戻らない。
フィシスに怒りはしたが、彼女が見せた映像がもしかしたら引き金になるのではないかと思っていたのに。
ブルーはまだぼんやりとした瞳で、シンを見た。
「ここは、どこですか……?」
「メディカル・ルームだ。君は倒れたんだよ」
内心の葛藤をおくびにも出さずに、シンは答えた。
「倒れた……? どうして───」
言いかけて、ブルーは思い出した。
天体の間での出来事を。そしてフィシスから見せられた映像を。
映像を見せられるうちに、ブルーはなぜか恐怖めいたものを感じ、意識が混濁してしまったのだ。
「すみません、僕───」
「いいから、まだ寝ていればいい」
慌ててベッドから身体を起こしかけたブルーを、シンの手が押し止めた。
「でも」
「君の身体に異常はなかったが、倒れたんだ。安静にしているといい」
「……はい」
シンに重ねて言われて、ブルーは渋々ながらもベッドに戻った。
「気分はどうだい?」
「大丈夫です」
その言葉に、シンはわずかに表情を強張らせた。
彼もよくその言葉を口にしていた。
シンが体調を心配してそう問う度に、大丈夫だよと微笑んでいた。
ブルーに会うといつもいつも、喜びと悲しみが綯い交ぜになった。
そんな想いを心の奥底に押し込め、シンは改めてブルーに向き合った。
ブルーの言葉に嘘はないのだろう。その顔色は悪くはない。
「何があったのか、話せる?」
無理なようならいいとシンは言ったが、ブルーは記憶を手繰った。
実際、思い返すだけなら、不思議なあの恐怖は感じないようだった。
天体の間でフィシスと会って、お茶をご馳走になった事。
地の底で星空が見えないのが残念だった事。だからフィシスの記憶に興味を持った事。
繋いだ手から脳裏に流れ込んできた宇宙の映像。
見せられたそれらをシンに話した。
そして───……。
「……青い星、だった……」
思い出してブルーは、シンに問うた。
「あれは、なに……?」
ブルーの問いかけに、咄嗟にシンは返事をしかねた。
やはりフィシスはそこまでブルーに見せていたのだ。
ブルーはシンに視線を注いだまま、返事を待っていた。
仕方なく、シンは重い口を開いた。
テ ラ
「……───地球だ」
「地球……?」
それはブルーが初めて知る星の名前だった。
アタラクシアでもこのシャングリラに来てからも、誰にも教わった事はなかった。
「人類発祥の地。そして、我々ミュウの───故郷だ」
「もしかして、ヒルマン教授が言っていた、安住の地……?」
シンの言葉に、ブルーはかつてヒルマンから教えられた事を思い出した。
「じゃあこのシャングリラは、地球へ向かう船なんですか?」
「そうだ……」
ブルーは聡明で、1を聞いて10を知るようなところがあった。
それ故にシンが答えたくないと思う事まで、次々に問うてきた。
「どうして出発しないんですか?」
「地球の座標が分からない。それに───」
しばらくの沈黙の後、シンは言葉を繋いだ。
「……最後の乗員を待っているんだ」
だから出発できないのだと、シンは言った。
「その人は、どこにいるの……?」
ブルーの問いにシンは答えなかった。
ただ無言で、苦く微笑むだけだった。
それに、その人はきっと遠くにいるのだと、ブルーは推測した
「早く……来ればいいのに」
「……そうだね」
シンの手がブルーに伸ばされた。
「もういいから、ゆっくりお休み」
シンの指が、優しくブルーのプラチナブロンドの髪を梳いた。
「僕はもう、大丈夫です」
「それでも、もう少しだけお休み」
「ソルジャー……」
とうに成人したのにまるで子供扱いされて、ブルーは複雑な心境だった。
それでも髪を梳くシンの指があまりに優しいので、ブルーはそれを払い除けはしなかった。
その心地よさに誘われるまま───しばらくしてブルーは再び眠りについた。
子ブルの正体については、もう皆様お気づきだと思いますが、そーゆう事です(^^)
そして、やっと久しぶりにシンが書けました〜v
でも女性に手をあげる男は最低です〜(><)
フィシスごめんなさい!
私が書きたいのは、表面上は紳士ですが実は冷酷で性格歪んでしまってて、でもたった一人だけは大切にしているシンなのですが。
どこまで書けるかな〜?
それにしてもアルフレートは、ずーっとフィシスと一緒にいても、まったく男として見てもらえていないんでしょうね。
哀れだけど、きっと彼はフィシスさえいれば他はどうでもいいんだろうなあ…(^^;)
ある意味ミュウの中で一番の幸せ者かもしれませんね。
2008.05.01
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